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2011年9月24日 23時58分15秒 (Sat)

トーハクから眺める

「塔」という言葉は「卒塔婆」という、サンスクリットの音写を縮めたものだという。もともとの意味は仏教語で、仏舎利を安置する場所を指す言葉だ。鎮護国家思想だとか金光明最勝王経だとか、なんだか高校時代の日本史の授業を思い出す。国分寺とか、国分尼寺とかね。

上野の東博に『空海と密教美術展』を見にでかけた。上野は夏休み前に西洋美術館で『古代ギリシャ展』を見て以来だ。美大生か!!とつっこんでみる。
最終日前日の土曜ということもあって、30分待ち。待ち時間に、遠くに見えるスカイツリーをぱしゃり。青い空に呑まれそうな白。心もとない、不安げな姿がなんでか気にいった。
並んでいる間にもいろいろ楽しかったけれど、そのあたりは割愛する。

そして入場。予想はしていたけれど、やはり人が多い。入ってすぐに教科書で見たきがする(友人たちがこぞってラクガキしていた)弘法大師空海の図があったり、書があったりしたけれど、目当てではないし見ても分からないことは明らかなので華麗にルックオーヴァー。どうせユーキャンのボールペン字講座で挫折を味わうレベルの悪筆です僕は。

そして曼荼羅のコーナーへ。曼荼羅を刷る版をみて非常に驚いた。そういう作り方なのか、と。でも、宗教が根付いた社会って、実はある意味ドライなのかも、とも思う。仏教国では、ニンジンの皮をむくのにピーラーを使うのと同じように曼荼羅が刷られているのかもな、なんて。

続いて仏像のコーナー。一番拝みたかった如意輪観音菩薩像は、とても艶めかしかった。仏像が金色に彩色される必然をなんとなく理解できたような気がする。薄暗い本堂にボンヤリと神秘的に浮かび上がる本尊はやはりあの色でなくてはならないのだ。 下調べをほとんどしなかったので、醍醐寺の薬師三尊像を拝めたのは予想外だった。思っていたよりもずっと大きくて、顔が平らで優しそうだった。さすが薬師如来。両サイドの日光・月光菩薩像はどちらがどちらか思い出せなくて、受験時代からもう三年たつんだなと、変なことを感じた。 不動明王像は、なんというか、勝てる気がしない、、、といった感想。持国天も同様。比べてはいけないものものを比べていることは重々承知だけれども、本当に、強そうだった。持国天に至っては邪鬼を踏みつけているわけで、なんだか目をそらせなくなった。とりあえず、ごめんなさい、と心の中で謝っておいた。 象にまたがる帝釈天は、象がとてもカッコよく造形されていたがために、不覚にも厨二マインドを刺激された。神獣チックな象にまたがる帝釈天、、、熱い。Fateは神様ナシな暗黙の了解があるけれど、シャーマンキングならアリだな、、、みたいな妄想でしばらく動けなくなった。2424。

トーハクを出ると、外はもう暗くなりつつある。秋だ。

帰宅して(帰路でねんぷち付きのプリヤ4巻を買ったりラーメンをたらふく食べたりミスドで3時間くらい読書したりした)から、唯一トーハクで撮影したスカイツリーの写真をみた。撮ったときはなんの事のない只の写真だったのだけれど、密教美術展の影響か、それが仏塔に見えたんだ。

「世界最高峰の巨大建造物・東京スカイツリーは、実は仏塔だった!!」なんて、コンビニの低俗な雑誌の記事みたいだ。仏舎利が安置された巨大電波塔が外宇宙とかパラレルワールドとかから送りこまれてくる外敵に妨害電波を飛ばして、発見されるのを防ぐのだ。みたいな。
もしくは、政治不安とか疫病とかを押さえつけるリアル鎮護国家思想とか。
陰謀論とオカルティズムの夢の競演。

そんなこと思って、まだまだガキだなあって、思うのでした。

2011年7月11日 23時19分43秒 (Mon)

天冥の標Ⅰ メニー・メニー・シープ

久しぶりに更新。

遅ればせながら、前々から狙っていた小川一水さんの『天冥の標』を読み始めた。こういう、木曜洋画劇場、みたいな雰囲気好きだ。登場人物が出てくると下に役者の名前とキャラの名前が出るじゃない。ああいう。(100%脳内ィメイジ)

登場人物たちが一人一人、ちゃんと行動原理を持っていて、魅力的だ。「恋人たち」の少年と「石工」のクレヴの関わり方が素敵。

そして、ルビと言葉造りがとても好きな作品。咀嚼者(フェロシアン)なんて見せられた日には、月厨まっしぐらである。

そういうわけで、明日は続巻、救世群(プラクティス)を読む。

あと、幼年期の終わりを読み返したくなった。最後の終末のシーンに相通ずるものを感じたわけです。

2011年6月29日 21時03分07秒 (Wed)

英語版

英訳された『ハーモニー』を読んでいる。
出てくる表現自体はそこまで難しくはないのだけれど、そうは言っても英語。
きつい、すごくきつい。

だけれど一つ、発見もあった。

物語の性質上、ヨコモジのほうが日本語よりも向いていということだ。

ディック賞の講評を見たわけではないけれど、外国で受けたのにはそういう面あるのではないかと思った。

2011年6月27日 2時00分38秒 (Mon)

フィクション、あるいは想像するチカラ

SFマガジン8月号の表紙は初音ミクであった。ボーカロイドに造詣が深いわけではないので少し戸惑う。でもたしかに、アレも一つの想像力なのだな。神林長平さんの短篇を読んで、いまはボンヤリとそう思う。


『いま集合的無意識を、』それが掲載された物語のタイトルだ。

「さえずり」(twitterを「さえずり」とする皮肉がたまらない)上で出会った伊藤計劃を名乗る何者かとの対話を通して、人間の未来を想像してゆく過程を描いた物語。伊藤計劃を知っていることが前提だから、偉大な神林長平という作家に「共犯関係」じみたものを感じて、読みながらうれしくなった。

「フィクションの力を信じよ!」
『ハーモニー』を遺して逝った作家と、ぼくたち3.11.の世代への力強いメッセージが心を打つ。リアルに対抗しうる武器は、ただ、唯一、ぼくらの頭の中にあるのだ。

評論・批評の類として読むならば、きっとSF専業作家を30年もやってきた人だからこそ書けるもの。単純な「伊藤計劃論」ではなくて、「SF的想像力論」なのだろうと思った。

2011年6月24日 9時00分28秒 (Fri)

どちらが、先?

Newton七月号購入。今回取り上げられている「分子標的治療薬」が興味深いと感じたからだ。

ぼくが最近読んだ作品、伊藤計劃さんの『虐殺器官』。近未来世界における文学的な軍人の戦いの顛末を扱うお話なんだけれども、登場するガジェットが恰好良くて、それだけでも一読の価値がある。「フライングシーウィード」や突入用のポッド、人工筋肉のポーターなどなど。倫理の話にも繋がっていて、さすが!と思わされた。主人公、文学的な軍人だから。倫理的なことも考えてしまうわけです。

その軍周りの技術も面白かったのだけれど、特にぼくの興味を惹いたのは、医療周り。医療用ナノマシンの存在であった。それは、身体のあらゆる機能の代替をやってのける。まさに身体機能のアウトソーシングといって間違いない技術だ。

伊藤計劃さんの作品は人体という、どうしようもなく抗いがたい、人間の限界たる自然を扱っている印象がある。『虐殺器官』でも『ハーモニー』でも、身体を起点として発生する意識という現象を扱っていた。そして、それを越えようと人間は挑戦するのだ。

なんだか、「分子標的治療薬」と似ていると思う。「身体を、デザインする」という発想。

Newtonの「分子標的治療薬」の記事にはこんな見出しがあった。

発見される薬から、意図的に設計する薬へ

こういう発想はSFで初めになされて、現実を覆うのだろうか。それとも、お医者さんや薬学の学者さんが先なのかな。


悪いことではないのかもしれないけれど、人間はそこまでやってもよいのかな。なんて伊藤計劃さんを読むと思ってしまうわけです。

ぼくたちは目を逸らしているだけではないのか。是非の議論が必要なのではないか。全ての人が考えるべき問題ではないのか。

先とか後とかじゃなくて、文学にはそういう問題意識の拡散効果があるということは分かった。

プロフィール

プロフィール画像
ニックネーム
プロト
性別
青年
血液型
AB型(公称)
生年月日
1106
現住所
そこそこに広い部屋
所在地
御茶ノ水界隈。
職業
gakusei
自己紹介
すきなことしていきてたい。

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