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東町太鼓台の歴史    懐かしい写真

東町太鼓台の歴史 懐かしい写真
                          
 太鼓台の歴史等は伊予三島秋祭実行委員会のホームページに詳しく記載されていますのでごらんになって下さい。 ここをクリックすると伊予三島秋祭実行委員会のホームページに移動しますよ。

東町太鼓台の歴史
 
 東町では、明治中期頃には太鼓台を保有していたとされていますが、詳細については不明です。 
 昭和16年から17年にかけて皇紀二千六百年(昭和15年)を記念し制作さましたが、不幸にも太鼓蔵火災のためそのほとんどを焼失しました。
 わずかに掛蒲団のみを運び出すだけであったとのことです。 
 その後、昭和23年から24年にかけて町内大工棟粱、藤川 昇氏の指揮のもと、終戦後混乱の中、町内有志の尽力により制作されました。
 

 

 
      藤川 昇氏 略歴

 藤川 昇氏は1893年 明治26年生まれ。

 家大工(やだいく)でしたが、元来の器用さと寺社建築への興味が講じ寺社の建築を行っていました。京都の二条城の研究もされており何冊もの写真集を持っておられました。
 1925年 大正14年の 三島小学校 奉安殿 御造営にも従事されております。伊予三島市(現 四国中央市) 三島神社内 春日神社も建築されております。
 伊予三島市宮川2丁目 興願寺 の三重の塔の移築は藤川 昇氏の手によるものです。
 興願寺の三重の塔の移築では設計図などはなく、ベニヤ板に書いた簡単な図面での作業だったようです。

 昭和23年の東町太鼓台の新調の折には、大変尽力されました。東町太鼓台の新調作業の傍ら、初孫(男子)のために子供太鼓を作成された様ですが、子供太鼓の行方は現在わかりません。
 
 1970年 昭和45年 77歳で永眠されました。

 2006年 平成18年の秋祭りの際、東町集会所に近藤 泰山氏(東町太鼓台の欄間の作成者・・彫の名人)の研究グループが同氏の彫の調査に訪れました。
 
 欄間の写真撮影をしている時、欄間の裏に「大工 藤川 昇」の記載を見つけました。近藤 泰山氏の覚書の中に 伊予三島 大工 藤川 昇の記載があり、研究グループでも 藤川 昇氏との関係を調査していたそうです。
 
 近藤 泰山氏が愛媛県宇摩郡土居町(現 四国中央市)の出身であるところから、当時は親交があったのかも知れません。

右の写真上段左から2人目、
左の写真右から3人目が藤川 昇氏です。


三島神社内 春日神社完成記念写真
前列右から2人目が藤川 昇氏です。



現在の春日神社です。
建設当時は野外に祭られていましたが、
風化を防ぐ為社の中に保存されています。


懐かしい写真


昭和45年10月23日
土台の足を修理中の約1時間、交代で太鼓を
叩く東中学校の3年生。
宮入し本殿前にて「シャセイ」をしたところ、
土台の足が折れ、修理に約1時間を要しました。




昭和45年10月23日
土台の足を修理中の約1時間、
交代で太鼓を叩く東中学校の3年生。


昭和45年10月23日
東町太鼓台 夜太鼓(よだいこ)
電飾が華やかな頃です。
東町太鼓台の夜太鼓は見事ですね!!
(よいよう綺麗なんなあー!!)
(三島弁です)



昭和47年10月23日
夜太鼓を運行中の東町太鼓台。
当時は23日(神事 じんじ)の夜のみ
夜太鼓を運行して
いました。
東町太鼓台の夜太鼓は見事でしたよ!!



昭和48年10月23日

三島小学校上の踏切を渡る東町太鼓台。
当時、正式ハッピが無く江戸錦酒造の
ハッピを着ていました。



昭和48年10月23日
踏切を渡り終え一服です。



撮影年不明
写真が白黒なので昭和30年代と思われます。
10月23日 神事(じんじ)
東町公民館から三島神社までの宮入の途中です。




撮影年不明
写真が白黒なので昭和30年代と思われます。
10月23日 神事(じんじ)
東町 町内大西荒物店前の東町太鼓台



撮影年不明
写真が白黒なので昭和30年代と思われます。
10月23日 神事(じんじ)
この頃も、江戸錦酒造のハッピを着ていたのですね!!
若衆の背中に葵の御紋が見えます!



撮影年不明
写真が白黒なので昭和30年代と思われます。
10月23日 神事(じんじ)
三島神社への宮入を終えた東町太鼓台。




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