小説:守護霊は神様!?
1章 神様が憑りつきました
「…暑い…」
とある夏の日の朝。茹だるような暑さの中で、一人の少年がそんな呟きを漏らした。
肩にかかる程度まで伸ばされた髪は、左右非対称に外側にはねている。顔立ちは幼く、一見すれば少女にも見えかねない顔立ちだ。身長は低くもなく高くもなく。まあ、男子の平均身長には届いていない程度の身長である。
そんな少年は、着ている制服のポケットからハンカチを取り出し、滲む汗を綺麗にふき取った。
「…喉乾いたなー…と言うか、まだ6月の終わりでしょーに。なんでこんなに暑いのさ…」
今この場にカレンダーはないが、時は6月27日。学生である少年にとって、待ちに待った夏休みと言うイベントまで1か月を切った頃である。
だが、少年の頭の中にはその夏休みが来ると言う嬉しさは全くない。
あるのは、この茹だるような暑さへの恨み言だけである。
「くぅ…絶対、学校についたら購買でアイス買うんだ。絶対に買うんだ…」
何か変なフラグを立てそうになりながらも、少年は一人でよろよろと通学路を歩く。
暑いから冷たいものを欲する気持ちは分かるが、ここまで衰弱しきっているような雰囲気で喋られると、逆にそれは逆効果だと思ってしまう。
犬のように舌を出し、そこから体温を少しだけでも下げている様を見れば、さらにそう思う事であろう。
杖を突いて歩いていないだけ、まだましに見えそうになるくらいに。
「…あ、ようやく校門が見えた…」
助かったとでも言うように、少年は目の前に見えた石造りの門を見て、少し元気を取り戻す。
そして、最後の力を振り絞るように校門を通り過ぎた時、ぱったりと倒れた。
「…学校に着いたぞー」
ただそれだけを呟き、少年、滝宮 稲羽(たきみや いなは)は目的地である購買にたどり着く前に力尽きた。
・・・・・
・・・・
・・・
・・
・
「ふんがっ!」
どこにそんな体力が残っていたのか、稲羽は体操選手張りの立ち上がり方で立ち上がる。
そして、その勢いを殺さず利用し、数歩歩いてその場を離れる稲羽。
すると、その真後ろから一人の人影が突っ込んできた。
「い~な~く~ん~、会いたかったぞ~~」
「…澪(れい)ちゃん…暑いよ…」
「ん~! 今日も稲君は可愛いな~!」
ムシムシしたこの暑さを何とも思わないのか、人影は嬉しそうな声を上げながら稲羽の頬に頬擦りを始め、スタイルよく育ったその体を余すことなくこすり付ける。
その行為に稲羽は抗議するのだが、人影は全くと言っていいほど聞く耳を持たない。
逆にその行為がツボにはまったらしく、軽く身悶えしている始末。
「…お持ち帰りしていい?」
「いいわけないでしょ! これから授業なんだよ?」
「嫌だー。面白くない授業なんて嫌いだー。あたしは稲君といちゃいちゃしてたいんだー」
駄々をこねる子供のように、がっくんがっくんと稲羽の体を揺らす人影。
稲羽よりも人影の方が身長が高いために、どちらが子供かは分かりにくいのだが。
笠木 澪(かさき れい)。茶髪のロングポニーテールで長身。若干吊り上った薄めの瞳の色が印象的な稲羽の友人であり、学校一と言われる不良の少女だ。
不良と言っても、いきなり相手に向かって「ゴラァ、なにメンチ切ってくれとんねんワレェ!」とか言うような不良ではない。
ただ腕っぷしが強いだけの勉強嫌いの少女である。
ではなぜ学校一と呼ばれるのか、それは彼女の性格と素行による所が大きい。
授業は当然のようにサボる。もし仮に出ていても寝ているか話を聞かない。喧嘩の仲裁に入ったはずが、両者を叩きのめしてしまう。
などの理由から、澪は不良と言われているのである。
そして、さらに厄介な所はもう一つある。
「もう、そんなんじゃほんとに退学しちゃうよ? 高校二年生にもなってるんだから、そんなんじゃだめだよ澪ちゃん」
「うぐ…退学は嫌だなー。稲君と会えなくなる」
「ならきちんと授業に出る事。頭いいんだからさ」
厄介な所。それは稲羽の周りにいる者達にだけで呼ばれる、『稲羽依存症』の感染者であるからだ。
稲羽が学校に来ているから学校に来ている。
稲羽が学校を休めば学校には何があっても行かない。
稲羽が早退すれば早退する。
と言った稲羽中心のスケジュールで動いているのである。澪は。
そして、普通そんな事をすれば教師から大目玉をくらう所なのだが、たまにしか受けないテストでは学年トップクラスの成績を叩き出しているために教師もなかなか口を出せずにいるのだ。
稲羽はそれを分かっているため、何とか澪を授業に普通に出させようとしている。
まあ、友人たちや教師からのお願いでもあるのだが。
「うーん…なら仕方ない…今日は出るか…」
「その意気だよ澪ちゃん! で、いい加減離してくれるとありがたいんだけど…」
「ダメだ。稲君分を補給するんだ~」
ぎゅうーと言うように稲羽の体を抱きしめる澪。
スタイルのいい澪に抱き着かれ、内心心臓バクバク物の稲羽だが、ここは努めて冷静に言葉を絞り出した。
なにせ、自らのこれからの補給分であるアイスが購買で待っているのだから。
だが、神様とやらはそんな簡単に事を運ばせてはくれないようだった。
「おーい稲羽、今日も可愛さ飛ばしてるぐぅ!」
手を振りながら近づいてきた一人の男子生徒が、言葉を最後まで言わせてもらえないまま澪の蹴りを食らう。
捩じりこむように放たれた蹴りは、見事に男子生徒の腹にヒットし、錐もみしながら吹き飛んでいく。
そんなありえないほどの攻撃を繰り出した澪はと言うと、稲羽の体はしっかりと抱きしめたまま。
―――どれだけ離したくないのであろうか。
「さあ稲君! あたしたちの邪魔者はいなくなった! 愛の逃避行と行こうじゃないか!」
「いやいやいや、物凄くおかしいよねそれ! それに憲(けい)君物凄く飛んでったけど大丈夫なの!?」
「おい笠木! いきなりコークスクリューミドルキックとはどういう了見だ!」
吹き飛ばされた男子生徒を心配する声を上げる稲羽をよそに、澪はその体を担ぎ上げる勢いで走り出そうとする。
だが、その動きは蹴り飛ばされた男子生徒の声によって止まった。
「なんだそのネーミング。気持ち悪ぅ…」
嫌そうに歪められたその表情は、稲羽に対する表情とは全く別物。
『稲羽依存症』であり、『稲羽至上主義』である澪は、稲羽以外の人間などどうでも良いのだ。
「うるっせ! だいたいなぁ、稲羽! 朝から見せつけてくれんじゃねーよ! 一人身男子の嫉妬心を喰らえ!」
「ええぇ! 理不尽だよ! 僕はアイスが食べたいだけなのに!」
ビシッという音が出そうなほどに手を突き出した男子生徒は、少し血走った目を稲羽へと向けて走り出す。
そんな理不尽極まりない怒りを向けられ、稲羽は困惑の声を上げる。
身を翻して逃げようとした時、その体はがっしりとなにかに止められた。
なぜ止まったのか。考えるまでもない。澪が抱き着いているからだ。
「う~ん~…やっぱり稲君はいい匂いがするなぁ~」
完全に変態の顔で、澪が稲羽を羽交い絞めにしながら首元に顔を埋めて息をしている。
Rの付いた話になりそうな展開だが、稲羽は迫る男子生徒の気迫にそんな事を気にしていられない。
だが、澪の羽交い絞めを抜け出せるほどの腕力を彼は持っていない。ただでさえ澪は普通の男子より腕力が強いのだ。
普通の男子である稲羽が抜け出せる訳がないのである。
そして、稲羽が迫る気迫に目を閉じて、繰り出されようとしているものに身構えるために体を強張らせた時、救世主が舞い降りた。
「こら愚弟。いい加減にせんか」
「あ、姉ちゃぐぅ!」
脳天めがけて振り下ろされた女性の拳が、男子生徒の頭にクリーンヒットする。
鈍い音を出した頭を押さえて地面を転がる男子生徒を放って置きながら、女性は稲羽に声をかけた。
「滝宮。うちの愚弟が迷惑をかけたな」
「あ、秋穂(あきほ)先生。…いつもの事なんで、大丈夫ですよ」
未だに地面を転がり続ける男子生徒を遠目に眺めながら、稲羽は軽く頬が引き攣った状態で笑う。
鰐渕 秋穂(わにぶち あきほ)。稲羽や澪が通う私立簗舞瀬(やなぶせ)高等学校、通称簗高の教師だ。
知的に見えるノンフレームの眼鏡をかけ、ショートカットのザックリと切られた短い髪が、いかにも出来る大人の女性を体現している女性である。
だが、実際に出来る女なのだが、言葉よりも手が先に出る人物なのだ。
「いつもの事、か。まあ、いつもの事だな、確かに。毎度毎度自分の弟を殴らなければならないと思うと、私も心が痛いよ」
「あはは…」
苦笑いする稲羽をよそに、しれっと表情を一切変えずに下を向く秋穂。
その先には、ようやく転がるのを止めた男子生徒の姿が。
「姉ちゃん! いきなりは痛いっていつも言ってるじゃねーか!」
「学校では先生だ馬鹿者」
再度拳を落とされる男子生徒。
会話内容から分かるように、この男子生徒は秋穂の弟である。名を鰐渕 憲太郎(わにぶち けんたろう)。黙っていれば爽やかな高身長イケメンの少年だ。
黙っていれば。
「おおぉ…いてぇ…だが、これも姉ちゃんへの愛があれば…」
「抜かせ弟」
三回目の打撃音。中々にタフな少年である。
実は憲太郎、シスコンなのだ。それも重度の。
姉である秋穂の事を愛して愛して愛して愛して愛してやまない高校二年生。それが憲太郎だ。
だが、その愛を必ず姉は鉄拳で返すため、最近はそれすらも喜びに変えるためにマゾになるため特訓中だとか。
「飽きずに毎朝よくやるな姉弟は」
「「いや、お前には言われたくないぞ?」」
「???」
澪の突込みに、秋穂と憲太郎が揃って声を上げる。
まあ、稲羽の体に抱き着いたまま、顎を頭の上に載せている状態の澪に言われたくない気持ちは十分に分かるが。
そして、その顎を乗せられている稲羽は顔が真っ赤である。
それはそうだろう。豊満な胸を、その背中に余すことなく押し付けられているのだから。
「…まあ、こうやって私が出張ってきた理由はお前にあるんだ。笠木、職員室まで来い」
「嫌。臭いから行きたくない」
「…それは一理あるな。私も行きたくはない。ならどこにするか…」
「先生…それはあんまりな理由だと思うんですが…」
「仕方がないだろう。ここの教員で一番若いのは私だ。それに、あそこは少し年寄りが多い…分かってくれるだろう?」
「…分かりたいような…分かりたくないような…」
頬を掻きながら、困ったような声を上げる稲羽。
教師としてその発言はどうなのかとは思うが、それでも呼び出そうとしている澪自身が行きたくないと言っているのだから場所は変えないといけないだろう。
「姉ちゃん、そもそも笠木を連れて行こうとするのが間違いだって。連れて行くなら稲羽も一緒に」
「…それもそうか。なら滝宮、一緒に来てくれるか? あと、この場では先生だこの愚弟が」
「あべしっ」
「おお! 稲君が来てくれるならあたしも行く!!」
「ええ!!?」
「さぁさぁ! レッツゴーだぞ!!」
抱きつかれていたままになっていた稲羽に、急にテンションの上がった澪を止められる術はない。
軽く神輿のように持ち上げられ、憲太郎を殴ってすたすたと歩いてしまっている秋穂の後を追わせられる。
ちなみに、四回目の脳天への打撃を喰らった憲太郎は、もはやもがき苦しむこともなく意識を手放していた。
「おい、結局どこに行くんだ? あたしは稲君がいるから問題ないが」
「ふむ…なら応接室でいいか。あそこならそこまで臭くない」
「…結局皮臭いじゃないか」
「それくらいは我慢しろ。滝宮がいるんだろう?」
「ねぇ!? 僕の意見はなし!? 僕の意見は何も聞き入れてくれないの!?」
わっしょいわっしょいと持ち上げられながら移動させられる稲羽の声は、全くと言っていいほど女性陣には届かない。
いや、もし仮に届いたとしても聞き入れられる可能性は限りなく低いが。
そして、最後とも言うべき稲羽の嘆願の声は、先ほどから願っていたことだった。
「僕は、アイスが食べたいだけなのにーー!!」
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