篆刻のはじめに
これからここで暫く、篆刻についてこの頃思うことを書いていこうと思います。
それほど長い時間ではないでしょう、暫くの間、お付き合いを。

篆刻のはじめに
篆刻を始めて二十数年が経ちました。この頃思うのは、しっかりと技法を身に着けて、古璽にも詳しく、よい篆刻を見る目を持った師に着くことの大切さです。
よい先生が身近にいるとは限りません。先生につけば人と人との関係の難しさもあるでしょう。書店には「気楽に始めましょう」と誘うHOW t0本が溢れています。
篆刻で最も大切なのは彫り味です。石に刀で彫って、その時にこそ得られる線の味わいです。石に彫って得る線は、紙に筆と墨で書かれた書の線とは本来全く別の味わいを持っています。篆刻の線は書の線を辿るべきなのでしょうか。わたしにはそうは思えません。
篆刻の線は篆刻の線、書の線は書の線です。
切り回し法という刀法をご存知でしょうか。
なにを用意せよ、どんな字を彫るか、そういうことを書いた指南書は、掃いて捨てるほどあります。わたしが驚くのは、彫り方を教えている本がないことです。
今の篆刻指南書で刀は印刀と呼ばれます。刀を印刀と呼ぶのは荒彫り法です。わたしたちは刀を鉄筆[teppitsu]と呼びます。鉄筆は切り回し法で使われる刀です。鉄筆と印刀は似て非なるものです。鉄筆は幅十五ミリ以上、厚さは六、七ミリはあるでしょうか。長さは普通の印刀ほど。刃は両刃で刀身に直角に仕立てられます。薄刃は嫌われます。一彫り一彫りに力を込める切り回し法では、薄刃は使い物にならないからです。
下は鉄筆の図です。右は鉄筆を脇から見た図です。鉄筆の刃はこの程度に厚く仕立てます。
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切り回し法で最も大切にされるのは彫り味、つまりエッジです。彫られたエッジは立ち上がっていなければなりません。エッジは稜と呼ばれます。理想は直角です。なぜか。彫りあがって印泥をつけて紙に捺すとき、稜が緩く鈍角では、その鈍角に印泥が溜まって呆けた線にしか捺せないからです。
篆刻を捺して、印泥のついた場を朱陣と言います。印泥がつかず、白いままの場を白陣と言います。篆刻においては朱陣と白陣の拮抗こそがいのちです。それも、広くて数センチ角、狭ければ数ミリ角の中でそれを争うのです。ミリを越えた精度が必要とされます。そのとき稜が緩いか鋭いかかは、篆刻の出来そのものと言ってよいでしょう。
でも、今、篆刻と言いながら一番大切な彫りが甘いのはなぜでしょう。わたしが思うに、それは指導者がすでに彫ることを知らないからです。

かつて、篆刻家は注文によって篆刻をひとつ彫れば二ヶ月ほどは暮らせたのだそうです。それほどの代価を支払って、注文主はよい篆刻を手に入れました。それほどに篆刻に価値を見出していたのです。
今、篆刻は自刻が一番と言われます。はんこひとつに高い代金を支払うのはなにか釈然としない。早く言えば、自分で作れるものにそんな大金を掛けたくない。ものを単純にしか考えない多くの人々に自刻の勧めは魅力的でした。
正当な代価を支払われないものが質を維持していくことなどできません。文化財に指定され、博物館に納められ、いのちを失うしかないのです。常に時代の真ん中で、多くの人々に支えられ、生きる糧として売買されて、文化は生き抜いてゆくのです。 歯車のひとつが失われ、やがて循環は循環でなくなり、いたし方のないことですが、篆刻家は暮らしのために大急ぎの仕事をこなしてゆくだけになっていきました。
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上の図を参照してください。
鋭い稜を作るには土手を立てることです。
土手を立てるには、時間を掛けて切り回し法を身に着けます。切り回し法は簡単に、一朝一夕に身に着くものではありません。最初は、練習のために嫌になるほどただパターンを彫るしかないのです。わたしが始めたとき、先生は「先ず、パターンを百顆」とおっしゃいました。「百顆彫ったら、そこがスタートです」。
篆刻家は長い時間を持って育てられ、篆刻をひとつ彫れば二ヶ月を暮らせるという環境の中で、篆刻について考え、調べ、研鑽を積むことができました。その循環の中で、よい篆刻が生まれました。正しく仕立てられた印面に、時間を掛けて身に着けた切り回し法によって彫られ、稜の立った、捺してくっきりと美しい印影を得ることのできる、それこそがわたしに言わせれば篆刻というものです。
1950年ごろから篆刻作品が書や絵画と共に大きな展覧会に展示されるということになりました。そのころの展示は、今のように判で捺したように同じ流派の篆刻作品が並ぶということはなく、各人各様の風がそれは楽しいものだったそうです。そうして篆刻は一時隆盛に向かうように見えました。篆刻への入門者も増えました。そこで多くの入門者を対象に採用されたのは、力のコントロールがしやすい引き彫り、早く彫ることのできる「走る」刀法でした。初心者にも早々に作品制作が可能だからです。
そうして、嘗て文人たち、篆刻家たちが長い時間をかけて経験の中で育てた押し彫りによる切り回し法は忘れられていきました。
中国では 散木の時代に既に切り回し法は忘れられていたようです。知らないものは仕方ない・・・。そして、中国でも日本でも残ったのは職人のための彫り、引き彫りによる荒彫り法でした。
素人が自刻してはよい篆刻はできないのか。そんなことはありません。単純な、おもしろくもないパターンを彫るというそれを嫌わなければ、切り回し法を身に着けて、本物の篆刻を彫ることは可能です。
わたしはパターンを彫るのが好きでした。ありとあらゆる線を印面に書きこんで、来る日も来る日もそれを彫りました。一彫り一彫りは同じに見えて同じではありません。どのパターンもそれ自体が、工夫次第で、わたしにはすでに文字と変わりなくおもしろいものでした。
みなさんに、ぜひ自刻をお勧めします。わたしがここに書いた、この多少ともややこしい切り回し法を身につけて、自在に彫る篆刻の醍醐味を、ぜひ味わっていただきたいと思います。
篆刻は小さな石の小さな四角い面に「宇宙」を築こうという試みです。一朝一夕に「宇宙」ができてはおもしろくもないというものです。
篆刻が生まれた中国では、篆刻は、三絶と言って詩、書、画を極めた文人の四つ目の愉しみでした。篆刻を入れて四絶と呼ばれました。
大人の遊びは遠大でなくては。
*このページは随時書き改めています。
こちらへもどうぞ。
ET-CETERA http://etsetera.exblog.jp/
small hours http://www.crapaca.com/gallery/harr/
プロフィール

- 晏々
- 墨だけで刷る木版画に捺すために篆刻を始めて既に20年以上が経ちました。
優れた先達が口を揃えるように篆刻は一朝一夕にはできません。そこがまたおもしろいのです。
ここ守破離[syuhari]ではゆっくりと広く篆刻の周辺を楽しみながら、篆刻の本質に迫っていきたいと思います。
since 2011.01.31
- 自己紹介
- 「ユージュアル サスペクツ」 ~わたしの缶ビール賛~
あなたが向こうを向いている間
わたしは殺人鬼
夕方の台所で
明日のために包丁を研いでいる
ご機嫌で缶ビールなんか飲みながら
あなたが向こうを向いている間
わたしは詐欺師
誰彼なしに引っ掛けようとしている
一杯機嫌の太ったサンタクロースなんかになりすまして
あなたが振り向いた時
わたしは天使
誰にも気付かれずに地面から五ミリだけ浮かんでいる
後ろ手に慌てて缶ビールなんか隠しながら
あなたが振り向いた時
わたしはまだそこにいるだろうか
束の間与えられたいのちの時
後ろ手に慌てて缶ビールなんか隠しながら
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