ブログ
2014年4月8日 12時15分00秒 (Tue)
佳桜忌
ブログを読んでいてくれる皆さんへ今まであえて書かなかったけど
思う事あり、今回は書こうと思います。
とても長い文書です。
興味持たれた方は読んでみてください。
4月8日は何の日?
世間一般では
お釈迦様の誕生日
うちの家では母親が
卵巣癌から手術をして
生還した日
そして有る芸能関係では
佳桜忌と呼ばれる日です。
それは今から28年前の
1986年4月8日に
1人のアイドルが自ら命を絶った日…。
その人の名前は
岡田有希子
芸能活動はわずか2年すこし
18歳で物故の人となり
一瞬の瞬きのごとく芸能界をかけて行った
彼女。
ファンの間では、ユッコと呼ばれていました。
実は、子供のころの僕は
その岡田有希子さん
が大好きでした。
正確に言うと今でも好きです。
彼女がデビューした時に小学校低学年だったけど
凄く記憶に覚えていて
その小さくてかわいらしい容姿もさる事ながら
話し方やしぐさなどが、とても好きで
少し儚げで頼りげなくて
守ってあげたくなるようなお姉さん
という感じでした。
小学生のお小遣いは、たかが知れているので
当時のLPやCD、アイドル雑誌などは当然買えず
親にねだって買ってもらうか
それでも、満ち足りない場合は
近所の仲良くなったお兄さんに
よく見せて貰いました。
そんな彼女が2年後、4月8日に
あのような悲劇に見舞われました。
新入式の後、家に帰ってテレビを見ていると
テロップ速報で彼女の自死を知りました
事務所のビルから投身。
そこからは、あまりにも現実とはかけ離れた事に
頭の中が真っ白になった記憶があります。
その後のTVの生中継で自死の現場となった
ご自身の芸能事務所での血の跡のある映像や
毛布にくるまれた彼女のご遺体の姿なども
撮影されていました…。
何故、こんなのを映像で流すのかな?
人の死が面白いの?
とその時に違和感というか
チクチクしたものを感じました。
次の日の朝には
とあるゴシップ新聞が一面で
彼女の自死直後のご遺体の写真が
載った新聞が掲載されていて
6年生がそれを持ってきて
学校中が大騒ぎになっていた。
「怖い!気持ち悪い!」
「お化けが出そう」
とか、ある種の
子どもの純粋すぎるが故の思ったことを
口に出しただけだと思いますが
純粋ゆえの無意識の残酷な
その言葉が
とても悲しかったのを覚えています。
他には、学校内にカンコー学生服の
彼女のポスターが
あったのですが
それから血の涙が出たなどの
デマが流れてそのポスターはなぜか
剥がされていました。
…なんでそんな事をするのだろうか?
子どもすぎて、表現する方法が
見つからなかったけど
そんな違和感を感じていました。
結局、彼女が亡くなった
原因の自死は勝手に自分で命を絶ち
その命を粗末にした
本人が悪いという事で
その当時の5月に出る予定だった
新曲も発表、発売も中止となり。
その後、岡田有希子さんを語る事は
社会的にも特に芸能界では
一種のタブーなってしまいました。
そして勇気のなかった僕も
岡田有希子さんのファンだった
という事で後ろ指を指され
仲間外れにされるのでは
という恐怖を感じ
嘘をついてしまった
クラスメイトに
「お前、岡田有希子好きじゃなかったっけ?」
と言われた時、咄嗟に
「別にファンでもなんでもないよ」
そうして自分に嘘をついて
そして、この世からいなくなった事を
認めたくないという思いで逃げるように
自分自身に記憶を亡くすくらいの思いで
忘れる事にしました。
その時に彼女は
ある意味、2度
世間から殺されたのかもしれません。
命を絶ったことと
人々の記憶から、意図的に消されてしまった事。
記憶に消される事は
臭いものに蓋をするのと同じで
彼女はおろか、遺族もとても傷ついたと思います。
彼女は何も悪い事をしたわけでもないのに…
生きた証しや
2年間の短いながらも懸命に駆け抜けた
芸能人としての活動履歴や
美しくて心癒される歌声など。
そんなことは知りつつも
世間の目を気にしすぎた
臆病な僕は10年以上も記憶に消してしまい
思い出さないようにし
そして、いつの間にか忘れていました。
そんな記憶に消した
岡田有希子さんの事を
再び考える機会になったのは
今から5年前でした。
この頃には、岡田有希子さんの事も
稀に特集をしたり
発売が、中止になっていた
幻の曲の2曲
花のイマージュ
秘密のシンフォニー
これらが入ったアルバムも
発売されてきたりして
少しづつ岡田有希子さんの唄などが
再評価されてきていました。
ここに至るまで、当時ファンの人たちが
有志で集い、署名活動や根気強く行い
また遺族や関係先に交渉を続けてきた
賜物でもありました。
そんな折の中
切っ掛けは子どもの頃に
雑誌や音楽を一緒に見たり聴いたりしていた
近所のお兄さんでした。
突然自宅に電話がかかってきて
「自分が病気になったので、代わりに
あの場所に行って花を手向けてほしい」
肝硬変になったそのお兄さんは
今の体力ではいけないので
代わりにあの場所に行ってほしいと
その場所とは、あの現場でした。
聞けば20年ほど前から毎年、4月8日に
あの場所に献花に行っていたそうです。
最初は嫌でことわりましたが、必死に頼むので
仕方なく、その時は行く事にしました。
その現場である
四谷3丁目の大木戸ビルに到着しました。
僕にとっては初めて訪れる場所…。
少し警戒しながら近づくと
50人近いファンと思しき人がいて
次々と献花をしていました。
当時のファンの方もおれば
10代20代のファンの方もいました。
献花して黙祷を済ませて
何人かに話しかけてみると
当時の思い出とか
最近ファンになった理由を
みんな楽しそうに話していて
悲嘆にくれずに、彼女の歌の話題や
彼女が生きていた証しの2年間での
芸能活動で、様々な作品を世に出してくれた事を
感謝していた事がとても衝撃を受けて
自分自身も何か雲が取れて
晴れやかな気持ちになりました。
何かが変わった瞬間!
それも健やかな意味で!!
結局そのお兄さんは
10か月後に亡くなってしまうのですが
彼とのこの事があってから
考えが少しづつ変わり
逃げていた事に向かい合う事になり。
5年たった今も、献花しに現場に行っています
(ちなみに今回も同様に親の癌検診の後に
すっ飛んで行きました)
自死(自殺)する事を
よく自己責任論でいう方や
心が弱いなどの一言で片づけ
ネガティブな方向へカテゴライズする
風潮がまだこの日本の社会的価値観があります。
自死する人が悪いわけではなく
亡くなるに至る経緯を考えておらず
それをフォロー出来ずに見過ごす社会に
問題があるのではないかと思います。
自死した本人はそこで終わりかもしれないが
その人の生きた証しや人としての尊厳
そして残された遺族の人生もあるわけだし
自死した→弱い人→そこで終わり
ではなく、亡くなった人とその遺族
友人やまたはその関係者。
その人たちが良い思い出を一緒に抱きながら
今後の人生をどのように歩んでいくのか?
そのような先を考える必要が
あるのではないかと感じました。
ユッコこと岡田有希子さんを
世間一般では自死したアイドルで
カテゴライズして
偏見や差別的な目で見る人は
これからも居るでしょう
ではそういう世間の固定概念のようなものを
少しでも減らすには?
それは、少しづつでも、彼女の素敵な歌声や
生きていた時の話しなどを周りにも
ファンだった人、これからファンになる人も
堂々と彼女のファンである事を名乗る!
案外これが一番かもしれませんね。
そう!
今まで言えなかったけど
僕は岡田有希子さんの大ファンです!
彼女の歌声は
不思議と心が癒されます。
これからも大ファンです!
ユッコ最高!!!
2014年3月31日 22時56分27秒 (Mon)
こんなヒーローも居てもいいと思う!
土曜日の午前中にお会いした緑色の素敵な方というのは
どなたかというとこの方です。
地域に密着した、活動のひとつとして
こども連れのおかあさんの
ベビーカー荷物や下すのを
お手伝いしています。
方南町駅はエレベータがなくて
階段だけなのですが
その階段の斜面がかなりあり
ベビーカーや荷物を下すのに
かなりの危険を伴います。
その様子を見ていて
このお手伝いをする活動を
思い立ったそうです
地域にとどまって小さくて地道な
ボランティア活動。
道行く人に挨拶をして
何気ない会話や
気軽に写真撮影に応じたり
雨の日も風の日も
駅の階段の前に立ち
町の人とのコミュニケーションを
大切にする。
地域密着のローカルヒーローは沢山いるけど
今までにないヒーローの姿を見ました。
戦うという事は最終手段。
勝っても負けてもお互いが傷つく
戦わない庶民派ヒーロと言うのは
案外素敵な事なのかもしれませんね
2014年3月23日 14時49分19秒 (Sun)
3月は出会いと別れの月
3月は桜が咲いて
新しい出会いと
別れの季節でもありますね
私も、そんな経験を最近しました。
詳しく説明すると
解れでもあり、新しい目線での
出会いでもありますが…。
私が、心の底から尊敬して敬愛する
人物がいます。
あえてその人の個人総称を
あやつと呼びます。
とある場所に沢山の個性的かつ
素敵な仲間と一緒にいる
あやつ。
居心地良くて、寛容さの宝庫でもあり
大好きだったあの場所
そして尊敬し敬愛するあやつがいる。
あの場所…。
生きかたや活動のセンスを学べて
本当にカッコいい!
沢山の恩恵を受けてきた
あの場所とあやつに
しかしながら
思いは断ち切らないとね。
こればかりは、人の縁だから
どうする事も出来ない。
いつまでも未練持っていてもいけないし
あやつは、心優しいから
変に責任感じたり
次の会う時に、お互い距離を感じたりするから
自分がそう思い人として
尊敬の想いで接する事で
人として尊敬するあやつに
重い罪悪感を感じさせてもいけないから
頭を切り替えて
笑って今度会おう。
新しい出会いと
別れの季節でもありますね
私も、そんな経験を最近しました。
詳しく説明すると
解れでもあり、新しい目線での
出会いでもありますが…。
私が、心の底から尊敬して敬愛する
人物がいます。
あえてその人の個人総称を
あやつと呼びます。
とある場所に沢山の個性的かつ
素敵な仲間と一緒にいる
あやつ。
居心地良くて、寛容さの宝庫でもあり
大好きだったあの場所
そして尊敬し敬愛するあやつがいる。
あの場所…。
生きかたや活動のセンスを学べて
本当にカッコいい!
沢山の恩恵を受けてきた
あの場所とあやつに
しかしながら
思いは断ち切らないとね。
こればかりは、人の縁だから
どうする事も出来ない。
いつまでも未練持っていてもいけないし
あやつは、心優しいから
変に責任感じたり
次の会う時に、お互い距離を感じたりするから
自分がそう思い人として
尊敬の想いで接する事で
人として尊敬するあやつに
重い罪悪感を感じさせてもいけないから
頭を切り替えて
笑って今度会おう。
2014年1月5日 21時30分00秒 (Sun)
気分をリフレッシュ!
昨日は、気分のリフレッシュを兼ねてアイディアの宝庫がある
かの地へ行きました!
そこで映画の
ハンナ・アーレントを観てきました。
あまり話すとネタばれになるので
大まかに内容を話しますが
1960年に潜伏先で囚われた
ナチスのアイヒマンが
強制収容所で行った
その悪の行為について
戦犯として裁かれるのですが
裁判内容を傍聴した彼女が
客観的に見て記事を寄稿する…
…という内容のストーリです。
野獣とまで言われた
アイヒマンが極めて平凡で
そして役人であった事
悪の行為を事務的に
淡々とこなしていた事
現場の凄惨さも知らないので
罪に問われる事に
アイヒマンは疑問を感じており
「網で焼かれる肉の気分だ」
と冒頭陳述で話していた事に
不思議と違和感を感じませんでした
それは、人は大勢の社会的空気や
戦争という名の狂気の中では
刃向う事を無意味と考え
思考を停止してしまうからです。
日本の戦時中も
よく似た事はあったのだと思います。
大多数の意見と反して意見を述べるのは
大変な労力を要します。
考えをなくすという事は楽だけど
思考を停止するのは
それは人としての責任放棄になる
事務的に生きる事への
疑問を投げかける作品でした。
今、0か100じゃないと駄目!
的な風潮が日本社会に流れていて
みんな議論する事を放棄している。
これってある意味恐ろしい時代が
迫ってきているように感じます。
今の時代だからこそ
見るべき先品なのかも
あ、ちなみにパンフの隣にあるのは次に見に行きたい映画です。
プロフィール
- 名前:ブックオブ・りーふぐりーん 運営事務局
- 生きている図書館(ヒューマンライブラリー)
有志団体のブックオブ・りーふぐりーんです
9月から共同運営になりました。 - 生年月日
- 2010年10月2日
旗揚げ日 - 現住所:埼玉県川口市の夢の国(笑)
- 活動拠点は主に埼玉県の南部になります。
- 埼玉県川口市川口1-1-1 キュポ・ラ本館棟M4階 団?
- 共同作業事務所になります。
共同作業事務所を貸して頂いている
川口市民パートナステーションさん有難う!
- 職業
- 生きている図書館の館長♪(笑)
- その他
- イベント運営に
手伝ってくれる方募集中!
運営費が殆ど無いので
ボランティアでお願いします。
ブックオブ・りーふぐりーんの
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