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2019年5月 アーカイブ

2019年5月24日 12時49分39秒 (Fri)

世界的景教研究家・佐伯好郎博士 その九 医事伝道の働きのために医療宣教師を要請 その二

 「彼らは有名ではあったが、医療宣教師ではなかった。私たちは医療伝道者を日本には殆ど持ってこなかったが、只一人、ヘップバーン医師が良く覚えられている。彼は長老教会宣教師として長年働いた。この医者は大変尊敬され、非常に国民を愛した。彼は聖書を日本語に翻訳することによってキリスト教のために具体的に助け、彼が米国へ帰る時には多数の会員たちと共に素晴しい教会建物を残した。私が知る限りは日本には今は医療宣教師がいない。あなた方は医師の学位を持つ数名の宣教師を見つけるかも知れないが、誰一人として医事伝道の働きに従事していない。現在、七七七人の宣教師が日本にいる。これらの殆どはプロテスタント教派に属しているが、彼らの中に一人も医療宣教師はいない。私たちが聖書の言葉、『病人をいやし、らい病人をきよめ、死人をよみがえらせ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい』を瞑想する時に、なぜアメリカの善良で親切なクリスチャンが『福音を宣べ伝える』と同様に『病人をいやす』ことが出来る宣教師を私たちに送らないのだろうかと、とにかく私たちは不思議に思うのである。もし、神の摂理の内に七七七人の中に五〇人又はそれ以上の良き医療宣教師がいたとしたならば、宣教地の現在の状況はどんな結果になっていたであろうか。ああ、もし一人の医療宣教師がいたならどんなに良いことであろうか!この点で、あなたは『現地の医師たちを得ることは出来ないのか?もし、あなたが彼らを得ることが出来れば、私たちに医療宣教師を送る要請は何になるのか?』と私に聞くかも知れない。これに対して私は答えるが、私たちは多くの医師をもっているが、クリスチャン医師は殆どいないのである。医師たちはどこででも宗教を信じない傾向にあり、日本人医師たちは懐疑主義においては他の全てに勝っている。先の聖句から、私たちは医療宣教師は神の王国を拡張するために最も効果的な手段であり、日本を含めどこででも歓迎されることが出来る。それ以上に、現地の医師たちに近づくために私たちは医療宣教師を持たなければならない。」(続く)
 

2019年5月17日 15時09分49秒 (Fri)

世界的景教研究家・佐伯好郎博士 その八 医事伝道の働きのために医療宣教師を要請 その一

 「ザ・ミッショナリー・マガジン」誌一八九八年八月号で佐伯好郎青年は「日本に於ける医事伝道の働き」と題して次のように書いています。「日本に於ける医事伝道の働きの必要性について何かを書く前に、私は日本に西洋の科学と医療術を移植し育てた数人のヨーロッパ人に言及しながら、昔の日本での医療の働きについて少し言わなければならない。注目すべきことは、全てのイエズス会の人々を排除した一六五〇年の大迫害の後、日本貿易の独占を謳歌したオランダにあらゆる西洋の事物を依存していることである。一六九〇年ドイツ人医師エンゲルバート・ケンパーが、当時の外国との商業と貿易のために唯一の開港・長崎に到着した。これは、島原町での三万人のキリシタン大量虐殺事件の僅か四〇年後のことであった。人々がそう呼んでいた『磔の宗教』を告白することを禁止するためと同様に、外国人と取引することを防ぐために政府によって厳しい立法措置が採用されていた。そのような政治条件の下で、ケンパー医師はその国を旅行することに成功し、遂に都に到着し将軍自身によって歓迎されたのである。他の外国人は将軍を見ることさえ出来なかったのに、この医師は宮殿に二年に以上も滞在したのである。彼は西洋の視点で人々の内的生活を観察した。当時の全ての外国人たちが支配下に置かれていた困難を描写した彼の伝記作家は、『その医師の医学的技術は現地人のいつものねたみと口の重い性質に打ち勝ち、そして彼がその人々について多くの価値ある情報を得ることを彼に可能にさせた』と言っている。これらは、全て彼が医者であったという事実によった。もし彼が医学的職業の人でなかったならば、世界は一七世紀の初期に日本の歴史で有名な働きを見ることはなかったであろう。百年ちょっと前に、再び、H・シーボルト医師が長崎に到着し、そこで彼の職業的技術を披瀝し、その国家の永遠の感謝になる『西洋の芸術と癒やしの科学』を日本人に教えたのである。更に約四〇年前に政府によって着手された多数の病院建築を監督するために、政府はオランダの医者ボールドウィン医師を雇ったのである。この時から、蒔かれてきた種が実を結び始めたのである。間もなく、かなりの数の日本人医者が良く教えられ、『治療の新しい方法』で完全に訓練されたのである。」(続く)
 

2019年5月10日 14時35分15秒 (Fri)

世界的景教研究家・佐伯好郎博士 その七 日本に帰国直後の宣教に関する貴重な記事と写真

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 「アドベント・レビュー・アンド・サバス・ヘラルド」誌一八九八年八月九日号は、同年同月号の「ザ・ミッショナリー・マガジン」誌は日本の特集号のようであると次のように紹介しています。「日本への元宣教師であったJ.A.ブランソン長老夫妻、現在同国への宣教師であるW.C.グレンジャー長老夫妻と令嬢、そして同国人であり現在そこにいる佐伯好郎兄、これらのすべての人々がこの号の中で記事を書いている。」これによると、佐伯好郎青年は日本に帰国しており、グレンジャー先生家族と共にいると考えられます。そして、その「ザ・ミッショナリー・マガジン」誌には、「日本」と題する編集者による詳細な情報に続き、W.C.グレンジャー長老の「日本に於ける働き」と題する記事と仏教僧侶の写真、J.A.ブランソン長老の「日本の光景」と題する記事、W.C.グレンジャー夫人の「日本に於ける個人的経験」と題する記事と夫人の教えるクラスの生徒たちとオガタ・チヨ嬢の写真、佐伯好郎青年の「日本に於ける医事伝道の働き」と題する記事と写真(左からドクター川崎杢太郎、プロフェッサー佐伯好郎、国谷秀)、ガーツルーデ・グレンジャー嬢の「日本に於ける外国人の習慣」と題する記事とグレンジャー母子と人力車と二人の車夫の写真、ソフィア・B・ブランソン夫人の「日本の女性」と題する記事と日本人女性の写真が掲載されていました。ここで、佐伯好郎青年が日本から記事を書いているばかりでなく、私にとって馴染みのある日本のセブンスデー・アドベンチスト教会の初期に日本人信徒になった二人との写真があったことは、私にとっては大発見でありました。これで、間違いなく佐伯好郎青年は日本に帰国してセブンスデー・アドベンチスト教会の日本での宣教に参画していたことが証明されました。そればかりか、彼が四年前に「アドベント・レビュー・アンド・サバス・ヘラルド」一八九四年九月二五日号で「宣教地としての日本」と題する記事を書き、その中で「聖霊の教えに従って私が受け入れた真理と健康改革の原則を教えるために帰国するのが私の願いである」と熱い思いを述べていましたが、今回の記事「医事伝道の働き」では具体的に米国から医師を宣教師として派遣するように強く訴えています。その主張は日本の宣教状況を良く分析した結果の論理的で説得力のあるものです。

写真説明: 左からドクター川崎杢太郎、プロフェッサー佐伯好郎、国谷秀

2019年5月3日 12時36分30秒 (Fri)

世界的景教研究家・佐伯好郎博士 その六 熱烈な宣教意欲の下に日本を紹介 その四

 佐伯好郎青年は、更に日本紹介の中で次のように綴っています。「日本は東洋の小さな島国であるが、オリエントで最大の宣教地である。ある人は、日本は小さな島であり、オリエントには大国である中国があるのに、どうして私がこのように言うことが出来るかと質問するかも知れない。多くの人々は、日本が東洋で最大の宣教地であるというのは私が自慢しているからだと思うかもしれない。しかし、宣教の働きが主として関心を注いでいるのは、国の広さよりも人々であること思いだして欲しい。私が主張しているこの逆説的真理を確信させるために、次の数字は十分であると私は信じる。」そして、彼は中国の人口密度が一平方マイル当り八四・五人に対して、日本は二六一人であることを書いています。「この他に、日本は中国や朝鮮の両国への玄関口としてあり、日本を通して真理が伝わる。日本人がこれらの国々に行く時に、白人が生まれながらに得ることのできない言語、作法、習慣の知識で有利である。日本が真理を受け入れた後には、その隣国を主に導く多数の人々と多数の便宜を持っている。『最後に、兄弟たちよ。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、また、あがめられるように。』(テサロニケ人への第二の手紙三章一節)。」このように、米国のミシガン州のバトル・クリーク滞在中の佐伯好郎青年は、セブンスデー・アドベンチストとして熱意溢れる宣教意欲を披歴しています。それでは、彼は日本への帰国後に、どこで、どのような宣教活動をしたのでしょうか。バトル・クリークでの滞在後、彼は直ぐには帰国していないようです。そして、日本のセブンスデー・アドベンチスト教会の初期の歴史を調査し、それを修士論文にした私にとって実に不思議なことですが、これまでの同教会の資料の中に、特に日本語の文献の中に「佐伯好郎」の名前を見たことがありませんでした。つまり、あれほどの宣教意欲に満ちていた佐伯好郎青年は、日本への帰国後はどうなったのでしょうか。どうして、彼の名前が日本の同教会の歴史の中にないのでしょうか。
 

プロフィール

プロフィール画像
性別
現住所
愛媛県今治市波方町郷乙404₋32
職業
牧師・宣教師
自己紹介
●新名(しんみょう) 忠臣(ただおみ)
●実践神学博士(米国アンドリューズ大学神学院)、元親業インストラクター
●札幌、小樽、苫小牧、仙台、東京・天沼で牧師を歴任。
●セブンスデー・アドベンチスト教団北海道教区長、青年部長、コミュニケーション部長、宗教自由部長、ラジオ牧師、総務局長等を歴任。
●宣教師としてシンガポールと韓国に在住し、副総務、コミュニケーション部、宗教自由部、出版部、ラジオ・テレ部等の部長としてアジア太平洋地域を巡回指導。
●最近まで、北アジア太平洋支部宣教部副部長。
●著書『夫と妻のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『親と子のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『わが青春は主のために』(三五堂)『暮らしの中のキリスト教』(新教出版社)『地球家族と聖書の言葉』(福音社)等。
Self Introduction in English
Full Name: Tadaomi Shinmyo
Sex: Male
Nationality: Japan
Citizenship: Japan

Education:
●B.A. in Theology in 1966 (Japan Missionary College)
●M.A. in Philosophy and Religion in 1972 (Philippine Union College Graduate School)
●Ordination: March 1973
●Doctor of Ministry in 1987 (Theological Seminary of Andrews University in USA)

Vocation:
●Pastor of the Japan Union Conference since 1966.
●Departmental Director of the Japan Union Conference for over 14 years.
●Radio Speaker and Japan Union Conference Secretary for a while.
●Missionary assigned to Departmental Director of Communication, Religious Liberty, Publishing Ministries, TV & Shortwave Radio Ministries, and Associate Secretary to Asia Pacific Division based in Singapore and Northern Asia-Pacific Division based in Korea for all together 9 years and 7 months.
facebook
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