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2018年12月 アーカイブ

2018年12月30日 11時21分52秒 (Sun)

キリシタン その一二 キリシタンの受難 その七 潜伏キリシタン

 隠れキリシタンに対して、潜伏キリシタンと言う場合には、キリシタン迫害を逃れて隠れてはいたのですが、キリシタン禁教令廃止の一八七三年(明治六年)前後に姿を世に現したキリシタンです。つまり、徳川幕府時代の強制改宗のために仏教を信仰していると見せかけ、キリシタンを偽装棄教した信者でしたが、後にカトリック教会に戻ったのが潜伏キリシタンと言うことになります。フランス人カトリック宣教師(パリ外国宣教会士)ベルナード・プティジャン(一八二九~一八八四)は沖縄の那覇に一八六〇年に渡来し、やがて一八六三年(文久三年)に長崎に上陸しました。そして、大浦天主堂建設に尽力して一八六五年(元治二年)に献堂式を挙行したのです。すると、この教会建築を見ていたであろう、又その噂を聞いていたであろう潜伏キリシタンが大浦天主堂を訪ねて来て、プティジャン神父に会うという劇的出来事があったのです。これは、潜伏キリシタンの浦上信徒の発見として大きな話題となりました。この様子が二〇一八年一〇月三日(水)のNHK総合テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」で「世界遺産 長崎・天草 キリシタン不屈の物語」の中で「エピソード四 ローマ法王も感動 奇跡の『信徒発見』」と題して放映されました。その番組のホームページの「バックナンバー」には次のように書かれています。「日本の開国をきっかけに、幕末にはふたたび外国人神父の日本入国が可能となりました。彼らの手で長崎に『大浦天主堂』が建てられると、のちに『東洋の奇跡』と呼ばれる出来事が――!ローマ法王も激しく心をゆさぶられたという日本のキリシタン、感動のクライマックス。」このような素晴しい歴史的快挙もあってのことだと思われますが、翌年の一八六六年(元治三年)にプティジャン神父は日本の教皇代理、及び司教となりました。ところが、実に皮肉なことですが同年に浦上四番崩れとして知られるキリシタンへの大規模な弾圧事件が起こったのです。これは、江戸時代末期から明治時代初期にかけての最後のキリシタン迫害事件でありました。
 

2018年12月21日 14時49分54秒 (Fri)

キリシタン その一一 キリシタンの受難 その六 隠れキリシタン

 img_20181221-055242.pngキリシタン迫害が強まる中で、表面ではキリシタン信仰を否定しながら、内面では信仰を持ち続ける、つまりキリシタンを捨てたふりをして信仰を続ける信者は、一般的には隠れキリシタンと呼ばれてきました。しかし、近年では隠れキリシタンと潜伏キリシタンの二種類に分離されています。そして、この区別をする一つの要因が、キリシタン禁教の高札(こうさつ)が廃止された一八七三年(明治六年)です。先ず、隠れキリシタンですが、ある事典によれば、江戸幕府の厳しいキリシタン禁教制を避け、隠れて信仰を持ち続けたキリシタンであり、禁教制が解けた一八七三年以降も今日まで隠れ続けているキリシタンとその組織を意味すると言うのです。彼らは教会も伴天連(宣教師)も持たないで秘匿的(ひとくてき)宗教形式を続け、現在でも長崎県西彼杵(にしそのぎ)半島(はんとう)南部の外海(そとめ)平戸(ひらど)(しま)(いき)(つき)(しま)五島(ごとう)列島(れっとう)などを中心に二万人の信者がいるそうです。信者の指導はお帳役、又は帳方(ちょうがた)と呼ばれる役目を始めとして、お水役、聞役(ききやく)などの組織があり、祈祷文のオラショを伝承したり、赤子の洗礼などもすると言います。キリシタンの家々には神棚や仏壇を置いていますが、密かに聖画像(イコン)を祀り(まつり)、葬式も最初は仏式で行なった後に、お経くずしの儀式をすると言うのです。その他のキリシタン信仰の行事も、土地の習俗や神仏信仰の影響を受けてはいますが、今も神道や仏教に改宗しないし、キリスト教会にも帰属しないそうです。その一方で、隠れキリシタンは外海・五島系と生月・平戸系の二つの集団に分けられ、信仰の対象物をマリア観音とするか納戸(なんど)(がみ)とするか、日繰(ひく)り(教会暦(きょうかいごよみ))を使用するかどうかなど、それぞれ組織や生活習慣が異なっていると言うのです。なお、マリア観音とは聖母とされるマリアに()せられた観音菩薩像で、その多くは中国製の青磁(せいじ)、或いは白磁(はくじ)の慈母観音像であったと言われています。又、納戸神とは納戸に祀られる神で、大抵は納戸の棚に恵比寿(えびす)大黒(だいこく)等を祀るのですが、隠れキリシタンは聖画像、それもイエスを抱えた聖母の聖画であったそうです。外海・五島系の集団は組と呼ばれ、帳方が最高指導者で、お帳と呼ぶ日繰り(教会暦)とオラショ本を所持し、年間の祝日を決め、オラショや教義を伝承すると言うのです。このような隠れキリシタンですが、現在では信仰の変容が見られ、組織も衰退していると言われています。

写真説明:生月島の地図(ウェブサイト「日本の島へ行こう」より転載)

2018年12月14日 11時52分08秒 (Fri)

キリシタン その一〇 キリシタンの受難 その五 宗門改

 img_20181214-025652.jpgimg_20181214-025702.jpg江戸幕府は禁教令を発布してキリシタンの捜査、摘発、強制改宗を進めるのですが、当初は踏み絵(踏絵)や密告を奨励していたと言うのです。一六二九年(寛永六年)頃に長崎藩で始められた踏み絵とは、文字通り紙に描かれたキリストや聖母マリヤの絵を足で踏ませることでした。しかし、使用している間に損傷するので木製や金属製の版画を利用するようになったそうです。そして、踏絵をしなかった者はキリシタンとされ、逮捕、処罰されました。このキリシタン狩りは初期段階では効果がありましたが、次第にキリシタンの間に信仰を内面で持てばいいと言う考えが広まり、役人の前では堂々と踏み絵をする者が現れ始めたのです。つまり、キリシタンは形式的には信仰を捨てた行為をしますが、その赦しをキリストに祈ると言う隠れキリシタンが出現するようになり、踏み絵の効果は上がらなくなったと言われています。密告奨励(訴人(そにん)奨励)とはキリシタンを訴え出ることを奨励することであり、そのために高礼(こうさつ)を掲げ、訴人には賞金を与えた訴人報償制がありました。全国から多数の人々が嫌疑をかけられ訴えられますが、殆どすべての人が既に棄教していました。しかし、嫌疑が晴れないまま処刑された者も大勢あり、キリシタン関係の遺物をたまたま所持していた理由等で見せしめのために罰せられた者もいたそうです。踏み絵や密告奨励は幕府が行なったキリシタン摘発の宗門改(しゅうもんあらため)の手段でしたが、他にもキリシタンでないことを仏教寺院に請け負わせて証明させる寺請(てらうけ)制度(せいど)を設けました。又、村役人が(にん)別帳(べつちょう)・五人組を利用して行う俗請(ぞくうけ)もありました。島原の乱以後、キリシタンは殆ど根絶されたにもかかわらず、幕府はなお一層キリシタンの取り締まりを強化し、一六四〇年(寛永一七年)に宗門改役(しゅうもんあらためやく)を設置し、更に一六六四年(寛文四年)には諸藩に宗門改制度と宗門(しゅうもん)奉行(ぶぎょう)(専任役人)を置くように命じます。これ以後、各地で宗門改帳(しゅうもんあらためちょう)が作成されるようになり、一六七一年(寛文一一年)には宗門(宗旨)(にん)別帳(べつちょう)が作成され、宗門改が制度化され実施されるようになりました。見方を変えれば、このような宗門改の制度化は、キリシタン摘発を口実としつつ宗教統制、民衆統制、更に領民の情報を得て身分制を確立する戸籍制度の成立を意味していたと言えます。

写真説明:踏み絵(「キリスト像」とマリア像<ウィキペディアより転載>)
 

2018年12月7日 11時52分13秒 (Fri)

キリシタン その九 キリシタンの受難 その四 島原の乱 その二

 img_20181207-025928.jpgさて、島原の乱での一揆軍の総勢は約三万七千人だったそうです。彼らは原城址を修復し、藩の倉庫から奪った武器弾薬や食料を搬入して、討伐軍に備えたと言うのです。彼らは援軍を期待して日本各地に使者を派遣していた、更に長崎のポルトガル商館に接触を試みていたとも考えられると言うのです。(事実、島原の乱の後、天草四郎等の首が長崎・出島のポルトガル商館前にさらされたそうです。)ある研究者は、一揆軍はこれを機会に日本国内のキリシタンの一斉蜂起を狙っていたのではと考えているそうです。一六世紀末のキリシタン総数は日本人口約五百万の一〇%を占めていたと言いますから、約五〇万人いたことになります。もし、日本中のキリシタンが反乱すれば大変な内戦になっていたことは間違いありません。しかし、実際には幕府は有力大名を領地に戻して治安を強化させていましたので、一揆軍の思惑通りにはいきませんでした。幕府は最初の討伐上使を送って九州諸藩からなる討伐軍をもって原城を包囲して再三総攻撃をしますが、ことごとく跳ね返されます。団結が強い一揆軍は戦意が高いのに対して、討伐軍は諸藩の寄せ集めで統率も取れなかったと言うのです。そこで幕府は事態を重く見て二人目の討伐上使を送りますが、最初の討伐上使は功を奪われることを恐れて反乱軍に再度の総攻撃をするのですが、それも失敗して四千人とも言われる死者を出し、彼自身も戦死してしまいます。そこで、幕府は更に九州諸侯の増援を得て、一二万人以上の軍勢でもって原城を陸と海から完全に包囲したのです。そして、原城内の一揆軍の兵糧が残り少ないとの情報を得て、兵糧攻めに切り替えたのです。その後も、助命を条件に投降を呼びかけたり、天草四郎の母と姉妹を生け捕りにして投降勧告の手紙を書かせて城内に送ったりしましたが一揆軍はそれらを拒否しました。しかし、遂に一六三八年四月、圧倒的数を誇る討伐軍が総攻撃をしかけると、兵糧攻めで原城内の食糧や弾薬は尽き欠けていた一揆軍は敗北し落城します。天草四郎はじめ一揆軍の三万七千人は皆殺しにされ全滅し、討伐軍は一二万五千八百人でしたが八千人以上の死傷者が出したそうです。この乱は、参加した農民がキリシタンを心の拠り所としていたことで幕府に大きな衝撃を与えたと言われています。

写真説明:島原の乱(ウェブサイト「島原の乱とは?」より転載)
 

プロフィール

プロフィール画像
性別
現住所
愛媛県今治市波方町郷乙404₋32
職業
牧師・宣教師
自己紹介
●新名(しんみょう) 忠臣(ただおみ)
●実践神学博士(米国アンドリューズ大学神学院)、元親業インストラクター
●札幌、小樽、苫小牧、仙台、東京・天沼で牧師を歴任。
●セブンスデー・アドベンチスト教団北海道教区長、青年部長、コミュニケーション部長、宗教自由部長、ラジオ牧師、総務局長等を歴任。
●宣教師としてシンガポールと韓国に在住し、副総務、コミュニケーション部、宗教自由部、出版部、ラジオ・テレ部等の部長としてアジア太平洋地域を巡回指導。
●最近まで、北アジア太平洋支部宣教部副部長。
●著書『夫と妻のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『親と子のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『わが青春は主のために』(三五堂)『暮らしの中のキリスト教』(新教出版社)『地球家族と聖書の言葉』(福音社)等。
Self Introduction in English
Full Name: Tadaomi Shinmyo
Sex: Male
Nationality: Japan
Citizenship: Japan

Education:
●B.A. in Theology in 1966 (Japan Missionary College)
●M.A. in Philosophy and Religion in 1972 (Philippine Union College Graduate School)
●Ordination: March 1973
●Doctor of Ministry in 1987 (Theological Seminary of Andrews University in USA)

Vocation:
●Pastor of the Japan Union Conference since 1966.
●Departmental Director of the Japan Union Conference for over 14 years.
●Radio Speaker and Japan Union Conference Secretary for a while.
●Missionary assigned to Departmental Director of Communication, Religious Liberty, Publishing Ministries, TV & Shortwave Radio Ministries, and Associate Secretary to Asia Pacific Division based in Singapore and Northern Asia-Pacific Division based in Korea for all together 9 years and 7 months.
facebook
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