2018年11月 アーカイブ
2018年11月30日 12時34分55秒 (Fri)
キリシタン その八 キリシタンの受難 その三 島原の乱 その一
徳川幕府による禁教令によってキリシタンへの圧力が浸透する中で、日本史上最大規模の一揆、又は幕末以前では最後の本格的な内戦とも評せられている戦いが勃発することになります。それが、島原の乱(島原・天草の乱、島原・天草の一揆)と呼ばれている戦闘で、反乱軍が一六三七年(寛永一四年)に蜂起して約四か月間の激闘・籠城の末に一六三八年(寛永一五年)に全滅することになります。これ以後、幕府はキリシタンの温床とも言うべき貿易を断つ鎖国に踏み切り、その後のもう一つの内戦と言われる戊辰戦争(一八六八~一八六九年)までの二百数十年もの長きに渡り世界史上でも珍しい天下泰平の時代が続くことになったと言うのです。さて、九州の島原半島のある島原藩は元はキリシタン大名の有馬晴信の領地であり、又、天草諸島を飛地として持つ唐津藩も元はキリシタン大名の小西行長の領地だったのです。従って、これらの地域にキリシタンが多く、禁教政策でキリシタン弾圧を行なう新しい藩主に対する抵抗は当然あったはずです。具体的には、藩主が領民の酷使、過重な年貢負担の強要、キリシタン迫害を行なったのです。そして、年貢を納められない農民や改宗を拒んだキリシタンに対して拷問・処刑を実施したと言われています。このような領主に対してキリシタンであるか否かを問わず領民が反発し、密かに反乱を計画し、一揆を組織したと言う訳です。島原の乱の首謀者たちは会談をして、キリシタンの間でカリスマ的人気を得ていた当時一六歳の少年・天草四郎(本名、益田四郎時貞)を一揆軍の総大将としました。天草とは旧来天草の領主だった豪族の名と言うことです。そして、一六三七年一二月一一日に島原藩の有馬村でキリシタンが中心となり代官所へ強談に行き、代官を殺害して遂に島原の乱が始まったのです。これに対して島原藩は即座に討伐軍を送りますが、反乱軍の勢いは強く、思うようにならず島原城に籠城したりします。数日後、唐津藩の天草でも天草四郎の反乱軍が蜂起し、本渡城や富岡城を攻撃します。富岡城を攻めている時に九州諸藩の討伐軍が近づいていることを知った一揆軍は、有明海を渡って島原半島に移動して、旧主・有馬家の居城であった廃城・原城址に籠城したのです。この原城址で、島原と天草の反乱勢が合流することになりました。
写真説明:島原、天草地方の地図
写真説明:島原、天草地方の地図

2018年11月23日 12時14分24秒 (Fri)
キリシタン その七 キリシタンの受難 その二 徳川家康の迫害
織田信長はキリシタンをむしろ保護し、豊臣秀吉は当初は寛容でしたが後に迫害に転じ、徳川家康は秀吉の政策を踏襲しつつキリシタン禁教令を強化します。家康は、一六一一年(慶長一一年)に来日したスペイン使節が諸港を測量したのを耳にし、その理由を家臣であったイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦按針)に聞きました。すると、彼はスペインは先ず修道士たちを派遣し後に兵士たちを送り込み、外国を支配する目的で各港にどの船が入港で出来るかを知るために測量している、従って宣教師をすべて国外追放すべきと進言したのです。江戸幕府は一六一二年(慶長一七年)に、江戸・京都・駿府を始めとする直轄地での教会の破壊と布教の禁止を命じる幕府として最初の禁教令を布告しました。又、同年に岡本大八事件が起こります。家康の側近・本田正純の与力でキリシタンの岡本大八が、やはりキリシタン大名の有馬晴信に対して家康が晴信に恩賞を与える意向があると言う虚偽を伝え、それに対する晴信から家康への多額の金品の賄賂を大八が着服したことが発覚したと贈収賄事件です。その結果、大八は処刑され、晴信は流刑の後に処刑されました。晴信の死でキリシタン大名は完全に姿を消したそうです。これを契機にキリシタン信仰禁止の布告が出され、旗本のジョアン原主水や大奥の侍女ジュリアおたあ等が改易・追放処分となります。一六一三年(慶長一八年)には伴天連追放令が起草され、神道・仏教・儒教の三教一致思想を基礎とした神国思想によるキリシタン排撃が宣言されました。そして、一六一四年にはキリシタン大名だった高山右近ら一四八名は長崎からマカオ、更にマニラへ追放され、各地でキリシタン弾圧が開始されたと言うのです。その一方で、公的にはキリシタン禁止とはなりましたが、幕府は信徒の処刑までは徹底して行いませんでしたので、依然としてキリシタン活動は続けられ、潜伏した宣教師たちや密かに日本へ潜入する宣教師たちもいました。又、京都にはデウス町と呼ばれるキリシタンたちが住む区画も残ったままでした。幕府が徹底的な対策を取れなかった理由は、宣教師たちが特にポルトガルとの南蛮貿易に深く関わっていたからでした。
2018年11月16日 14時32分42秒 (Fri)
キリシタン その六 キリシタンの受難 その一 サン・フェリペ号事件と二十六聖人殉教

一五九六年(慶長一年)に、土佐(高知県)の浦戸でスペイン船サン・フェリペ号事件が起こりました。同船がフィリピンのマニラからノビスパニア(メキシコ)のアカプルコへ向かう途中に嵐に遭い、航行不能となって土佐の浦戸に達したと言うのです。そこで、土佐の国主・長宗我部元親は強引に浦戸湾内に入港させようとしたところ、船は座礁して大量の船荷が流出したそうです。一方、長宗我部元親からの情報を受けた豊臣秀吉は、以前にフィリピンのスペイン総督に対して日本では難民を救助すると通告していたのですが、増田長盛を奉行として浦戸に送り、船の積み荷は没収し、更に乗組員を拘留したのです。ですから、水先案内フランシスコ・デ・オランディアは憤慨しました。そして、増田長盛に世界地図を見せてスペインが広大な国土を持つのに対して日本が如何に小国であるかを示し、スペイン国王は先ず宣教師を海外に派遣して布教事業をするが、それと共に征服事業をもすると発言したと言うのです。増田長盛が豊臣秀吉のもとに戻りこれらの情報法を伝えると、豊臣秀吉は禁教令にもかかわらずイエズス会の後に来たフランシスコ会が挑発的であるとして、京都奉行の石田三成に命じて京都に住むフランシスコ会員とキリシタンを捕縛して処刑するように命じます。その結果、京都や大阪にいた二四名が捕らえられ、彼らは京都で左の耳たぶを切り落とされて市中を引き回され、長崎で処刑される命令を受け、大阪を出発して徒歩で長崎へ向かわされました。道中でイエズス会員に付き添っていた者とフランシスコ会員を世話していた者も逮捕され、処刑される者は合計二六名になりました。彼らは厳冬期の旅を終えて長崎に到着し、通常の刑場ではなく、キリストが処刑されたゴルゴタに似ていると言う西坂の丘での処刑を望んだそうです。一五九七年(慶長二年)二月五日、混乱を避けるために外出禁止令があったにもかかわらず集まった四千人以上の群衆が見守る中、一行が両脇を槍で刺し貫かれて絶命したのは午前一〇時頃であったと言われています。殉教者はスペイン、メキシコ、ポルトガルのフランシスコ会司祭や修道士六名と日本人二〇名で、この中でイエズス会員は三名とされています。
写真説明:二十六聖人殉教(「雲の上から見る雲が大好きなMISAのブログ」より転載)
2018年11月9日 12時22分31秒 (Fri)
キリシタン その五 キリシタンへの迫害理由
豊臣秀吉は当時のルソン(呂宋)、現在のフィリピンに投稿を勧告したそうですが、それが契機となりルソン総督の使者として外交官の資格でドミニコ会やフランシスコ会の司祭が日本に来るようになったと言われています。一方、これより先にローマ法王グレゴリウス一三世は、一五八五年(天正一二年)に日本の布教はイエズス会に限るとの勅書を発していたと言うのです。ですから、フィリピンから来日したドミニコ会やフランシスコ会のスペイン系宣教師たちと従来のイエズス会員との間に激しい争いが起こりました。この事態もキリシタン迫害の要因になったと考えられます。とにかく、これまでキリシタンに寛容であった豊臣秀吉が、九州平定後に筑前箱崎(福岡県福岡市東区)に滞在していた一五八七年(天正一五年)に、長崎がイエズス会領になっていることを知らされました。これに驚いた豊臣秀吉は長崎を奪還して天領としました。そして、吉利支丹伴天連((キリシタンバテレン)追放令を出したのです。この追放令には五項目の理由が挙げられていますが、要約すると次のようになります。第一は、日本は神々に守られている国だからキリスト教の国から邪法を授けるのは許せない。第二は、大名が領地の人民をその教えの信者にし、寺社を破壊させるなど聞いたことがないし許せない。第三は、日本で信者を増やそうとするキリシタン宣教師は、二〇日間で支度をしてキリスト教の国へ帰るように。キリシタンであるのに自分は違うというのは許せない。第四は、貿易船は商売のために来ているのだから、これとは別なので商売を続けること。第五は、今後は日本の国法を妨げるのでなければ、商人でなくても、いつでもキリスト教国から往復するのは問題ないので許可する。実は、このバテレン追放令は豊臣秀吉の側近で主治医でもあった施薬院全宗が起草したと言われています。しかし、豊臣秀吉は南蛮貿易を望んでいたので、宣教師たちが恭順の態度を示すと彼らが国内に在住していることを黙認したと言うのです。そのこともあり、彼の晩年にはキリシタンの数は更に増え二五万人位に達したと推定されています。彼は一五九八年(慶長三年)に亡くなっていますが、その後も信者数は増加し、最も多い年には、ある宣教師たちは八〇万とか九〇万人と言いますが、三〇万から四〇万人位であったろうと言われています。
2018年11月2日 12時11分09秒 (Fri)
キリシタン その四 キリシタンの繁栄(キリシタン大名)
ザビエルのヨーロッパへの日本の布教報告書は大きな影響を与え、イエズス会の優れた司祭(バテレン)や修道士(イルマン)が続々と来日します。しかし、日本での宣教は容易ではありませんでした。その理由としては、日本には宗教として既に神道や仏教が定着していた、宣教師たちにとって日本語は余りにも難しくかった、支援国のポルトガルは日本からは遠く隔たっていた上に当時は国力が衰えつつあり日本への十分な支援が出来なかった、そのために在日イエズス会員はマカオと日本との間の南蛮貿易に投資して収益を上げて布教費に当てなければならなかったと言うのです。このような困難な状況にありながら、宣教師たちは先ず大名を入信させて、次に家臣や領民を改宗させる手段を取ったと言われます。その結果、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて大名たちがキリシタンに改宗するようになります。改宗する大名たちはキリシタン宣教師たちを通して貿易による利益を得、西欧思想を吸収することが出来ましたので、キリスト教を保護しました。つまり、双方がウィンウィンの関係にあったのです。最初に入信したのは肥前・長崎の大村純忠で一五六三年(永禄六年)でした。この年の夏から一五六四年(永禄七年)にかけて、五畿内(近畿地方)で高山飛騨守、三箇頼照、池田丹後守教正と言った豪族や城主が改宗しました。更に小西隆佐・行長父子、高山飛騨守の長男・右近等が入信します。九州の大村純忠の兄・有馬義貞(肥前・長崎)は一五七六年(天正四年)、豊後(大分県)の大友宗麟は一五七八年(天正六年)、有馬義貞の次男・有馬晴信は一五八〇年(天正八年)の受洗です。一五八二年(天正一〇年)の本能寺の変の後に豊臣秀吉が大阪城を築いた頃に改宗ブームが起こり、高山右近の影響で蒲生氏郷と黒田孝高(如水)が入信します。細川忠興は改宗しませんでしたが夫人・たま(ガラシャ)がキリシタンになったのは有名です。九州の三大名(大友宗麟、大村純忠、有馬晴信)がヨーロッパへ天正遣欧使節(一五八二~一五九〇年)として少年四名を派遣したのは如何にキリシタンが繁栄していたかの象徴です。一五八三年(天正一一年)には、当時のキリシタン信徒は約一五万人、その中でも約一一万五千人は下教区(大村、有馬、天草を中心とした地方)に集中していたと言われます。
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プロフィール

- 性別
- 男
- 現住所
- 愛媛県今治市波方町郷乙404₋32
- 職業
- 牧師・宣教師
- 自己紹介
- ●新名(しんみょう) 忠臣(ただおみ)
●実践神学博士(米国アンドリューズ大学神学院)、元親業インストラクター
●札幌、小樽、苫小牧、仙台、東京・天沼で牧師を歴任。
●セブンスデー・アドベンチスト教団北海道教区長、青年部長、コミュニケーション部長、宗教自由部長、ラジオ牧師、総務局長等を歴任。
●宣教師としてシンガポールと韓国に在住し、副総務、コミュニケーション部、宗教自由部、出版部、ラジオ・テレ部等の部長としてアジア太平洋地域を巡回指導。
●最近まで、北アジア太平洋支部宣教部副部長。
●著書『夫と妻のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『親と子のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『わが青春は主のために』(三五堂)『暮らしの中のキリスト教』(新教出版社)『地球家族と聖書の言葉』(福音社)等。
- Self Introduction in English
- Full Name: Tadaomi Shinmyo
Sex: Male
Nationality: Japan
Citizenship: Japan
Education:
●B.A. in Theology in 1966 (Japan Missionary College)
●M.A. in Philosophy and Religion in 1972 (Philippine Union College Graduate School)
●Ordination: March 1973
●Doctor of Ministry in 1987 (Theological Seminary of Andrews University in USA)
Vocation:
●Pastor of the Japan Union Conference since 1966.
●Departmental Director of the Japan Union Conference for over 14 years.
●Radio Speaker and Japan Union Conference Secretary for a while.
●Missionary assigned to Departmental Director of Communication, Religious Liberty, Publishing Ministries, TV & Shortwave Radio Ministries, and Associate Secretary to Asia Pacific Division based in Singapore and Northern Asia-Pacific Division based in Korea for all together 9 years and 7 months.
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