2018年3月 アーカイブ
2018年3月30日 12時54分16秒 (Fri)
聖書とシルクロード:慶長遣欧使節 その二
江戸幕府の徳川家康の時代、即ち一六〇九年に、フィリピンからヌエバ・エスパーニャ副王領(現・メキシコ)への帰途にあった前フィリピン総督ドン・ロドリゴの一行を乗せたサン・フランシスコ号が台風に遭遇し、日本の上総(かずさ)国岩田村(現・千葉県御宿町)の海岸で座礁難破しました。地元民に助けられた彼らに、徳川家康はウィリアム・アダムスが建造したガレオン船サン・ブエナ・ベントゥーラを贈り、ヌエバ・エスパーニャ副王領へ送還したのです。これがきっかけで、日本とエスパーニャ(スペイン)との間の交流が始まり、その延長線上で伊達政宗はヨーロッパへ使節を送ることを決定したと言われています。従って、その目的はメキシコとの通商開始、更にスペインとの通商・同盟締結であったと考えられています。実は、一六一二年に支倉常長はソテロと共にサン・セバスチャン号で三浦半島の浦賀より出港したのですが、暴風に遭って座礁し遭難してしまいました。そこで、再度、一六一三年に出帆したと言う訳です。さて、遥々遠路スペインやローマまでやって来た使節団でしたが、この当時既に日本ではキリスト教への弾圧が始まっており、その情報がヨーロッパに伝わっていて通商交渉は成功しなかったのです。こう言う状況の中で支倉常長は数年間を過ごした後に帰路に着き、大西洋と太平洋を横断し、フィリピン経由で一六二〇年九月二〇日に長崎に帰港したのです。彼を迎えたのは禁教令が出されていた日本でした。そして、二年後に彼は失意のうちに五二歳で死去したと言われています。その子の六右衛門常頼はキリシタン禁令を破った罪で領地は没収され、切腹させられ、宣教師ソテロはマニラから長崎に潜入しましたが間もなく発見され、火あぶりとなり殉教したそうです。(新約聖書・マタイによる福音書五章一二節参照)使節団を派遣した伊達政宗は、一行が帰着した一六二〇年から仙台領でキリシタンを積極的に取り締まったと言うのです。何と言う皮肉でしょうか。私は一九九二年から一九九六年までの四年間を仙台教会牧師として過しましたが、一九九三年に「慶長遣欧使節三八〇周年記念講演会」を開催して、支倉常長一行の旅を紹介しながら聖書の福音を説いたことを懐かしく思い出します。又、復元されたサン・ファン・バウティスタ号を見たり、支倉常長の墓地にも出かけたものでした。写真説明:支倉常長 (ウェブサイト “for travel.jp” 「支倉常長と慶長遣欧使節をめぐって」より転載)
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2018年3月26日 21時28分23秒 (Mon)
『これほど密接である! 聖書とシルクロードの連携』
シルクロード(絹の道)と聞けば、その昔、らくだの隊商がアジア大陸を旅していた貿易路を思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、シルクロードは過去のものではなく、現在も存在するものであり、中国では経済発展の切り札として、西方諸国との更なる貿易拡大を目指して、一帯(いったい)一路(いちろ)と表現する政策を推進しています。中国西部から中央アジア経由の陸路(一帯)と、中国沿岸部から東南アジア、アラビア半島、アフリカ東岸への海路(一路)は、文字通り現代版のシルクロードと言えましょう。そもそも、シルクロードと言う名称を最初に使用したのは、一九世紀のドイツの地理学者フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェン(一八三三~一九〇五)でした。彼の著書『China(支那)』の中でドイツ語ではありましたが、「ザイデンシュトラーセン(絹の道)」と表現したのです。その後、彼の弟子であるスウェーデンの地理学者・探検家スヴェン・アンデルシュ・ヘディン(一八六五~一九五二)が英語の題名で『The Silk Road(絹の道)』を発刊してから、シルクロードが広く人々に知られるようになったと言うことです。
さて、シルクロードと一口に言っても、広義においては三つのルートがあり、北から草原の道、オアシスの道、そして海の道です。草原の道は中国から北上してモンゴル、カザフスタンの草原を通って黒海に至る最古の貿易路で紀元前千年頃には存在し、その地方に住む遊牧民が東西の文化交流の役割をも果たしていたと考えられています。オアシスの道は東トルキスタンを横切る東西の隊商路で、リヒトホーフェンが名付けたシルクロードであり、狭義の意味での絹の道です。そして、敦煌(とんこう)以西へは西域南道、天山南路(西域北道)、天山北路の三つのルートがあります。西域南道は紀元前二世紀頃の前漢の時代には確立されていて、この三つの中では最古の道で、タクラマカン砂漠南縁のオアシスを辿ってパミール高原に達するので漠南路とも呼ばれます。海の道は、中国から東シナ海、南シナ海、インド洋を経てインドへ、更にアラビア半島に至る海路で海のシルクロードです。
ところで、私はこれまで聖書を半世紀以上に渡って勉強していますが、近年は聖書とシルクロードとの間に密接な関係があることを発見して新しい感動を覚えています。聖書は地球の起源から書き始める旧約聖書の創世記から、新天新地を描写する新約聖書のヨハネの黙示録までの六六巻から構成されていますが、ある意味で人類の歴史を扱っていると言えるのです。
人間が存在すると言うことは、衣食住が必須であり、それらの物を求めて人々は往来するようになり、その結果、道路が出来ることになります。換言すれば、貿易は貿易路を産み出すのです。西欧人はシルク等を求めて中国へのロードを旅し、又、中国人は宝石等を求めて西欧へのロードを旅し、その交易路がシルクロードと呼ばれた訳ですが、私としては「シルクロードは人類の歴史と共にあり続けた」と言いたいのです。つまり、シルクロードと言う呼称が誕生するずっと以前から、交易路は存在していたと言うことです。
以上の観点から拙著を刊行させて頂きましたが、これが読者の方々の参考になり、聖書の学び、更に宣教の励みとなりますならば望外の幸いです。
なお、文中の聖書の言葉は、日本聖書協会発行の口語訳聖書から引用させて頂いております。
新名忠臣
2018年3月23日 12時44分43秒 (Fri)
聖書とシルクロード:慶長遣欧使節 その一
天正遣欧少年使節が九州の長崎港から派遣されて三一年後、又は同使節が帰国して二三年後に、今度は東北の仙台は月の浦港(現・石巻市)から慶長遣欧使節が派遣されました。これは、仙台藩主・伊達政宗が当時の江戸幕府・徳川家康の許可を得て、家臣の支倉常長(六右衛門長経)を正使とし、フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロ(スペイン人)を副使として、一六一三年一〇月二八日(慶長一八年九月一五日)にスペイン国王フェリペ三世及びローマ教皇パウロ五世のもとへ送り出したスペイン人や日本人を含む一八〇人の使節団でありました。このために、伊達政宗は月の浦でガレイ船サン・ファン・バウティスタ号を日本人船大工によって建造したのです。天正遣欧少年使節は西回りでしたが、慶長遣欧使節は東回りで先ず太平洋を横切り、アメリカ大陸の当時のエスパーニャ(現・スペイン)領のアカプルコ(現・メキシコのゲレーロ州)に上陸しました。その後、支倉常長一行三一人は陸路で大西洋側のベラクルス(現・メキシコのベラクルス州)に至り、そこから船で大西洋を渡り、サンルーカル・デ・バラメーダ(現・スペインのアンダルシア州セビリア県)に到着後、小型帆船に乗り換えグアダルキビール川を遡上してコリア・デル・リオに上陸したと言うのです。そして、一六一五年一月三〇日にマドリードでエスパーニャ国王フェリペ三世に謁見しています。しかし、通商は認めてもらえなかったそうです。その一方で、支倉常長等の何名かは洗礼を受けてカトリック信者になりました。常長の洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコとのことです。その後、イベリア半島から陸路でローマに行き、同年一一月三日にローマ教皇パウロ五世に謁見するのですが、かつての少年使節のように正式ではなかったそうです。更に、その後、マドリードに戻りフェリペ三世との通商交渉を続けましたが果たせませんでした。いずれにしても、日本を出発してから片道二年の歳月をかけてローマまで無事に旅を出来たのは、海と陸のシルクロードがあったお陰であるのは言うまでもありませんが、同行した宣教師等の神への熱き祈りの賜物だったに違いありません。「・・・あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。」(旧約聖書・ヨシュア記一章九節参照)写真説明:慶長遣欧使節の渡航図 (ウェブサイト “for travel.jp” 「支倉常長と慶長遣欧使節をめぐって」より転載)
2018年3月16日 14時50分05秒 (Fri)
聖書とシルクロード:天正遣欧少年使節 その三
神父アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、織田信長のお膝元の安土(滋賀県)と有馬晴信の領地である有馬(長崎県)の二箇所に神父を育成するための学校セミナリヨを設立しました。天正遣欧少年使節の四名は有馬晴信が日野江城下に建てた有馬セミナリヨの第一期生で一三歳から一四歳の少年たちでした。出発時はキリシタンが天下人・信長の好意を得ていましたが、帰国時には情勢が激変していました。帰路のインドのゴアで原マルティノがラテン語でした感謝の演説は、彼らが持ち帰ったグーテンベルグ印刷機によって翌年一五八八年に出版され、この書物は日本人が印刷した最初の活版印刷物となりました。このような喜びもつかの間、キリシタン大名で彼らを派遣した大村と大友の病死、更に神国・仏教国の日本でキリスト教布教は不適当だと言う秀吉による伴天連追放令を聞くのです。一五八九年、秀吉は安土の南蛮寺を破壊しました。ともかく、ゴア滞在中に日本でのキリシタンへの否定的ニュースを聞いた一行は愕然とします。そこで、ヴァリニャーノはインド副王使節の名目で、そして使節団はヨーロッパ各地で贈られた豪華な品々を贈呈する策で秀吉を納得させ帰国出来ました。帰国の翌年一五九一年三月三日に使節一行は京都の聚(じゅ)楽第(らくだい)で秀吉に謁見します。宣教師ルイス・フロイスの記録によれば、四人がヨーロッパから持参した楽器でジョスカン・デ・プレの曲を演奏すると、秀吉は大いに喜び「汝らが日本人であることを嬉しく思うぞ」と終始ご機嫌だったそうです。さて、使節の目的は、西欧の有力者の援助を得て、又、若い日本人キリシタンを逞しい聖職者に育成して日本宣教を強化することでしたが、その間に日本の権力者たちの交代、更にキリシタンへの偏見・圧迫・迫害のために当初の目的は十分には果たされたと言えません。しかし、帰国後の伊東、中浦、原の三人は最後まで信仰を貫き、受難時代のキリシタン達を励ましたに相違ありません。「またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(新約聖書・マタイによる福音書一〇章二二節)又、彼らの持ち帰った先進国・西欧の活版印刷機、楽器、海図等は日本の近代化に大きく貢献したはずです。写真説明:天正遣欧少年使節 <右上・伊東、右下・千々石、左上・中浦、左下・原、中央・メスキータ神父>(ウェブサイト「ウィキペディア」より転載)
2018年3月10日 20時43分58秒 (Sat)
聖書とシルクロード:天正遣欧少年使節 その二
天正遣欧少年使節一行は、一五八二年二月二〇日に長崎港から出発し、マカオ、マラッカ、コーチン(コチン)を経由してイエズス会アジアの拠点とも言うべきインドのゴアに翌年一二月二〇日に到着しますが、一年一〇か月もかかっていました。その後、インド洋を航海し、アフリカ南端の喜望峰を越えて大西洋に入り、セントヘレナ島を経てポルトガルの首都リスボンに一五八四年八月一〇日に到着しました。暫く滞在した後に、この後は陸路の絹の道を通り、スペインの首都マドリードに同年一一月五日に着き、スペイン国王フェリペ二世の歓待を受けました。一五八五年三月一日にスペインのマヨルカ島を経て初めてイタリアの地に入り、リヴォルノに到着し、翌日にピサ宮殿でトスカーナ大公国の大公に謁見、大公妃の舞踏会に参加します。フィレンツェにも数日滞在し、ヴェッキオ宮殿に宿泊しました。同年三月二三日には、ローマでローマ教皇グレゴリウス一三世に謁見してローマ市民権を与えられました。五月一日に、グレゴリウス一三世の後継者シクストゥス五世の戴冠式に出席しています。六月三日にローマを出発してヴェネツィア、ヴェローナ、ミラノなどの諸都市を訪問しました。そして、一行は一五八六年四月一三日にリスボンを出発して帰路に着き、往路と同じ海のシルクロードを通って一五八七年五月二九日にインドのゴアに到着し、ヴァリニャーノに再会しています。コレジオに於いて原マルティノが演説を行ったと言われています。一方、この五月に長崎では大村純忠が死去し、翌六月には豊後の大友宗麟がやはり死亡しています。そして、豊臣秀吉が九州平定後、六月一九日付けでキリシタン宣教師は二〇日以内に日本を去れとの伴天連(バテレン)追放令を発布したのです。このため、宣教師は一時的に平戸に集結しましたが、再度各地に分散・潜伏したため実際には法令は空文化同然でした。この三年後、即ち一五九〇年七月二一日に使節団は長崎港に戻って来たのです。幾多の困難を経て八年五か月の後に帰国した一行を迎えた日本は、キリシタンには逆風の時世になっていました。「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」(旧約聖書・伝道の書三章一節)写真説明:天正遣欧少年使節のローマ教皇との謁見<ウェブサイト “Share Art” より転載>
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プロフィール

- 性別
- 男
- 現住所
- 愛媛県今治市波方町郷乙404₋32
- 職業
- 牧師・宣教師
- 自己紹介
- ●新名(しんみょう) 忠臣(ただおみ)
●実践神学博士(米国アンドリューズ大学神学院)、元親業インストラクター
●札幌、小樽、苫小牧、仙台、東京・天沼で牧師を歴任。
●セブンスデー・アドベンチスト教団北海道教区長、青年部長、コミュニケーション部長、宗教自由部長、ラジオ牧師、総務局長等を歴任。
●宣教師としてシンガポールと韓国に在住し、副総務、コミュニケーション部、宗教自由部、出版部、ラジオ・テレ部等の部長としてアジア太平洋地域を巡回指導。
●最近まで、北アジア太平洋支部宣教部副部長。
●著書『夫と妻のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『親と子のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『わが青春は主のために』(三五堂)『暮らしの中のキリスト教』(新教出版社)『地球家族と聖書の言葉』(福音社)等。
- Self Introduction in English
- Full Name: Tadaomi Shinmyo
Sex: Male
Nationality: Japan
Citizenship: Japan
Education:
●B.A. in Theology in 1966 (Japan Missionary College)
●M.A. in Philosophy and Religion in 1972 (Philippine Union College Graduate School)
●Ordination: March 1973
●Doctor of Ministry in 1987 (Theological Seminary of Andrews University in USA)
Vocation:
●Pastor of the Japan Union Conference since 1966.
●Departmental Director of the Japan Union Conference for over 14 years.
●Radio Speaker and Japan Union Conference Secretary for a while.
●Missionary assigned to Departmental Director of Communication, Religious Liberty, Publishing Ministries, TV & Shortwave Radio Ministries, and Associate Secretary to Asia Pacific Division based in Singapore and Northern Asia-Pacific Division based in Korea for all together 9 years and 7 months.
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