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2018年2月 アーカイブ

2018年2月23日 11時20分24秒 (Fri)

聖書とシルクロード:日本最古の聖書と日本人漂流船員

聖書とシルクロード:日本最古の聖書と日本人漂流船員 日本に現存する最古の聖書は、ドイツ人宣教師カール・ギュツラフが中国のマカオで三人の日本人漂流船員の助けを借りて、一八三五、一八三六年に翻訳した『ヨハネ福音書』と『ヨハネの手紙、一、二、三』で、それらは一八三七年にシンガポールに於いて木版刷りで印刷されと言うことです。このギュツラフ訳『ヨハネ福音書』一章一~三節は非常に興味深い訳文です。「ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル、コノカシコイモノワゴクラク。ハジマリニ コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。ヒトワコトゴトク ミナツクル、ヒトツモ、シゴトハツクラヌ、ヒトハツクラヌナラバ。ヒトノナカニイノチアル、コノイノチワニンゲンノヒカリ、コノヒカリハ クラサニカヽヤク、タヽシワセカイノクライ ニンゲンワ カンベンシラナンダ。」一方、現在の口語訳は次のようになっています。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」さて、日本人漂流船員のことですが、一八三二年に鳥羽港(現在は三重県鳥羽市の港)から尾張米を積んで江戸へ出航した千石船「宝順丸」の船員一四名が遠州灘で遭難し、一四か月間の漂流の後、一八三四年に北米西海岸のフラッタリー岬に漂着しました。しかし、生存者は岩吉(推定二八才)、久吉(同一五才)、音吉(同一四才)の三人だけだったと言うのです。彼らはネイティブアメリカンに捕えられ、奴隷のように酷使されていた時にハドソン湾会社の支配人に助けられ、日本に送り返されるために、バンクーバーを出発し、ホーン岬、ロンドン、喜望峰を経て、一八三五年にマカオに到着したそうです。英国商務庁が彼らを保護し、主席通訳官のギュツラフが彼らを引き取って日本語を習い、こうして日本語訳聖書が誕生したのです。ここに、聖書と海のシルクロードと日本の見事な連携が見られます。ギュツラフは日本人漂流船員らを送り届ける目的で日本上陸を試みますが、いわゆるモリソン号事件で果たせませんでした。この聖書の日本到来は、米国医療宣教師ジェームス・ヘボンが来日する日本開国後の一八五九年でした。

写真説明:岩吉、久吉、音吉の漂流図の地図(日本聖書協会のホームページより掲載)

2018年2月16日 13時15分40秒 (Fri)

聖書とシルクロード:キリシタン宣教師と貿易船と商品

 フランシスコ・ザビエルは、インドからの情報がないのを気にして、約七百人の日本人を信仰に導いた後、働きを同僚に任せて一旦インドに戻ります。彼は一五五一年一一月に、日本人で最初に信者になったベルナルドを始め、マテオ、ジュアン、アントニオの四人の鹿児島の青年を連れて出帆し、種子島、中国の上川島を経て、翌年二月にインドのゴアに到着します。そして、ベルナルドとマテオを司祭の養成学校・聖パウロ学院に入学させました。残念ながらマテオはゴアで病死しますが、ベルナルドは学問を修めてヨーロッパに渡った最初の日本人となったそうです。さて、サビエルが日本で気付いたことは、日本人が当時の先進国である中国の影響を強く受けている事実から中国宣教が先ず不可欠だと言うことでした。そこで、彼はバルタザル・ガーゴ神父を自分の代わりに日本へ一五五二年四月に派遣し、自分は同年九月に中国の上川島に着きました。しかし、中国への入境は思うようにいかず、病気となり同年一二月三日に四六歳で亡くなりました。ザビエルの説いたカトリック教、即ち天主教は、最初は天竺宗、南蛮宗、バテレン(伴天連)宗等と呼ばれていました。それが、その教えや信者を総称してキリシタンと呼ぶようになったのは、ポルトガル語の「クリスタン」に由来し、漢字では「吉利支丹」(禁教令以後は「鬼理死丹」又は「切支丹」)と書きました。さて、ザビエル亡き後も、イエズス会員が貿易船に乗って布教に来日するのです。彼らの戦略は適応主義と呼ばれ、ヨーロッパ本国の方針や価値観を守るよりも、宣教地の文化を認めつつ教勢拡大を優先したと言うのです。彼らの日本往来の結果が南蛮貿易を盛んにし、ヨーロッパの文化や多くの製品が、ヨーロッパの植民地化が進んでいた東南アジアを通して日本に入って来るようになったのです。別の見方をすれば、当時の日本は戦国時代の真只中であり、大名たちは鉄砲や大砲に代表される最新の科学技術を欲しがっていたのに貿易商人たちが答えたと言うわけです。ある意味で、キリシタン宣教師たちは貿易商人たちと大名たちとの間を巧みに仲介したと言えるでしょう。これらすべては、海のシルクロードとの連携で可能になったのです。

2018年2月9日 11時07分15秒 (Fri)

聖書とシルクロード:ザビエルの日本への渡航路

聖書とシルクロード:ザビエルの日本への渡航路 フランシスコ・ザビエルがモルッカ諸島から一五四七年一二月にマラッカに戻って出会ったのが、日本の鹿児島県出身のヤジロウ(アンジロー)でした。実は、彼は薩摩藩の元武士でしたが誤って人を殺してしまい、官憲の目を逃れるために九州の薩摩や大隅に来航していたポルトガル船に乗って日本を脱出していたと言うのです。又、南蛮貿易商人ジョルジュ・アルヴァレスは、山川(現在の指宿市)で人を殺(あや)めたことに悩むヤジロウを船に載せ、インドのゴアを拠点に宣教活動をしていたザビエルに引き合わせ懺悔させたとも言われています。つまり、貿易路は逃走路・懺悔路にもなったのです。いずれにしても、ヤジロウは自分のかつての罪を告白するためにマラッカの丘の上の教会(現在のセントポール教会史跡)にザビエルを訪ねたと言うわけです。この時、鹿児島からヤジロウに同行したもう二人の日本人がいました。彼らはザビエルと共にゴアに行き、そこのコレジオ(聖神学院)で学びをするようになるのです。ヤジロウはポルトガル語を学ぶのですが自分の罪を消すために一心に覚えた、又、ザビエルの難しい話は分からないが何も苦にならず自分の罪を消すために神にすがっていたと言うのです。そして、コレジオに入って二か月して洗礼を勧められ、自分の罪が赦されることを期待して受洗したのです。さて、ザビエルは一五四八年一一月にゴアで宣教監督になりましたが、翌一五四九年四月に、イエズス会士コスメ・デ・トーレス神父、フアン・フェルナンデス修道士、中国人マヌエル、インド人アマドール、ゴアで洗礼を受けたばかりのヤジロウら三人の日本人と共にジャンク船でゴアを出発して日本を目指しました。一行は明(中国)の上(サン)川(シャン)島(広東省江門市台山)を経由し、ヤジロウの案内で先ずは薩摩半島の坊津(ぼうのつ)に上陸し、許可を得て一五四九年八月一五日に現在の鹿児島市祇園之洲(ぎおんのす)町に到着したのです。このように、ザビエルは日本人を含む八人で海のシルクロードを船で宣教のために来日し、二年余りの期間、彼は薩摩(鹿児島)、肥前(ひぜん)(佐賀・長崎)、周防(すほう)(山口)、難波(大阪)、京(京都)、豊後(ぶんご)(山口)へと陸路・海路を駆使し、更に要職者に献上する貿易商品を携えて盛んに布教を試みたのです。

写真説明:フランシスコ・ザビエルの日本での渡航路の地図 
<ウェブサイト”https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/saintbeato/xaviel”より転載>

2018年2月2日 14時38分36秒 (Fri)

聖書とシルクロード:ザビエルのインドへの渡航路

聖書とシルクロード:ザビエルのインドへの渡航路 日本へのカトリック教会の最初の宣教師フランシスコ・ザビエルは、スペイン北部に位置したナバル王国の後に宰相となる父、その父に優るとも劣らぬ名家の出身である母のもとで一五〇六年に誕生しました。やがて、ナバル王国はスペインに併合されます。一五二五年、彼は一九歳でフランスの名門パリ大学へ入学しますが、ここで彼は、転校して来た三七歳の片足の自由を失った傷痍軍人イグナチウス・ロヨラに出合うのです。一方、ザビエルが勉学中に母が、更に女子修道院長であった姉が亡くなります。その頃、彼は哲学コースの最後の学びをしていたのですが、ロヨラから強い影響を受け聖職者になる決心をしました。そして、ロヨラ、ザビエル、ピエール・ファーヴル、シモン・ロドリゲス、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、アルフォンソ・サルメロンの七人が、一五三四年にモンマルトルの聖堂で神に生涯を捧げる誓いを立てる「モンマルトルの誓い」をしてカトリック男子修道会であるイエズス会を創立したのです。この時のミサは、既に只一人司祭になっていたファーブルが執行しましたが、一同はローマ教皇パウルス三世の知遇を得て、一五三七年にヴェネツィアの教会でビンセンテ・ニグサンティ司教によって、ファーブル以外の六人も司祭に叙階されました。イエズス会の目的は世界宣教(布教、教育、福祉活動)です。(新約聖書・マタイによる福音書二八章一九、二〇節参照)当初、彼らはエルサレム巡礼の誓いを立てるのですが、国際情勢の悪化で果たせませんでした。しかし、ポルトガル王ジョアン三世の依頼を受け、当時ポルトガル領であったインドのゴアに会員を派遣することになり、その主役がザビエルでありました。彼の一行四人は一五四一年四月にリスボンを出発し、海路でアフリカのモザンビークを経てインドのゴアに翌年五月に到着しました。彼はゴアを拠点にインド各地で宣教に励み、更に一五四五年にはマレー半島のマラッカ、及び一五四六年には現在のインドネシアのモルッカ諸島まで活動範囲を広げました。彼は宣教交通手段として船を利用していますが、その船は貿易船であったに違いありません。つまり、海のシルクロードがアジア一帯でも張り巡らされていたのです。

写真説明:<ウェブサイト”https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/saintbeato/xaviel”より転載>

プロフィール

プロフィール画像
性別
現住所
愛媛県今治市波方町郷乙404₋32
職業
牧師・宣教師
自己紹介
●新名(しんみょう) 忠臣(ただおみ)
●実践神学博士(米国アンドリューズ大学神学院)、元親業インストラクター
●札幌、小樽、苫小牧、仙台、東京・天沼で牧師を歴任。
●セブンスデー・アドベンチスト教団北海道教区長、青年部長、コミュニケーション部長、宗教自由部長、ラジオ牧師、総務局長等を歴任。
●宣教師としてシンガポールと韓国に在住し、副総務、コミュニケーション部、宗教自由部、出版部、ラジオ・テレ部等の部長としてアジア太平洋地域を巡回指導。
●最近まで、北アジア太平洋支部宣教部副部長。
●著書『夫と妻のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『親と子のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『わが青春は主のために』(三五堂)『暮らしの中のキリスト教』(新教出版社)『地球家族と聖書の言葉』(福音社)等。
Self Introduction in English
Full Name: Tadaomi Shinmyo
Sex: Male
Nationality: Japan
Citizenship: Japan

Education:
●B.A. in Theology in 1966 (Japan Missionary College)
●M.A. in Philosophy and Religion in 1972 (Philippine Union College Graduate School)
●Ordination: March 1973
●Doctor of Ministry in 1987 (Theological Seminary of Andrews University in USA)

Vocation:
●Pastor of the Japan Union Conference since 1966.
●Departmental Director of the Japan Union Conference for over 14 years.
●Radio Speaker and Japan Union Conference Secretary for a while.
●Missionary assigned to Departmental Director of Communication, Religious Liberty, Publishing Ministries, TV & Shortwave Radio Ministries, and Associate Secretary to Asia Pacific Division based in Singapore and Northern Asia-Pacific Division based in Korea for all together 9 years and 7 months.
facebook
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