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2017年3月 アーカイブ

2017年3月31日 14時27分19秒 (Fri)

聖書と神道の死観

 聖書は、人間の生と同様に死についても非常に明確な論理を展開しています。死とは生との反対の過程を経ます。旧約聖書の伝道の書一二章七節に、「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る」と述べられています。つまり、人間は死ねば、土で造られた体は元の土に戻ります。確かに、死体が土葬にされれば文字通り土に帰ります。そして、「霊はこれを授けた神に帰る」とありますが、「霊」とは「命の息」(同・創世記二章七節参照)のことです。従って、死ねば息も無くなり体も朽ちて消滅すると言うことです。生は望ましいことであるのに対して、死はその反対です。「生きている者は死ぬべき事を知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる。」(同・伝道の書九章五節)「雲が消えて、なくなるように、陰府(よみ)に下る者は上がって来ることがない。」(同・ヨブ記七章九節)そして、聖書は死を罪の結果であると断言しているのです。「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」(新約聖書・ローマ人への手紙六章二三節)清くなく汚れていることが罪であり、罪は死を産み出しますので、死は汚れと結び付きます。一方、神道には汚れ・穢れとは気が枯れると言う解釈があります。気が枯れる最たる状態が死ですので、死は穢れと直結します。『古事記』上巻の「伊邪那(いざな)岐(きの)命(みこと)と伊邪那(いざな)美(みの)命(みこと)」の中に「黄泉(よみの)国(くに)」があります。これは、男神・伊邪那岐命が死んだ女神・伊邪那美命に会うために黄泉国へ行ったという神話です。男神が、そこで見たのは身体に蛆(うじ)がたかる醜い女神でしたので、驚き恐れて現世に逃げ帰って来たという物語です。そして、次の「禊祓(みそぎはらえ)と三貴子」の冒頭で、男神・伊邪那岐命は、「私は、なんといやな穢(けが)らわしい、きたない国に行っていたことだろう。だから、私は身体を清める禊(みそ)ぎをしよう」と語っています。(『古事記』(上)全訳注、浜田真幸、講談社学術文庫、六九ページ)このように、聖書と神道は死を罪・穢れと関連付ける共通の観念を有しているのです。

2017年3月24日 10時41分32秒 (Fri)

聖書と神道の生観 

キリスト教の生命に関する観念が聖書に基づいているのは言うまでもありません。では、聖書は人間の生命の起源、そして人間の生の目的についてどのように説明しているのでしょう。旧約聖書の創世記一章二七節に次のように書かれています。「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」つまり、人間は神の御像(みかたち)に従って創造されたのであり、人間は初めから人間として存在したのです。換言すれば、進化の過程を経て人間となったのではありません。ですから、聖書は進化論ではなく、創造論を支持しています。更に、同二章七節には人間の誕生について具体的な記録があります。「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」人間は土で神の御像に似せて体が造られ、その土の体に神から生命の息を吹き入れられて初めて生命体になったのです。従って、人間の生きる目的は生命の賦与者である神のために生きることなのです。「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。」(新約聖書・コリント人への第一の手紙一〇章三一節)さて、神道の人間の生死に関して、國學院大學学長・安蘇谷正彦著「神道の生死観と神道古典」(明治聖徳記念学会紀要平成一九年一一月)と言う非常に興味深い論文があります。この論文で同氏は六人の神道学者の論説を比較紹介した後に、最後に神道の生観を次の三項目にまとめているのです。「第一に人間の出生にあたって、人間は神から授かったという認識をもつように教えている。第二に、人間の本性はいろいろに捉えられるが、基本的には神から授けられた本性を、そのまま生きることが善とされる。第三に人間の生きる意味は、神から生れた人間は何を為すべきかを認識している。あるいは生れながら知っているので、それを中心に生きることと捉えられる。」私が驚いたのは、先ず「人間は神から授かった」という認識であり、人間の生き方として「神から授けられた本性」を生きるとしていることです。聖書と同じ生観と言えます。

2017年3月17日 11時51分32秒 (Fri)

聖書の偶像禁止と神社の偶像不在

 旧約聖書の出エジプト記二〇章一~一七節に有名な十戒が序論も含めて明記されています。その十戒第二条は偶像礼拝禁止を厳命しています。「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。」(四~六節)従って、カトリック教会(旧教)から宗教改革の結果誕生した聖書至上主義のプロテスタント教会(新教)は聖母(マリヤ)像や聖人像を造りませんし拝みません。新約聖書のコリント人への第一の手紙一〇章一四節でパウロは、「それだから、愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい」と明言しています。ですから、プロテスタント教会堂の内外には偶像は見当たりません。さて、日本の宗教として神道と仏教が挙げられますが、双方の大きな相違の一つは偶像の有無です。仏教には多種類の仏像があることは周知の事実ですが、神道には偶像は存在しません。神社の本殿には神道で言う御神体が鎮座していますが、御神体は例えてみれば神が宿る器であり、神そのものではありません。御神体には見えない神が宿っているのだから見る必要がなく、だから見えない神の存在を像にして見る必要はなく、拝礼の対象にする必要は基本的にないと言うのです。そして、目に見えない神を心で感じ、感謝し、祈ることにこそ意味があると言われています。人々が拝殿から本殿に向かって拝むのは、御神体に宿っている見えない神に対してと言うことになります。つまり、目に見える御神体を神とするのではない、御神体を偶像として拝んでいるのではないと言うのです。この考え方は、聖書の十戒第二条の教えに沿っています。一方、聖書に登場する主である神は天上におられると同時に地上の人間のそば近くにも臨在されますが、いわゆる御神体の中に常時は鎮座されていると言うことではありません。(新約聖書・使徒行伝一七章二四節参照)

2017年3月10日 11時56分18秒 (Fri)

供え物を食する祭司と神職

 旧約聖書の出エジプト記二四章に、預言者モーセ、大祭司アロン、及び他のイスラエルの民の指導者が神の前で食事をしたことが記録されています。「こうしてモーセはアロン、ナダブ、アビウおよびイスラエルの七十人の長老たちと共にのぼって行った。そして、彼らがイスラエルの神を見ると、その足の下にはサファイアの敷石のごとき物があり、澄み渡るおおぞらのようであった。神はイスラエルの人々の指導者たちを手にかけられなかったので、彼らは神を見て、飲み食いした。」(同章九~一一節)又、神に捧げられた供え物は取り下げられた後に祭司によって食べられたことが示唆されています。「そこでイエスが答えて言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが飢えていたとき、ダビデのしたことについて、読んだことがないのか。すなわち、神の家にはいって、祭司たちのほかだれも食べてはならぬ供えのパンを取って食べ、また供の者たちにも与えたではないか」。(新約聖書・ルカによる福音書六章三、四節)実は、神への供え物が後に聖職者によって食べられる風習が神道にもあるのです。神社の拝殿には神の食物(神饌(しんせん))として供え物が捧げられますが、それらが取り下げられた後には神職等によって食されると言うのです。神事の後に関係者が供え物を食する行事は直会(なおらい)と呼ばれ、神と一緒に食事をする、神の力を頂くことを意味するそうです。この考え方は、家庭での神棚への供え物についても同じだと言われています。イエス・キリストが十字架刑に処せられる前に弟子たちと共に食事をされたことは「最後の晩餐」として良く知られています。(新約聖書・マルコによる福音書一四章二二~二六節参照)イエス・キリストは父なる神、聖霊なる神と共に三位一体の神であられますので、弟子たちは文字通り神と共に夕食をしたのです。これは旧約聖書・出エジプト記の「彼らは神を見て、飲み食いした」の新約聖書版と言えます。つまり、聖書に神人共食の原点があるわけですが、この概念が神道にも影響を与え、神社への供え物が取り下げられた後に神職を始め捧げた人々によって食されるようになったと言えましょう。

2017年3月3日 10時58分23秒 (Fri)

「神の道」と「神道」

 聖書の神は天地万物の創造主、全知全能者、そして三位一体の父、子であるイエス・キリスト、聖霊である神として人間にお現われになります。聖書は、神の道を歩むようにと私たち人間に何度も勧告しています。「主よ、あなたの定めの道をわたしに教えてください。わたしは終りまでこれを守ります。」(旧約聖書・詩篇一一九篇三三節)この詩篇作者は、主である神の「定めの道」を教えて欲しい、それを終生守るという決意を表明しています。更に、イザヤ書五五章八節で神は預言者イザヤを通して次のように語っておられます。「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。」ここで神は、「わが道」、即ち神の道は人間の道とは異なると述べておられます。新約聖書のヨハネによる福音書一四章六節でイエス・キリストは次のように宣言されました。「イエスは彼に言われた、『わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。』」つまり、イエス御自身が「わたしは道」であると仰せられたのです。従って、キリスト教は神の道、イエスの道と言うことが出来ます。さて、日本の宗教である神道は漢字では文字通り神の道です。ある辞典によれば、神道は日本固有の民俗信仰であり、特定の神域に神饌(しんせん)(「みけ」とも言って祭等で神に献上する食事)を供え、音楽歌舞で神を慰め、恵みを請う呪術から出発し、やがて神社を建て、神を祀るようになり、更に様々の形式・制度が整って今日のようになったと言うのです。しかし、ここで注意したいのは、日本固有と言いますが、固有と言われるものは大抵は過去に、又どこかに存在していたものに起因しているのです。紀元一世紀にシルクロードを経て聖書の神がインドや中国に伝えられ、更に弥生時代に渡来人によって日本に紹介された可能性があり、聖書の神が日本的神に変容して神道となったと考えられます。キリスト教で言う「神の道」とは聖書の神の教えを意味しますが、同じ神の道と書く「神道」はキリスト教ではなく日本の宗教のことです。双方とも漢字で書けば神の道ではありますが、それぞれの宗教の神が誰であるかが大きく違っているのが残念でなりません。

プロフィール

プロフィール画像
性別
現住所
愛媛県今治市波方町郷乙404₋32
職業
牧師・宣教師
自己紹介
●新名(しんみょう) 忠臣(ただおみ)
●実践神学博士(米国アンドリューズ大学神学院)、元親業インストラクター
●札幌、小樽、苫小牧、仙台、東京・天沼で牧師を歴任。
●セブンスデー・アドベンチスト教団北海道教区長、青年部長、コミュニケーション部長、宗教自由部長、ラジオ牧師、総務局長等を歴任。
●宣教師としてシンガポールと韓国に在住し、副総務、コミュニケーション部、宗教自由部、出版部、ラジオ・テレ部等の部長としてアジア太平洋地域を巡回指導。
●最近まで、北アジア太平洋支部宣教部副部長。
●著書『夫と妻のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『親と子のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『わが青春は主のために』(三五堂)『暮らしの中のキリスト教』(新教出版社)『地球家族と聖書の言葉』(福音社)等。
Self Introduction in English
Full Name: Tadaomi Shinmyo
Sex: Male
Nationality: Japan
Citizenship: Japan

Education:
●B.A. in Theology in 1966 (Japan Missionary College)
●M.A. in Philosophy and Religion in 1972 (Philippine Union College Graduate School)
●Ordination: March 1973
●Doctor of Ministry in 1987 (Theological Seminary of Andrews University in USA)

Vocation:
●Pastor of the Japan Union Conference since 1966.
●Departmental Director of the Japan Union Conference for over 14 years.
●Radio Speaker and Japan Union Conference Secretary for a while.
●Missionary assigned to Departmental Director of Communication, Religious Liberty, Publishing Ministries, TV & Shortwave Radio Ministries, and Associate Secretary to Asia Pacific Division based in Singapore and Northern Asia-Pacific Division based in Korea for all together 9 years and 7 months.
facebook
http://www.facebook.com/home.php?clk_loc=5#!/profile.php?id=100001267058201

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