シェア
楽天市場
[無料でホームページを作成] [通報・削除依頼]

2016年4月 アーカイブ

2016年4月29日 15時11分48秒 (Fri)

聖書とシルクロード その 二四 中国のユダヤ人社会

 ノアの洪水の後、神はノアに旧約聖書の創世記九章三~四節で次のように言われました。「すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。」また、神はモーセを通して民にレビ記一七章一四節で次のように語られました。「すべて肉の命は、その血と一つだからである。それで、わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたは、どんな肉の血も食べてはならない。すべて肉の命はその血だからである。すべて血を食べる者は断たれるであろう。」従って、旧約聖書を信じるユダヤ人(ユダヤ教徒)は、肉を食べる時には血を抜くのです。ウェブサイト「ヘブライの館2」の「インドと中国のユダヤ人」という項目に、中国の古都であった河南省の開封に最古のユダヤ人社会が存在していたと言及されています。そして、中国では昔からユダヤ教徒が動物を屠る際に血抜きを易しくするために筋を切ることから、ユダヤ教は「刀筋教」又は「桃筋教」と呼ばれたというのです。そして、「ユダヤ商人は紀元前数百年の昔から、中央アジア、メソポタミア、トルキスタン、サマルカンド、チベット、インドなどに多数居住しており、東洋にも中国・漢の全盛時代に、すでに入り込んでいる」と書かれています。この記事からも、ヘブル人、イスラエル人、またユダヤ人と呼ばれる人々が、シルクロードを駆使して盛んに商業活動をしていたことが窺えます。ラビ・マーヴィン・トケイヤー・久保有政(訳)の著書『聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史』には、次のように説明されています。「中国における古くからのユダヤ人居住地としてとくに有名なのは、開封である。開封は、かつては中国の首都だったこともある所で、古くからユダヤ人コミュニティが存在していた。」「開封のユダヤ人をはじめ、中国のユダヤ人の起源は、はるか古代にまでさかのぼることができる。開封にある石碑によると、ユダヤ人は開封に、紀元前二三一年にはすでに来ていた。」「西暦七〇年のエルサレム陥落によるユダヤ人離散よりもずっと前から、中国には多くのユダヤ人(またはイスラエル人)が住んでいた。」ですから、イエス・キリストの弟子たちは、同胞への宣教にエルサレムから絹の道を経てアジア全域へ出かけたはずです。

2016年4月22日 12時25分29秒 (Fri)

聖書とシルクロード その 二三 隊商の道と戦争の道

聖書とシルクロード その  二三 隊商の道と戦争の道 旧約聖書の士師記八章一〇~一二節に次のように書かれています。「さてゼバとザルムンナは軍勢おおよそ一万五千人を率いて、カルコルにいた。これは皆、東方の民の全軍のうち生き残ったもので、戦死した者は、つるぎを帯びているものが十二万人あった。ギデオンはノバとヨグベハの東の隊商の道を上って、敵軍の油断しているところを撃った。ゼバとザルムンナは逃げたが、ギデオンは追撃して、ミデアンのふたりの王ゼバとザルムンナを捕え、その軍勢をことごとく撃ち敗った。」この記事の要旨は、一二万人の戦死者を出しながら約一万五千人の軍勢を率いてカルコルいたミデアンの二人の王ゼバとザルムンナをギデオンが「東の隊商の道」を上って撃破したということです。実は、驚くべきことですが、ギデオンのわずか三百人の少数勢力の部隊が、神の奇跡的介入により敵軍一二万人を倒したのです。その詳細については同書六~八章に記録されています。さて、ミデアンの二人の王の全軍は「東方の民」と呼ばれていますが、それはヨルダン川の東ということです。そして、ミデアン人はイシマエル人とも呼ばれています。(士師記八章二四節参照)ヨセフが兄弟たちにエジプトへの奴隷として売り渡されたのがイシマエル人又はミデアン人の商人たちでありました。(創世記三七章二七、二八節)ミデアンは、地理的にはシナイ半島の東のアカバ湾の東に位置しています。従って、ミデアン人たちの軍勢は、南から北上してイスラエルの民を攻めて来たということです。それに対して、「ギデオンはノバとヨグベハの東の隊商の道を上って、敵軍の油断しているところを撃った」と書かれています。ノバとはキンネレテの海(ガリラヤ湖)の東方七五キロ辺りにある町であり、ヨグベハはヨルダン川の東側の支流の一つであるヤボク川の上流にある町です。聖書は、非常に興味深いことに、この双方の町を結ぶ道を「東の隊商の道」と記しています。ということは、ヨルダン川の西の隊商の道も存在していたということを示唆しています。つまり、ヨルダン川を挟んで二つの交易路が南北に走っていたことになります。この「東の隊商の道」をイスラエル人のギデオンの部隊がミデアン人の軍勢を追って進軍して勝利を収めたのです。こういうわけで、皮肉なことに双方に利益をもたらす隊商の道は一方を滅ぼす戦争の道にもなりました。

写真説明:ギデオンの軍勢 ("the Bible Story" Arthur S. Maxwell Volume 3, p.122-123より転載)

2016年4月15日 12時22分43秒 (Fri)

聖書とシルクロード その二二 ソロモン王と貿易

聖書とシルクロード その二二 ソロモン王と貿易 旧約聖書の列王記上一〇章一四~一五節に次のような記録があります。「さて一年の間にソロモンのところに、はいってきた金の目方は六百六十六タラントであった。そのほかに貿易商および商人の取引、ならびにアラビヤの諸王と国の代官たちからも、はいってきた。」ここには、はっきりと「貿易商および商人の取引」という商業用語が使用されています。そして、驚くべきことは一年間にソロモン王が得た金は約二三トンもあったということです。彼はアラビヤの諸王と陸路や海路の交易路を使って盛んに貿易をしていたと考えられます。同書一〇章二一~二二節には次のように書かれています。「ソロモン王が飲むときに用いた器は皆金であった。またレバノンの森の家の器も皆純金であって、銀のものはなかった。銀はソロモンの世には顧みられなかった。これは王が海にタルシシの船隊を所有して、ヒラムの船隊と一緒に航海させ、タルシシの船隊に三年に一度、金、銀、象牙、さる、くじゃくを載せてこさせたからである。」この記事からソロモン王がどれほどの金、銀を所有していたかがわかりますが、それらを彼の所持していた船隊で運んでいたのです。ヒラムは地中海の港町ツロの青銅細工人です(同書七章一三~一四節)。ソロモン王は、現代的に言えば海のシルクロードで海運業も営んでいたのです。なお、タルシシという地名はスペインの南部のジブラルタル又はカジスの近辺だと言われています。いずれにしても、地中海は間違いなく海のシルクロードでありました。更に同書一〇章二八~二九節により、ソロモン王は金銀財宝のみならず軍事・兵器の貿易にも従事していたことが窺えます。「ソロモンが馬を輸入したのはエジプトとクエからであった。すなわち王の貿易商はクエから代価を払って受け取ってきた。エジプトから輸入される戦車一両は銀六百シケル、馬は百五十シケルであった。このようにして、これらのものが王の貿易商によって、ヘテびとのすべての王たちおよびスリヤの王たちに輸出された。」ここでは馬及び戦車が取引されていますが、それらをソロモン王はエジプトとクエから輸入して、ヘテびとやスリヤの王たちに輸出しているのです。ソロモン王は紀元前九七一年から九三一年までイスラエル統一王国を治めた人物ですが、彼の記録からも当時の交易がいかに隆盛であったかがよくわかります。

写真説明:地中海の船隊 ("the Bible Story" Arthur S. Maxwell Volume 4, p.138-139より転載)

2016年4月7日 18時01分04秒 (Thu)

聖書とシルクロード その二一 穀物購入でカナンからエジプトへ

聖書とシルクロード その二一 穀物購入でカナンからエジプトへ エジプトに奴隷として売れられたヨセフは、神の摂理的な介入によりエジプト王パロによって同国の総理大臣とも言うべき地位に任命されるのです。創世記四一章四一~四三節には次のように書かれています。「パロは更にヨセフに言った、『わたしはあなたをエジプト全国のつかさとする』。そしてパロは指輪を手からはずして、ヨセフの手にはめ、亜麻布の衣服を着せ、金の鎖をくびにかけ、自分の第二の車に彼を乗せ、『ひざまずけ』とその前に呼ばわらせ、こうして彼をエジプト全国のつかさとした。」さて、同章によればエジプトに七年間の豊作と七年間の飢饉が生じます。同章五六~五七節に次の記録があります。「ききんが地の全面にあったので、ヨセフはすべての穀倉を開いて、エジプトびとに売った。ききんはますますエジプトの国に激しくなった。ききんが全地に激しくなったので、諸国の人々がエジプトのヨセフのもとに穀物を買うためにきた。」注目したいのは、飢饉がエジプト以外でもあり、諸国の人々が穀物を買うためにエジプトに来たということです。ということは、エジプトと周辺国との間には交易路が整備されていたと考えられます。そして、実に皮肉なことですが、創世記四二章一~三節の記事では、ヨセフをエジプトに売った彼の兄弟たちがカナンからエジプトのヨセフのもとへ穀物を買うために来ているのです。「ヤコブはエジプトに穀物があると知って、むすこたちに言った、『あなたがたはなぜ顔を見合わせているのですか』。また言った、『エジプトに穀物があるということだが、あなたがたはそこへ下って行って、そこから、われわれのため穀物を買ってきなさい。そうすれば、われわれは生きながらえて、死を免れるであろう』。そこでヨセフの十人の兄弟は穀物を買うためにエジプトへ下った。」この記録から、エジプトとカナンと間には情報の伝達網があった言うことになりますが、現代のような電気通信技術はありませんので、隊商たちによって情勢が伝えられたことになります。つまり、交易路があったので、ヨセフと彼の兄弟たちとの劇的な感動的な再会があったということです。同四五章五節でヨセフは兄弟たちに語りました。「しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。」これは紀元前一六六〇年の出来事です。

写真説明:ヨセフと兄弟たちの再会 ("the Bible Story" Arthur S. Maxwell Volume 2, p.69より転載)

2016年4月1日 12時49分22秒 (Fri)

聖書とシルクロード その二〇 日本にもキリスト教伝来

聖書とシルクロード その二〇 日本にもキリスト教伝来 佐伯好郎は、八八歳になった晩年に、日本にキリスト教が伝来したのは紀元一九九年であったと主張したそうです。さらに、中央アジアで最初のキリスト教王国になった弓月のキリスト教徒、しかもユダヤ人の原始教会のクリスチャンが日本に来たかもしれないと言うのです。その可能性は大いにあると思われます。というのは、弓月王国からシルクロードを東へ進み行くと朝鮮半島に至り、そこから船で日本に行き着くからです。イエス・キリストの弟子たちがエルサレムからシルクロードを駆使して東西南北へ宣教に出かけ、トマスはインドへ紀元五二年、ある者は中国へ六一年、そして他の者がシルクロードの東の果ての日本へ一九九年に到着したという可能性は大いにあります。日本では弥生時代になります。最近の青森県の三内丸山遺跡の発掘から、日本の縄文時代に関して新事実が明らかになり、世界の考古学者の注目を集めています。縄文文化は紀元前三百年まで続き、狩猟採集の生活でありながら住居を造り定住していたと言うのです。それが、朝鮮半島を通して稲作等の農耕生活が導入されてから弥生時代を迎えました。稲作と共に、大陸の様々な先進文化が日本に入って来たはずで、キリスト教が含まれていたことも十分に考えられます。ちなみに、日本のことをヤマト(大和)と呼びますが、このヤマトの出所について大変興味深い説があります。ヨセフ・アイデルバーグ著『大和民族はユダヤ人だった―出エジプトから日本への道 』は次のように述べています。「ヤマトの民が天山山脈地方にいたかも知れない証拠は、新彊北西部にあるイリ川上流に『ヤマトゥ』という小さな場所があることで、おそらく証明されるであろう。イリ川のヤマトゥから日本のヤマトに通じる道は、天山山脈を通り、タクラマカン砂漠の北辺にある有名な古代シルクロードに沿って、東支那から朝鮮に到る道である。」イリ川は、弓月王国が存在した地域を流れている川です。そして、彼は、弓月王国付近は別名「ヤマトゥ」と呼ばれたと言うのです。「ヤマトゥ」とはヘブライ語の「ヤ」と「マトゥ」から成り、「ヤ」は聖書の神の名である「ヤハウェ」、「マトゥ」は民・民族・氏族・国を意味する「ウマト」なので、「ヤマトゥ」とは「ヤハウェの民」だと言うのです。つまり、「ヤマト(大和)」と呼ばれる日本は聖書の神である「ヤハウェ」の国と言うことになります。

写真説明:三内丸山遺跡(ウィキペディアより転載)

プロフィール

プロフィール画像
性別
現住所
愛媛県今治市波方町郷乙404₋32
職業
牧師・宣教師
自己紹介
●新名(しんみょう) 忠臣(ただおみ)
●実践神学博士(米国アンドリューズ大学神学院)、元親業インストラクター
●札幌、小樽、苫小牧、仙台、東京・天沼で牧師を歴任。
●セブンスデー・アドベンチスト教団北海道教区長、青年部長、コミュニケーション部長、宗教自由部長、ラジオ牧師、総務局長等を歴任。
●宣教師としてシンガポールと韓国に在住し、副総務、コミュニケーション部、宗教自由部、出版部、ラジオ・テレ部等の部長としてアジア太平洋地域を巡回指導。
●最近まで、北アジア太平洋支部宣教部副部長。
●著書『夫と妻のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『親と子のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『わが青春は主のために』(三五堂)『暮らしの中のキリスト教』(新教出版社)『地球家族と聖書の言葉』(福音社)等。
Self Introduction in English
Full Name: Tadaomi Shinmyo
Sex: Male
Nationality: Japan
Citizenship: Japan

Education:
●B.A. in Theology in 1966 (Japan Missionary College)
●M.A. in Philosophy and Religion in 1972 (Philippine Union College Graduate School)
●Ordination: March 1973
●Doctor of Ministry in 1987 (Theological Seminary of Andrews University in USA)

Vocation:
●Pastor of the Japan Union Conference since 1966.
●Departmental Director of the Japan Union Conference for over 14 years.
●Radio Speaker and Japan Union Conference Secretary for a while.
●Missionary assigned to Departmental Director of Communication, Religious Liberty, Publishing Ministries, TV & Shortwave Radio Ministries, and Associate Secretary to Asia Pacific Division based in Singapore and Northern Asia-Pacific Division based in Korea for all together 9 years and 7 months.
facebook
http://www.facebook.com/home.php?clk_loc=5#!/profile.php?id=100001267058201

ブログ 毎週更新 Blog Weekly

1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031

日本PMMニュース PMM Newsletter in Japan

1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031

アドベンチスト南米人ニュース Adventist South Americans

1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031

北アジア太平洋支部所属時宣教活動 Missionary Activities under Northern Asia-Pacific Division

1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031

新聞掲載記事 News Articles to Papers

1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031

英文雑誌掲載記事 Articles to English Magazines

1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031

カテゴリー

アーカイブ

2026年
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
QRコード
携帯用QRコード
セントラル短資FXの特徴