2013年5月 アーカイブ
2013年5月31日 15時35分43秒 (Fri)
天国とは? その三 カトリック的天国
カトリック教会では、人は死ねばどこへ行くと教えているのでしょうか。同教会の『カトリック要理』では、死とは霊魂が体から離れることであり、体は土に帰り、霊魂は神の審判を受けると教えています。そして、審判には私審判と公審判があり、人が死後に直ちに受けるのが私審判であり、その結果、天国、地獄、練獄のいずれかに行くと説いています。なお、公審判とは世界の終わりにすべての人が受ける審判のことであり、公審判後に存在するのは天国と地獄だけです。では、カトリック教会の説明する天国、地獄、練獄とはどのような所なのでしょうか。まず「天国とは、義人が神から永遠の幸福と報いを受けるところです。」「天国に行くのは、成聖の恩恵を持ち、少しも罪の汚れがなく、果たさなければならない償いをことごとく果たし終えた霊魂です。また、この世で得た各自の成聖の恩恵といさおしとの度合いによって、永遠の光栄と幸福の度合も異なります。」一方、「地獄とは、大罪を持ったまま死んだ人が、神から離れて悪魔とともにその罪の永遠の罰を受けるところです。地獄の罰とは第一に神を永遠に失うことであり、さらにある種の感覚的な苦しみを受けることです。」「地獄に行くのは、大罪のゆるしを受けないで死んだ人の霊魂です。」それから、「練獄とは、この世で果たし終えなかった罪の償いを果たし終えるまで、義人の霊魂が苦しみを受けるところです。」「練獄に行くのは、成聖の恩恵を持っていても、小罪があるかあるいは罪の償いをまだ果たし終えないで死んだ人の霊魂です。」このようにカトリック教会は、人間は死後にどこへ行くかについて明快に教えており、その特徴は何と言っても練獄についての教理です。ある意味で、審判者・神は、生前の生活で天国行きの切符を買うのに不足した人を天国に入れるわけにもいかず、さりとて地獄に落とすには余りにも酷なので、その中間の練獄に行かせるという考え方です。これは大変興味のある説ですが、聖書には根拠がありません。
新約聖書のマタイによる福音書二五章三三節でイエス・キリストは、いかなる審判も救いか否かの二者択一であり、その中間はないことを「羊を右に、やぎを左におくであろう」という例えで語っておられます。
新約聖書のマタイによる福音書二五章三三節でイエス・キリストは、いかなる審判も救いか否かの二者択一であり、その中間はないことを「羊を右に、やぎを左におくであろう」という例えで語っておられます。
2013年5月24日 15時34分26秒 (Fri)
天国とは? その二 仏教的天国
仏教では、人は死ねばどこへ行くと教えているのでしょうか。実は、仏教の開祖である釈迦自身は、人間の死後については触れていません。釈迦によれば、この世は苦、すなわち思うようにはならないことで満ちているのです。その基本的なものは「生苦、老苦、病苦、死苦」の四苦であり、続いて「愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦」の四つが挙げられ、合わせて八苦とされます。これらは避けようとしても避けられません。ある意味で、人は誕生と同時に死に向かって生き始めるので、生の中に既に死が存在しているのです。では、仏教ではどのようにして苦を解決すると教えるのでしょうか。インドから南方に広がった小乗仏教では、苦は人間の欲望に原因があるので、その欲望を克服すれば解決できるとします。幸福になりたい、年取りたくない、病気を治したい、死にたくない等の欲を捨てればいいというのです。一方、インドから日本を含む北方に伝来した大乗仏教では、苦とは「思うにならない」ことだと受容すれば解決できるとします。苦とは、自分の思うようにしようとすることから起こるのだから、それを止めれば「苦にならない」のです。換言すれば、「なるようになる」と高を括っていればいいというのです。人生とはそういうものだと「明らかにする」、「明きらめる」ことなのです。このように「悟る」、「解脱」する、超越することによって、苦を克服することができ「涅槃」の状態に達するのです。『ブッダのことば スッタニパータ』の八四八で「・・・どのような戒律をたもつ人が『安らかである』と言われるのか?ゴータマ(ブッダ)よ。・・・」と質問を受けたのに対して釈迦は、八四九で「死ぬよりも前に、妄執を離れ、過去にこだわることなく、現在においてもくよくよと思いめぐらすことがないならば、かれは(未来に関しても)特に思いわずらうことがない」と答えています。こういうわけで、この世で欲から離れ、思い煩わない心境に達する状態が仏教的天国と言えましょう。大乗仏教では浄土の思想がありますが、死後に極楽・浄土へ行けると説くのは死を考えないための方便、また悪行をすれば地獄へ行くというのもそうしないための方便だというのです。これに対して、新約聖書のマタイによる福音書三章二節には、「悔い改めよ、天国は近づいた」とあり、方便としてではなく、字義通りの天国の存在が断言されています。
2013年5月17日 15時30分32秒 (Fri)
天国とは? その一 神道的天国
神道では、人は死ねばどこへ行くと教えているのでしょうか。それは、神道という宗教の根本的教えに基づいています。神道による葬儀は神葬祭と呼ばれ、人の死去を帰幽というそうです。神道は祖先を崇敬する宗教であり、各氏族の始祖を氏神とし、祖先を自分たちの守り神として崇敬します。人は祖先の神から出ており、死ぬと祖先の神のもとへ帰って行くという死生観を持っています。換言すれば、人は死後、家族や親族を見守る御霊となって祖先神の仲間入りをするというのです。つまり、神道では人は死後に神になるという、人と神の連続性が大きな特徴になっています。江戸時代の豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の祠官であった中西直方は、「死道百首」の中で、「日の本に生まれ出にし益人(ますびと)は神より出でて神に入るなり」と詠んでいるそうです。こういうわけで、神道の教えは、日本人は祖先から自分へ、自分から子孫へと永遠に連続を形成する霊魂の不滅、霊魂の引き継ぎともいえる死生観なのです。そして、「日本人の御霊は、仏教でいうような十万億土にいくのではなく、わが家、わが郷土、わが国に留まって、祖神と共に子孫の繁栄を見守り、子孫からのお祭りを受ける」というのです。ですから、神葬祭は故人を天国や極楽浄土に送るのではなく、死者の御霊をその家に留めて、家の守護神になってもらうための儀式なのです。従って、神道では人は死後どこへ行くのかといえば、人から神になるけれども、それまで人として生きていた自分の家に依然として留まるということになります。神道的天国とは、故人が生前に住んでいた家、即ちこの世ということです。
この神道の教えは聖書と全く異なっています。まず、聖書の神は天地万物の創造者であり、全知全能の神であって、人間とは隔絶しています。人間はこの神によって創造されますが、人間が死後に神になるなどという概念は決してありません。ですから、十戒の第一条で神は、「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」(出エジプト記二〇章三節)と言明され、人間に対して人間を含む、いかなる生物・無生物をも神としてはいけないことを宣言しておられるのです。そして、聖書の天国はこの世ではありません。
この神道の教えは聖書と全く異なっています。まず、聖書の神は天地万物の創造者であり、全知全能の神であって、人間とは隔絶しています。人間はこの神によって創造されますが、人間が死後に神になるなどという概念は決してありません。ですから、十戒の第一条で神は、「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」(出エジプト記二〇章三節)と言明され、人間に対して人間を含む、いかなる生物・無生物をも神としてはいけないことを宣言しておられるのです。そして、聖書の天国はこの世ではありません。
2013年5月10日 15時32分15秒 (Fri)
死後の状態:聖書的見解
人は死ねばどうなるのでしょうか。これは、古今東西を問わず人間にとって最大の疑問の一つです。その一方で、はっきりしている事実は、死後の人間の遺体は活動しないということです。どんな遺体の処理方法であっても、死んだ人間の体は生きていないことは万人の認めるところです。それなのに、葬儀の時に追悼者が、故人があたかも生きているかのように語りかけるのはどうしてでしょうか。それは、故人の体は無くなっても、その魂はまだ生きていると思っているからです。つまり、霊魂不滅の思想のためです。それでは、人類の歴史に最も影響を及ぼしている聖書は、人間の死後についてどのような見解を述べているのでしょうか。旧約聖書のヨブ記一四章一〇~一二節に、「しかし人は死ねば消えうせる。息が絶えれば、どこにおるか。水が湖から消え、川がかれて、かわくように、人は伏して寝、また起きず、天のつきるまで、目ざめず、その眠りからさまされない」と説明されています。ここでは、死は眠りに例えられ、天の尽きるまで目覚めず、体は勿論のこと魂の活動もないことを示唆しています。伝道の書九章五~六節には、「生きている者は死ぬべき事を知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる。その愛も、憎しみも、ねたみも、すでに消えうせて、彼らはもはや日の下に行われるすべての事に、永久にかかわることがない」とあり、死後の状態は無意識であり、死者と生存者との間の交流は一切無いのです。さらに、詩篇一四六篇四節には、「その息が出ていけば彼は土に帰る。その日には彼のもろもろの計画は滅びる」と書かれてあり、死者の思考活動はもはや無く、死後の故人の霊魂の存在を否定しています。つまり、聖書は霊魂不滅説ではないのです。人間に関する聖書的見解は、人間とは霊肉一体であり、肉体と霊魂は分離していません。従って、霊肉一体の人間が死ぬということは、霊肉の活動が停止することであり、肉体は無くなっても霊魂だけが生きているということではありません。
2013年5月3日 14時37分48秒 (Fri)
土葬の聖書的意味
人間の葬り方として、土葬、火葬、風葬、鳥葬、水葬、宇宙葬、冷凍葬、樹木葬等、さまざまな方法があります。そうした中で、なぜ聖書は土葬なのでしょうか。それは、人間の生死の過程に調和しているからです。聖書によれば、人間は天地万物の創造者であられる神によって最初から人間として創造されました。つまり、創造論であり、進化論ではありません。旧約聖書の創世記二章七節に、「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった」と明言されています。例えてみれば、人間ロボットは様々の物質を利用して製造され、電流を通して動くようになるということです。さて、人間の体は水、炭素、アンモニア、石灰、リン、塩分、硝石、硫黄、フッ素、鉄、ケイ素、その他から成っていますが、これらのすべての成分は土の中に存在しています。そういうわけで、「神は土のちりで人を造り」という言葉には信憑性があります。そして神は、電流に相当する「命の息をその鼻に吹きいれられた」ので「人は生きた者となった」のです。一方、人間が死ぬとはどういうことなのでしょうか。旧約聖書の伝道の書一二章七節に、「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る」と断言されています。つまり、聖書によれば死とは生の反対の過程を辿るのです。ですから、死ぬと「土のちりで」造られていた人間の体は「土に帰り」、「命の息」である神の「霊」は「神に帰る」ことになるのです。換言すれば、人間の体は文字通り地上の土に戻り、「命の息」は命の源であられる天上の神に吸収されるのです。従って、人間は死でもってすべての活動が終わるのです。いわば、人間の死後の状態は眠りに例えられます。この事実を踏まえた人間の葬り方法としては土葬以外にありません。土葬は遺体を土に戻すことに他なりません。地下一メートル余りまで地面を掘り起こして棺を納め、再びその上に土をかぶせる埋葬式に参列して実感したことは、聖書の教えの真実性です。人間の体の成分がすべて土の成分からできているならば、遺体を土に戻すのが自然であり、それを焼くというのは考えようによっては残酷です。また、火葬は数時間で遺体を骨と灰にするので遺族の死者への思いを断ち切る不自然があります。ましてや、鳥に食べさせる鳥葬は人間の尊厳を著しく踏みにじるような気がします。
- 水曜聖書講座
- 世界総会総理安息日礼拝説教(和訳) GC President Sermon
- 安息日礼拝説教(音声) Sabbath Sermon (Voice)
- ブログ 毎週更新 Blog Weekly
- アルバム 静画 Album Photo
- アルバム 動画 Album Movie
- 本の紹介 1 Book 1
- 本の紹介 2 Book 2
- 本の紹介 3 Book 3
- 本の紹介 4 Book 4
- 本の紹介 5 Book 5
- 本の紹介 6 Book 6
- 本の紹介 7 Book 7
- 本の紹介 8 Book 8
- 本の紹介 9 Book 9
- 本の紹介 10 Book 10
- 日本PMMニュース PMM Newsletter in Japan
- アドベンチスト南米人ニュース Adventist South Americans
- 北アジア太平洋支部所属時宣教活動 Missionary Activities under Northern Asia-Pacific Division
- 新聞掲載記事 News Articles to Papers
- 英文雑誌掲載記事 Articles to English Magazines
- English Article 1
- English Article 2
- English Article 3
- フリーページ 日本語 1 Japanese Article 1
- フリーページ 日本語 2 Japanese Article 2
- フリーページ 日本語 3 Japanese Article 3
- フリーページ 日本語 4 Japanese Article 4
- フリーページ 日本語 5 Japanese Article 5
- フリーページ English Article 1
- フリーページ English Article 2
- フリーページ English Article 3
- 論文 1 English Thesis
- 論文 2 English Dissertation
- 論文 3 日本語 Japanese Thesis
- 論文 4 日本語 Japanese Thesis
- 掲示板 Bulletin Board
- リンク Link
- フリーページ
プロフィール

- 性別
- 男
- 現住所
- 愛媛県今治市波方町郷乙404₋32
- 職業
- 牧師・宣教師
- 自己紹介
- ●新名(しんみょう) 忠臣(ただおみ)
●実践神学博士(米国アンドリューズ大学神学院)、元親業インストラクター
●札幌、小樽、苫小牧、仙台、東京・天沼で牧師を歴任。
●セブンスデー・アドベンチスト教団北海道教区長、青年部長、コミュニケーション部長、宗教自由部長、ラジオ牧師、総務局長等を歴任。
●宣教師としてシンガポールと韓国に在住し、副総務、コミュニケーション部、宗教自由部、出版部、ラジオ・テレ部等の部長としてアジア太平洋地域を巡回指導。
●最近まで、北アジア太平洋支部宣教部副部長。
●著書『夫と妻のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『親と子のコミュニケーション』(キリスト新聞社)『わが青春は主のために』(三五堂)『暮らしの中のキリスト教』(新教出版社)『地球家族と聖書の言葉』(福音社)等。
- Self Introduction in English
- Full Name: Tadaomi Shinmyo
Sex: Male
Nationality: Japan
Citizenship: Japan
Education:
●B.A. in Theology in 1966 (Japan Missionary College)
●M.A. in Philosophy and Religion in 1972 (Philippine Union College Graduate School)
●Ordination: March 1973
●Doctor of Ministry in 1987 (Theological Seminary of Andrews University in USA)
Vocation:
●Pastor of the Japan Union Conference since 1966.
●Departmental Director of the Japan Union Conference for over 14 years.
●Radio Speaker and Japan Union Conference Secretary for a while.
●Missionary assigned to Departmental Director of Communication, Religious Liberty, Publishing Ministries, TV & Shortwave Radio Ministries, and Associate Secretary to Asia Pacific Division based in Singapore and Northern Asia-Pacific Division based in Korea for all together 9 years and 7 months.
- http://www.facebook.com/home.php?clk_loc=5#!/profile.php?id=100001267058201
日本PMMニュース PMM Newsletter in Japan
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
| 1 | ||||||
| 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
| 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
| 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
| 30 | 31 | |||||
アドベンチスト南米人ニュース Adventist South Americans
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
| 1 | ||||||
| 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
| 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
| 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
| 30 | 31 | |||||
北アジア太平洋支部所属時宣教活動 Missionary Activities under Northern Asia-Pacific Division
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
| 1 | ||||||
| 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
| 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
| 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
| 30 | 31 | |||||
新聞掲載記事 News Articles to Papers
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
| 1 | ||||||
| 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
| 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
| 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
| 30 | 31 | |||||
カテゴリー
アーカイブ
携帯用QRコード
- 水曜聖書講座
- 世界総会総理安息日礼拝説教(和訳) GC President Sermon
- 安息日礼拝説教(音声) Sabbath Sermon (Voice)
- ブログ 毎週更新 Blog Weekly
- アルバム 静画 Album Photo
- アルバム 動画 Album Movie
- 本の紹介 1 Book 1
- 本の紹介 2 Book 2
- 本の紹介 3 Book 3
- 本の紹介 4 Book 4
- 本の紹介 5 Book 5
- 本の紹介 6 Book 6
- 本の紹介 7 Book 7
- 本の紹介 8 Book 8
- 本の紹介 9 Book 9
- 本の紹介 10 Book 10
- 日本PMMニュース PMM Newsletter in Japan
- アドベンチスト南米人ニュース Adventist South Americans
- 北アジア太平洋支部所属時宣教活動 Missionary Activities under Northern Asia-Pacific Division
- 新聞掲載記事 News Articles to Papers
- 英文雑誌掲載記事 Articles to English Magazines
- English Article 1
- English Article 2
- English Article 3
- フリーページ 日本語 1 Japanese Article 1
- フリーページ 日本語 2 Japanese Article 2
- フリーページ 日本語 3 Japanese Article 3
- フリーページ 日本語 4 Japanese Article 4
- フリーページ 日本語 5 Japanese Article 5
- フリーページ English Article 1
- フリーページ English Article 2
- フリーページ English Article 3
- 論文 1 English Thesis
- 論文 2 English Dissertation
- 論文 3 日本語 Japanese Thesis
- 論文 4 日本語 Japanese Thesis
- 掲示板 Bulletin Board
- リンク Link
- フリーページ
