其の捌~特別企画第一弾~
2011年10月21日 18時49分01秒 (Fri)
創雲です。
久しぶりの記事なので、すこし雑談めいた事を書いて腕ならしをしましょうか。
そんな厳しい関係では無いのですが、一応私には弟子が三人いたりします。部員で言うと凌雲、志ん米、雲甫の三名ですが、師匠らしいことはあんまりしてません。志ん米は一人で稽古するので、私は全く必要無いし。とにかく、弟子という事になっているらしい。名前に「雲」が入っていたりしたら私の一門(?)です。
もともと私は創設者の「海原亭創太」の「創」の字を頂いています。大御所創太師匠は来年度で引退ということになっておりまして、この大名跡(二つ目名っぽいけれど、大名跡です)の後継は誰にしようか、なんて一人思い悩んでいるのです。うちの部活では「三遊亭円朝」くらい価値のある名前です。古典芸能部は設立から5年あまりの歴史の浅い部活ですが、部長職の人は「海原亭であること」という条件を満たさねばなりません。そこで私は密かに志ん米に「創太」を継いでもらって来年の部長になってもらえたらな、と画策しています。デビュー当時は新米だった(一年の時から上手くてびっくりしました)のですが、三代目三遊亭金馬を参考にした滑稽話はもはや我が部の看板。その志ん米に「いらねーよ」とつっかえされたら元も子もないけれど。それに、初代創太師匠が名前を誰かに譲ってくれるかどうか解らないし、そもそも部活の芸名なんて一代限りでいいじゃないかと言われそうですね。
個人的には「創太」の名跡が廃れるのは非常に惜しい。こういう仕組みをつくっておけば未来の後輩に「~代目 海原亭◯◯でございます」と言ってもらえるかもしれないじゃないですか。なんとかごり押しするつもりです。
さて、前のコラムで「実は最近芝居噺とか円朝の怪談といったことに興味を持ち始めて、そういう方でなにか書こうかな、とは思っているのです。」などと予告をしました。明治の落語の中興の祖、落語の神様の異名をとる伝説的な人物について、なにか深く掘り下げてみようじゃないかと、そういう試みであります。
テストが終わってようやく時間に余裕ができたので、しばらく「円朝」というテーマで何回かに分けて書くことに決めました。題して「部長の部屋 第八回記念企画 連載~円朝の系譜を辿って~」(じゃーん、とファンファーレが鳴る)。
......................................................................。
.................................。
まあ、大したものじゃ無いし、打ち切りの可能性大なので、あんまり大げさに宣伝するのはよしましょう。三日坊主の私の宣言です。多分三回くらいで終わるとおもいますが、兎に角はじめちまおうと思います。あと、特別企画の文体は思い切って「です ます」から「だ である」にしておきましたが、同一人物が書いていますので、どうぞよろしくお願いします。
第一夜「桂歌丸と『栗原宿』」
先日のことである。私は中間試験の最中にも関わらず「桂歌丸特撰落語会」に出かるという暴挙にでた。落語ファンを自称する手前、行かぬわけにはゆかぬではないか。後日、公民、数学Aといった科目で恐ろしい結末を迎えたわけだが、そのときの私は皮算用的な思考でテストのことを考えていたのである。人は学習しない。
落語会は桂歌丸の噺家生活60年を記念して、人気番組「笑点」のメンバーが順に登場し、最後に歌丸師匠がトリをとるというもの。番組のネタ「富士子夫人」「独身の昇太」「大月秩父代理戦争」など笑点視聴者向けの落語会、といったところか。木久扇だけ札幌の仕事があって居なかったが、すかさず円楽が「山田もいねえし」と笑いをとっていた。
それにしても、噺家生活60年になるそうである。中学生のときに古今亭今輔に入門し、米坊、歌丸と名前を変えて現在に至るが、単純に計算しても人生の80パーセントも落語に使っているわけだ。驚くべきことだと思った。私は桂歌丸その人のことは、つい最近までは「笑点」の人気で食っているという、無礼なイメージしか無かったが、それは大きな間違いで、彼こそが現在存命の噺家の中でもっとも三遊亭円朝に近い人物である、と改めた。
彼の円朝ものに対する姿勢を知ったきっかけは、夏休みも終わりに差し掛かったころ、知人が持ってきてくれた読売新聞の「時代の証言者」というコーナーを目にしたことだった。
タイトルは「円生の大ネタ 今や十八番」。手元に切り抜きがまだ残っているのだが、内容を簡単に書くと、桂歌丸は1994年「TBS落語研究会」の白井プロデューサーなる人に怪談牡丹灯籠の一節「栗原宿」をやってみてはどうか、と持ちかけられた。無理だと断ったが、最後には折れて、亡き六代目三遊亭円生のビデオを参考にして演じた。いまでは「栗原宿」は歌丸の代表作と呼ばれるようになったが、円生の芸と白井プロデューサーが居なくてはならなかった、という舞台裏が明かされている。
記事によると、歌丸はけっこう円生に気に入られていたそうだ。たまたま地方で同じ仕事をしたとき、円生が差し向かいになった歌丸に「絵本太閤記」を一時間近く聞かせて、あたかも落語「寝床」のようなことになってしまったようだ。それを根気よく聞いたことがきっかけとなって、それ以来会うたびに声を掛けられていたそうな。笑点の特別企画で三波伸介、歌丸、円生で出演したこともあったらしい。しかし、笑点の仲間であり、円生の弟子である円楽に何度も誘われていたのにも関わらず、稽古をつけてもらう機会を逃したまま1979年、円生は他界してしまう。
「座布団一枚 桂歌丸のわが落語人生」(小学館)によれば、歌丸が新作派から古典派に移ったのは1974年のこと。地元横浜の「三吉演芸場」という寄席で独演会を開いたところから、一気に新作から古典落語に移行する。先日の「桂歌丸特撰落語会」では「横浜は住むところ、東京は金儲けをするところと決めているから地元に住み続けている」と語っていたが、地元の横浜でじっくり時間をかけて仕込んだ噺を披露するという時は、やはり「金儲け」を超えた「芸を磨きたい」という真摯な姿勢で演じていたのだろうか。
しかし、不思議なことである。二つ目時代から古典をやりたいと思っていた、と本人は言っているものの、師匠の古今亭今輔、桂米丸は新作寄りの人である。そもそも落語芸術協会は円朝もののような重い古典は専門では無い。何が歌丸の大幅な路線変更となったのだろうか。我が古典芸能部顧問、川崎先生に伺ったところ、非常に興味深い事を教えていただいた。
昭和の落語史に時々登場する「一朝老人」とういう人がいる。かの円朝の弟子である。明治から昭和初期まで生きていたというシーラカンスのような人で、その技術を継承した主な人物といえば当時の扇遊亭金八(林家彦六の初期の名)だという事は有名だ。舞台装置や小道具を用いる芝居噺の稽古をつけられた林家彦六はのちにその芝居噺の第一人者となる。円朝の記憶を昭和の名人に橋渡しした人物、それが一朝翁であった。ここからが面白いのだが、実は円朝の噺を一朝老人から教わったのは、林家彦六だけでは無い。一朝に芝居噺や円朝ものの怪談を仕込まれたもう一人の人物、それが歌丸の師匠、古今亭今輔だったのだ。古今亭今輔は地方出身のため江戸弁を使いこなせず、一朝老人には円朝ものを演じる素質が無いと、早々に諦められてしまったのだとか。だからこそ古典落語ではなく、標準語で一般受けの良い新作へシフトしたのだそうだ。
いやはや、まったく川崎先生の知識には驚いた。
歌丸が師匠からそのようなことを聞いたかどうかは解らないが、あえて古典を封印している師匠の姿から、なにかを感じ取ったことは確かだろう。今輔も米丸も新作専門だったので、当時の芸術協会の大御所、六代目春風亭柳橋から稽古をつけてもらったりしながら古典へと切り替えていった。昭和49(1974)年のことである。
だが、歌丸が円朝の長編に本格的に挑むのはそこから20年後のこと。先ほども紹介したように円朝ものを数多く手がけた三遊亭円生のビデオをもとに、見事な「栗原宿」を作り上げた。
歌丸の「栗原宿」はいつか生で聴きたいと思っているが、なかなか叶わない。仕方が無いので「怪談牡丹灯籠」を通し公演で録音したCDを聴いてみた。
「怪談牡丹灯籠」はとても長い長い噺で、そのあらすじを紹介するだけで疲れてしまうから、今回はそれを省くが、兎に角長くて難しくて複雑な因果話なのである。
聴いてまず思ったことは「桂歌丸は平成の三遊亭円生じゃないか」ということだ。口調、間、言葉使いがよく似ている。円生の「牡丹灯籠」のエッセンスを吸収、再構成していたというのが良く解る。難解な江戸弁を東京の言葉に直した、多くの層にわかる「牡丹灯籠」だった。
その中で秀逸だったのはやはり「栗原宿」。江戸で主人の萩原新三郎を殺し、栗原宿まで逃亡した伴蔵お峰の夫婦、悪事を働いて得た金で開いた店が繁盛するが、大金を持つようになってから旦那の伴蔵は少しずつ罪悪感が無くなっていき、欲深く腹黒い男になる。商売女との浮気がばれた伴蔵は外出先の森の中で音も無くお峰を殺害する。という下りだ。前話の「お札はがし」では気弱な小悪党だった伴蔵「栗原宿」になるとどす黒い欲を持った男へと変貌する。「牡丹灯籠」の中でも最もサスペンスな幕で、特にお峰殺害の場面には思わず背筋がぞわっとした。
円朝の創った壮大な因果話の中でも人の欲や負の感情が吹き出してくるところを、扇子と手ぬぐいのみで再現するのは並大抵の技量の者ではできない。多くの場合は演者がストーリーの重みに耐えきれなくなってしまうのではないか。女房に背後から音も無く忍び寄り斬りつける残忍な男の欲望を絶妙な間で表現した桂歌丸のそれを聴いたとき「この人こそ現役の中で円朝ものの真髄にもっとも近い噺家だ」と思ったのだった。
現在、桂歌丸は「牡丹灯籠」に並ぶ長編怪談「真景累ヶ淵」の全てを録音に挑戦中だそうだ。すべての因果が明らかにされるまでを録音する完璧な音源化は、六代目三遊亭円生ですら到達していない域であり、これをもし成功させれば、落語史にとって大きな足跡となることだろう。桂歌丸の円朝ものへの取り組みはまだまだ終わらない。
そして平成にまでその名を轟かす落語の神様、三遊亭円朝に私は更なる興味を持ってしまった。
特別企画第一夜はここまで。次回もお楽しみに。
久しぶりの記事なので、すこし雑談めいた事を書いて腕ならしをしましょうか。
そんな厳しい関係では無いのですが、一応私には弟子が三人いたりします。部員で言うと凌雲、志ん米、雲甫の三名ですが、師匠らしいことはあんまりしてません。志ん米は一人で稽古するので、私は全く必要無いし。とにかく、弟子という事になっているらしい。名前に「雲」が入っていたりしたら私の一門(?)です。
もともと私は創設者の「海原亭創太」の「創」の字を頂いています。大御所創太師匠は来年度で引退ということになっておりまして、この大名跡(二つ目名っぽいけれど、大名跡です)の後継は誰にしようか、なんて一人思い悩んでいるのです。うちの部活では「三遊亭円朝」くらい価値のある名前です。古典芸能部は設立から5年あまりの歴史の浅い部活ですが、部長職の人は「海原亭であること」という条件を満たさねばなりません。そこで私は密かに志ん米に「創太」を継いでもらって来年の部長になってもらえたらな、と画策しています。デビュー当時は新米だった(一年の時から上手くてびっくりしました)のですが、三代目三遊亭金馬を参考にした滑稽話はもはや我が部の看板。その志ん米に「いらねーよ」とつっかえされたら元も子もないけれど。それに、初代創太師匠が名前を誰かに譲ってくれるかどうか解らないし、そもそも部活の芸名なんて一代限りでいいじゃないかと言われそうですね。
個人的には「創太」の名跡が廃れるのは非常に惜しい。こういう仕組みをつくっておけば未来の後輩に「~代目 海原亭◯◯でございます」と言ってもらえるかもしれないじゃないですか。なんとかごり押しするつもりです。
さて、前のコラムで「実は最近芝居噺とか円朝の怪談といったことに興味を持ち始めて、そういう方でなにか書こうかな、とは思っているのです。」などと予告をしました。明治の落語の中興の祖、落語の神様の異名をとる伝説的な人物について、なにか深く掘り下げてみようじゃないかと、そういう試みであります。
テストが終わってようやく時間に余裕ができたので、しばらく「円朝」というテーマで何回かに分けて書くことに決めました。題して「部長の部屋 第八回記念企画 連載~円朝の系譜を辿って~」(じゃーん、とファンファーレが鳴る)。
......................................................................。
.................................。
まあ、大したものじゃ無いし、打ち切りの可能性大なので、あんまり大げさに宣伝するのはよしましょう。三日坊主の私の宣言です。多分三回くらいで終わるとおもいますが、兎に角はじめちまおうと思います。あと、特別企画の文体は思い切って「です ます」から「だ である」にしておきましたが、同一人物が書いていますので、どうぞよろしくお願いします。
第一夜「桂歌丸と『栗原宿』」
先日のことである。私は中間試験の最中にも関わらず「桂歌丸特撰落語会」に出かるという暴挙にでた。落語ファンを自称する手前、行かぬわけにはゆかぬではないか。後日、公民、数学Aといった科目で恐ろしい結末を迎えたわけだが、そのときの私は皮算用的な思考でテストのことを考えていたのである。人は学習しない。
落語会は桂歌丸の噺家生活60年を記念して、人気番組「笑点」のメンバーが順に登場し、最後に歌丸師匠がトリをとるというもの。番組のネタ「富士子夫人」「独身の昇太」「大月秩父代理戦争」など笑点視聴者向けの落語会、といったところか。木久扇だけ札幌の仕事があって居なかったが、すかさず円楽が「山田もいねえし」と笑いをとっていた。
それにしても、噺家生活60年になるそうである。中学生のときに古今亭今輔に入門し、米坊、歌丸と名前を変えて現在に至るが、単純に計算しても人生の80パーセントも落語に使っているわけだ。驚くべきことだと思った。私は桂歌丸その人のことは、つい最近までは「笑点」の人気で食っているという、無礼なイメージしか無かったが、それは大きな間違いで、彼こそが現在存命の噺家の中でもっとも三遊亭円朝に近い人物である、と改めた。
彼の円朝ものに対する姿勢を知ったきっかけは、夏休みも終わりに差し掛かったころ、知人が持ってきてくれた読売新聞の「時代の証言者」というコーナーを目にしたことだった。
タイトルは「円生の大ネタ 今や十八番」。手元に切り抜きがまだ残っているのだが、内容を簡単に書くと、桂歌丸は1994年「TBS落語研究会」の白井プロデューサーなる人に怪談牡丹灯籠の一節「栗原宿」をやってみてはどうか、と持ちかけられた。無理だと断ったが、最後には折れて、亡き六代目三遊亭円生のビデオを参考にして演じた。いまでは「栗原宿」は歌丸の代表作と呼ばれるようになったが、円生の芸と白井プロデューサーが居なくてはならなかった、という舞台裏が明かされている。
記事によると、歌丸はけっこう円生に気に入られていたそうだ。たまたま地方で同じ仕事をしたとき、円生が差し向かいになった歌丸に「絵本太閤記」を一時間近く聞かせて、あたかも落語「寝床」のようなことになってしまったようだ。それを根気よく聞いたことがきっかけとなって、それ以来会うたびに声を掛けられていたそうな。笑点の特別企画で三波伸介、歌丸、円生で出演したこともあったらしい。しかし、笑点の仲間であり、円生の弟子である円楽に何度も誘われていたのにも関わらず、稽古をつけてもらう機会を逃したまま1979年、円生は他界してしまう。
「座布団一枚 桂歌丸のわが落語人生」(小学館)によれば、歌丸が新作派から古典派に移ったのは1974年のこと。地元横浜の「三吉演芸場」という寄席で独演会を開いたところから、一気に新作から古典落語に移行する。先日の「桂歌丸特撰落語会」では「横浜は住むところ、東京は金儲けをするところと決めているから地元に住み続けている」と語っていたが、地元の横浜でじっくり時間をかけて仕込んだ噺を披露するという時は、やはり「金儲け」を超えた「芸を磨きたい」という真摯な姿勢で演じていたのだろうか。
しかし、不思議なことである。二つ目時代から古典をやりたいと思っていた、と本人は言っているものの、師匠の古今亭今輔、桂米丸は新作寄りの人である。そもそも落語芸術協会は円朝もののような重い古典は専門では無い。何が歌丸の大幅な路線変更となったのだろうか。我が古典芸能部顧問、川崎先生に伺ったところ、非常に興味深い事を教えていただいた。
昭和の落語史に時々登場する「一朝老人」とういう人がいる。かの円朝の弟子である。明治から昭和初期まで生きていたというシーラカンスのような人で、その技術を継承した主な人物といえば当時の扇遊亭金八(林家彦六の初期の名)だという事は有名だ。舞台装置や小道具を用いる芝居噺の稽古をつけられた林家彦六はのちにその芝居噺の第一人者となる。円朝の記憶を昭和の名人に橋渡しした人物、それが一朝翁であった。ここからが面白いのだが、実は円朝の噺を一朝老人から教わったのは、林家彦六だけでは無い。一朝に芝居噺や円朝ものの怪談を仕込まれたもう一人の人物、それが歌丸の師匠、古今亭今輔だったのだ。古今亭今輔は地方出身のため江戸弁を使いこなせず、一朝老人には円朝ものを演じる素質が無いと、早々に諦められてしまったのだとか。だからこそ古典落語ではなく、標準語で一般受けの良い新作へシフトしたのだそうだ。
いやはや、まったく川崎先生の知識には驚いた。
歌丸が師匠からそのようなことを聞いたかどうかは解らないが、あえて古典を封印している師匠の姿から、なにかを感じ取ったことは確かだろう。今輔も米丸も新作専門だったので、当時の芸術協会の大御所、六代目春風亭柳橋から稽古をつけてもらったりしながら古典へと切り替えていった。昭和49(1974)年のことである。
だが、歌丸が円朝の長編に本格的に挑むのはそこから20年後のこと。先ほども紹介したように円朝ものを数多く手がけた三遊亭円生のビデオをもとに、見事な「栗原宿」を作り上げた。
歌丸の「栗原宿」はいつか生で聴きたいと思っているが、なかなか叶わない。仕方が無いので「怪談牡丹灯籠」を通し公演で録音したCDを聴いてみた。
「怪談牡丹灯籠」はとても長い長い噺で、そのあらすじを紹介するだけで疲れてしまうから、今回はそれを省くが、兎に角長くて難しくて複雑な因果話なのである。
聴いてまず思ったことは「桂歌丸は平成の三遊亭円生じゃないか」ということだ。口調、間、言葉使いがよく似ている。円生の「牡丹灯籠」のエッセンスを吸収、再構成していたというのが良く解る。難解な江戸弁を東京の言葉に直した、多くの層にわかる「牡丹灯籠」だった。
その中で秀逸だったのはやはり「栗原宿」。江戸で主人の萩原新三郎を殺し、栗原宿まで逃亡した伴蔵お峰の夫婦、悪事を働いて得た金で開いた店が繁盛するが、大金を持つようになってから旦那の伴蔵は少しずつ罪悪感が無くなっていき、欲深く腹黒い男になる。商売女との浮気がばれた伴蔵は外出先の森の中で音も無くお峰を殺害する。という下りだ。前話の「お札はがし」では気弱な小悪党だった伴蔵「栗原宿」になるとどす黒い欲を持った男へと変貌する。「牡丹灯籠」の中でも最もサスペンスな幕で、特にお峰殺害の場面には思わず背筋がぞわっとした。
円朝の創った壮大な因果話の中でも人の欲や負の感情が吹き出してくるところを、扇子と手ぬぐいのみで再現するのは並大抵の技量の者ではできない。多くの場合は演者がストーリーの重みに耐えきれなくなってしまうのではないか。女房に背後から音も無く忍び寄り斬りつける残忍な男の欲望を絶妙な間で表現した桂歌丸のそれを聴いたとき「この人こそ現役の中で円朝ものの真髄にもっとも近い噺家だ」と思ったのだった。
現在、桂歌丸は「牡丹灯籠」に並ぶ長編怪談「真景累ヶ淵」の全てを録音に挑戦中だそうだ。すべての因果が明らかにされるまでを録音する完璧な音源化は、六代目三遊亭円生ですら到達していない域であり、これをもし成功させれば、落語史にとって大きな足跡となることだろう。桂歌丸の円朝ものへの取り組みはまだまだ終わらない。
そして平成にまでその名を轟かす落語の神様、三遊亭円朝に私は更なる興味を持ってしまった。
特別企画第一夜はここまで。次回もお楽しみに。
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