世界の黒澤明の第一歩秘話
2012年7月21日 16時55分24秒 (Sat)
部誌「河童狸」最新号の「ムーランルージュ新宿座と海城学園」の記事における追記で、インタビューをさせて頂いた本学OBの友成哲久仁氏。おじさまでいらっしゃる達雄氏は、東宝を中心として、戦前戦後の、実に40年の長きに渡り、百数十に渡る作品(東京五人男、憧れのハワイ航路等々)を撮影された名映画キャメラマンです。
哲久仁氏のムーラン海城公演観劇をはじめとする海城時代の思い出と、達雄氏ならびに邦画との関りを伺うべく、映画監督の田中重幸氏、前高校部部長の熊谷亮太君同道のもと、7月21日、世田谷等々力の同氏ご自宅へをお訪ねました。
友成哲久仁氏は昭和6年のお生まれ。
父君である久敏氏は、なんと、Z旗挙げて、で有名な東郷平八郎の「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層、奮励努力せよ」の打電を担当された方とのこと。
松本藩十一代の主である久敏氏を長男とし、三男の用三、四男の達雄両氏は映画界に身を投じられました。これは久敏氏が東宝の大立者であった森岩雄氏と懇意だったことによるもので、久敏氏と森氏は同人誌「ササナキ」の執筆仲間だったそうです。
このお二人には、こんな秘話があります。かの有名な嘉納治五郎氏とも親交が厚く、柔道家でもあった久敏氏。朋友の森氏に、「当節(昭和18年頃)は時局映画ばかりで困ったものだ。富田常雄の「姿三四郎」を映画にしたらどうだ。姿三四郎のモデルの西郷四郎氏は講道館での稽古仲間なのだが」と進言。「興行成績が見込めるだろうか」と渋ったものの、森氏は製作に踏切ります。監督はこれが処女作となる黒澤明。
時を同じくして、黒澤自身も姿三四郎のシナリオを書いていた(自伝による)わけで、世界のクロサワの、斯界の巨人への第一歩踏み出しの裏にこんなやりとりがあったわけです。岩雄氏の心配をよそに、姿三四郎が当り狂言となったのは皆様ご承知の通りです。
さて、用三氏は映画監督をされ、何本かの作品を製作されたものの、「(若手時代の)長谷川一夫が言うことを聞かなくて」(哲久仁氏談)憤怒し、映画界を去られたそうです。
一方、達雄氏は、斎藤寅次郎、山本嘉次郎といった喜劇の巨匠に重用されました。なるほど、そうでなければ、百本を超える、しかもいまもって名作とされる戦前、戦中、戦後の作品の撮影をされているはずがありません。
戦後は、キャメラマンをつとめる傍らで、東宝砧撮影所玄関近くに「青い鳥」なる喫茶店を経営。ここで、哲久仁氏自身も、多くの映画スターを目にしたそうです。
残念ながら、達雄氏の消息は不明(存命なら115歳)とのことで、東宝関係者で、ご存じの方がいらっしゃれば是非ご一方を、とのことです。達雄氏も、用三氏同様、長谷川一夫の評価は低かったそうで、阪東妻三郎の評価が高かったそうです。
ところで、哲久仁氏ご自身は、父君が台北高校教員時代に同地で誕生され、19年に海城中学入学。これは父君が、台北高校赴任前の勤務先であった佐賀唐津中学で、同校の校長であった下村湖人(作家。「次郎物語」で有名)氏の二男である下村徹氏がすでに海城中学に入学していたので、その紹介によるものとのこと。下村徹氏にはムーラン調査の際にお世話になり、なるほど、ここでも縁の繋がりを実感しました。入学の年に千葉習志野の連隊に赴いた際の写真は大変に貴重なもので、この時は速水配属将校が同行された思い出を語られました。この写真は本校資料室にもない貴重なものです。
この後の20年3月に氏は休学されます。これは、当時、理研製鉄所を北朝鮮の羅興に設立していた父君の、「いよいよ東京が危ないからこちらに来い」との勧めによるものだったそうです。が、案に相違して、終戦時のソ連兵の横暴に苦労(父君は死亡)され、実に一ヶ月に渡る彷徨の末、ようやく38度線を越えて帰国。復学されたそうです。その翌年に行われたムーラン海城公演を、まさに隔世の感でご覧になったそうです。
ムーラン海城公演は、講堂ではなく剣道場で行われたわけですが、それもそのはず、友成氏ご提供の写真(掲載のもの)の通り、20年5月の山の手空襲で、本校講堂は焼け落ち、骨組みだけになっていたのですから。これも本校資料室にはない貴重な写真です。
25年にご卒業後は法政大学へ進まれ、日本電気に就職。四十年に渡り重職を歴任されご退職。現在に至るそうです。
様々な方に聞き取りに伺う度に思うのは、秘話を埋もれさせてはならない、ということです。
今回の世界のクロサワの第一歩の話などは、映画界で「まったく知られていない」(田中監督談)貴重なお話です。そしてまた、本校資料室に加わった学園の歴史。
今後ともこのような取材を続けることを前高校部長の熊谷亮太君と約して、世田谷等々力を後に致しました。
友成様、この度は大変に有難うございました。
(落語担当顧問)
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