2012年4月 アーカイブ
2012年4月28日 19時53分13秒 (Sat)
春ですね(続き)
さて、立川談笑師匠です(以下、敬称略)。
談笑の「花見の仇討ち・改」というのが、なかなか良い風に仕上がっており、これは「花見の仇討ち」についていろいろと考えたのだな、と解る噺となっています。
前回は確か①「違う価値観のものを演じるとちぐはぐで滑稽だ」というのと②「ご都合主義なエンディングはそんなには訪れないが、そっちのほうが面白い、いや、人生そんなもんだ」というのを面白いポイントとして挙げました(なんとなく、同じものを別の言い方をしている気もしますが、そこは気にしないように頼みます)。
談笑はこの面白い部分をより効果的に演出するために、大幅な改変をします。
花見の余興として芝居をするということになると「芝居がかった台詞はよそう」と「やあやあ汝は何の某よな、何年以前に我が父を討って立ち退きし大悪人、ここで逢ったが優曇華の花咲き待ちたる今日ただ今、いざ尋常に勝負!」という台詞を全部無くします(以前僕もこの噺をやったことがあるのですが、演じている途中で抜けました、アドリブで誤摩化したけど、みんな気づいて…)。確かに、リアリティを求めるなら、この考えは至極合理的であります。これは、上に挙げた①を強調する為のもの捉えられます。というのも、みんなを驚かせようとしているのに、わざわざ芝居みたいな台詞を言うなんて不自然ですから。この改善によって若い衆が寸劇に対し、シリアスで質の高いものを求めていることが解るのです。よって、この真面目なところの後に訪れるドタバタでの落差がより強調されて、①の部分がもっと面白くなるようになります。
次に、巡礼兄弟役二人のうちの片方が「俺、謎の中国人がやりたい」と、リーダーの言う事を聞かず、当日は弁髪のチャイナ服という出で立ちで登場します。もう、ここだけでみんな爆笑するのですが、この笑い所というのは底の浅いクスグリにはとどまりません。この中国人、なんか強い。仇討ちの中に謎の中国人が参戦し、秘伝のカンフーで牢人と巡礼にパンチを繰り出します。助太刀で侍が乱入するより、謎の中国人が入って来るほうがもっと意味不明でドタバタしていますね。これは良い。ツボでした。突然に意味不明な展開になると、なんか楽しいという点では②に入ると言えます。また、この中国人役の男が一番様になっていて、むしろ巡礼や侍の方が逆にボロが出ちゃってるというところ。なんかこう、ふざけてるとしか思えないやつが一番上手いんですね。そうなると真面目に劇をやろうとしている奴らの方がちぐはぐに見えてきて、①の面白さにつながってきます。中国人を異質なものと見れば②、中国人を中心に見れば①になるという。談笑のお得意の悪ノリかと思いきや、なんと深い演出でしょう。
余談ですが、談笑は外国人、特にベトナム人の真似が好きです(彼の創作落語『イラサリマケー』とか『叙々苑』とか)。もう下ネタ中の下ネタかつ、右翼と左翼が束になって襲いかかってくるようなキワドいお話のオンパレード…。「なんでこの人が「お切徳三郎」なんてやるんだ?意味わかんねえ」という感じのものなのですが、興味があったらCDの購入をお勧めします。
閑話休題。
最後にもう一つ大きな改善があります。それが「助太刀に入った侍が本気で怒る」というところ。確かに「肝心の六部が来ません」なんて言って逃げたやつを放置する訳がありません。噺家によってはこの侍は酔っぱらっていることもある。勢いでこのふざけた町人どもを切り捨てにするかもしれない。もしかしたら「面白い奴じゃ、だが、はやく言えい」などと許してくれるかもしれないが、侍の美学を弄んでしまったから許さないかもしれない。
「花見の仇討ち・改」では、ばたばたしているうちに侍が乱入してしまい「かくかくしかじかの理由で」と説明すると「武士の仇討ちをなんと心得るか!切り捨てにする!」とさっきまで中国人ネタでゲラゲラと笑っている聴衆が静まり返ります。必死の命乞いも叶わず、いよいよ最期と思った時、この噺は大団円を迎えるのです。なんと、この侍は本所のオジさんだったのだ。六部の役の奴を捕まえたあと、余興が面白そうだったので飛び入り参加しちゃった。ここでサゲ。
これも①であり②でもありますね。
侍が怒って「死」という重々しいものを突きつける。これで「軽いおふざけで死ぬなんて、ああ侍の真似なんかしなきゃよかったのに」と聴き手に思わせます。侍を笑いにしようとした事に対する重い罰がのしかかり、この噺の明るい雰囲気が一気に消えていくという展開。前回で言うところの「長屋の花見の連中」の超厳しいバージョンとでも申しましょうか。噺の面白みの本質は①と②を総合した「花見を楽しむウソ」でしたが、この侍はこの「ウソ」を断じて許さないという立場をとるのです。噺の立場(談志は「了見」というのでしょうか)と正反対のものを登場させて、サゲとの落差を大きく広げるという工夫がなされています。そして最後のサゲ。一度は揺らぎかけ窮地にたった「花見を楽しむウソ」でしたが、ここでまた立場を取り戻せました。この改善によって談笑は「花見の仇討ち」という噺の面白さをより強調したものへと仕上げたのでした。
もっとも、本人に聞いた訳ではないから、本当の所はどんなつもりで改変したのかは、解らないのですが、まま、僕はこんな感じで解釈しました。
では、今日はこれで失礼。
談笑の「花見の仇討ち・改」というのが、なかなか良い風に仕上がっており、これは「花見の仇討ち」についていろいろと考えたのだな、と解る噺となっています。
前回は確か①「違う価値観のものを演じるとちぐはぐで滑稽だ」というのと②「ご都合主義なエンディングはそんなには訪れないが、そっちのほうが面白い、いや、人生そんなもんだ」というのを面白いポイントとして挙げました(なんとなく、同じものを別の言い方をしている気もしますが、そこは気にしないように頼みます)。
談笑はこの面白い部分をより効果的に演出するために、大幅な改変をします。
花見の余興として芝居をするということになると「芝居がかった台詞はよそう」と「やあやあ汝は何の某よな、何年以前に我が父を討って立ち退きし大悪人、ここで逢ったが優曇華の花咲き待ちたる今日ただ今、いざ尋常に勝負!」という台詞を全部無くします(以前僕もこの噺をやったことがあるのですが、演じている途中で抜けました、アドリブで誤摩化したけど、みんな気づいて…)。確かに、リアリティを求めるなら、この考えは至極合理的であります。これは、上に挙げた①を強調する為のもの捉えられます。というのも、みんなを驚かせようとしているのに、わざわざ芝居みたいな台詞を言うなんて不自然ですから。この改善によって若い衆が寸劇に対し、シリアスで質の高いものを求めていることが解るのです。よって、この真面目なところの後に訪れるドタバタでの落差がより強調されて、①の部分がもっと面白くなるようになります。
次に、巡礼兄弟役二人のうちの片方が「俺、謎の中国人がやりたい」と、リーダーの言う事を聞かず、当日は弁髪のチャイナ服という出で立ちで登場します。もう、ここだけでみんな爆笑するのですが、この笑い所というのは底の浅いクスグリにはとどまりません。この中国人、なんか強い。仇討ちの中に謎の中国人が参戦し、秘伝のカンフーで牢人と巡礼にパンチを繰り出します。助太刀で侍が乱入するより、謎の中国人が入って来るほうがもっと意味不明でドタバタしていますね。これは良い。ツボでした。突然に意味不明な展開になると、なんか楽しいという点では②に入ると言えます。また、この中国人役の男が一番様になっていて、むしろ巡礼や侍の方が逆にボロが出ちゃってるというところ。なんかこう、ふざけてるとしか思えないやつが一番上手いんですね。そうなると真面目に劇をやろうとしている奴らの方がちぐはぐに見えてきて、①の面白さにつながってきます。中国人を異質なものと見れば②、中国人を中心に見れば①になるという。談笑のお得意の悪ノリかと思いきや、なんと深い演出でしょう。
余談ですが、談笑は外国人、特にベトナム人の真似が好きです(彼の創作落語『イラサリマケー』とか『叙々苑』とか)。もう下ネタ中の下ネタかつ、右翼と左翼が束になって襲いかかってくるようなキワドいお話のオンパレード…。「なんでこの人が「お切徳三郎」なんてやるんだ?意味わかんねえ」という感じのものなのですが、興味があったらCDの購入をお勧めします。
閑話休題。
最後にもう一つ大きな改善があります。それが「助太刀に入った侍が本気で怒る」というところ。確かに「肝心の六部が来ません」なんて言って逃げたやつを放置する訳がありません。噺家によってはこの侍は酔っぱらっていることもある。勢いでこのふざけた町人どもを切り捨てにするかもしれない。もしかしたら「面白い奴じゃ、だが、はやく言えい」などと許してくれるかもしれないが、侍の美学を弄んでしまったから許さないかもしれない。
「花見の仇討ち・改」では、ばたばたしているうちに侍が乱入してしまい「かくかくしかじかの理由で」と説明すると「武士の仇討ちをなんと心得るか!切り捨てにする!」とさっきまで中国人ネタでゲラゲラと笑っている聴衆が静まり返ります。必死の命乞いも叶わず、いよいよ最期と思った時、この噺は大団円を迎えるのです。なんと、この侍は本所のオジさんだったのだ。六部の役の奴を捕まえたあと、余興が面白そうだったので飛び入り参加しちゃった。ここでサゲ。
これも①であり②でもありますね。
侍が怒って「死」という重々しいものを突きつける。これで「軽いおふざけで死ぬなんて、ああ侍の真似なんかしなきゃよかったのに」と聴き手に思わせます。侍を笑いにしようとした事に対する重い罰がのしかかり、この噺の明るい雰囲気が一気に消えていくという展開。前回で言うところの「長屋の花見の連中」の超厳しいバージョンとでも申しましょうか。噺の面白みの本質は①と②を総合した「花見を楽しむウソ」でしたが、この侍はこの「ウソ」を断じて許さないという立場をとるのです。噺の立場(談志は「了見」というのでしょうか)と正反対のものを登場させて、サゲとの落差を大きく広げるという工夫がなされています。そして最後のサゲ。一度は揺らぎかけ窮地にたった「花見を楽しむウソ」でしたが、ここでまた立場を取り戻せました。この改善によって談笑は「花見の仇討ち」という噺の面白さをより強調したものへと仕上げたのでした。
もっとも、本人に聞いた訳ではないから、本当の所はどんなつもりで改変したのかは、解らないのですが、まま、僕はこんな感じで解釈しました。
では、今日はこれで失礼。
2012年4月27日 23時04分48秒 (Fri)
新入部員さん大歓迎
お久しぶりです。
育成部長の年執太改め圓創でございます(まだ慣れませんね)
菅野君がすでに更新していますが、自分もたまには部会について書こうかと思います(重複御免)
去りし4月26日・・・我々は不安と期待を胸にいつもの会議室に向かったわけですが・・・
そこには新入部員らしき中学生がなんと・・・3人も!!(二度目)
部長さんの部活紹介効果というものでしょう!感動しました。
勿論部員は歓迎ムードでした。
部会の内容としては
新入部員の皆様に軽く(?)部活の概要を部長、副部長を中心に説明、部長の落語「動物園」、イソギンチャクのコント、なぞかけ少年の謎かけ一本を披露し、後は部員と少し懇談という感じです。ネタはものすごくウケてました。
落語実演の創雲師、リクエストに応えて色々披露してくれた家家家師、副部長達を見て、何かしら感じてくれたでしょう。当部の楽しさが伝わってたら嬉しい限りです。
お三方の中には、落語を演じたかったりコントを書きたかったりと今後が楽しみです!
高校生も新たに「相撲研究」ジャンルの精鋭高1二人が入部してくれました。
当部初のジャンルであり、お二方共にかなり詳しいようなので、心強いです。
入部ありがとう!
という具合ですね、また何かあったら更新します。
いよいよ2012年度の活動も本格的に始まっていきます。
本年度も海城古典芸能部をよろしくお願いします!!
圓創
育成部長の年執太改め圓創でございます(まだ慣れませんね)
菅野君がすでに更新していますが、自分もたまには部会について書こうかと思います(重複御免)
去りし4月26日・・・我々は不安と期待を胸にいつもの会議室に向かったわけですが・・・
そこには新入部員らしき中学生がなんと・・・3人も!!(二度目)
部長さんの部活紹介効果というものでしょう!感動しました。
勿論部員は歓迎ムードでした。
部会の内容としては
新入部員の皆様に軽く(?)部活の概要を部長、副部長を中心に説明、部長の落語「動物園」、イソギンチャクのコント、なぞかけ少年の謎かけ一本を披露し、後は部員と少し懇談という感じです。ネタはものすごくウケてました。
落語実演の創雲師、リクエストに応えて色々披露してくれた家家家師、副部長達を見て、何かしら感じてくれたでしょう。当部の楽しさが伝わってたら嬉しい限りです。
お三方の中には、落語を演じたかったりコントを書きたかったりと今後が楽しみです!
高校生も新たに「相撲研究」ジャンルの精鋭高1二人が入部してくれました。
当部初のジャンルであり、お二方共にかなり詳しいようなので、心強いです。
入部ありがとう!
という具合ですね、また何かあったら更新します。
いよいよ2012年度の活動も本格的に始まっていきます。
本年度も海城古典芸能部をよろしくお願いします!!
圓創
2012年4月27日 22時32分01秒 (Fri)
4月26日部会
4月26日の木曜日放課後、古典芸能部の週例部会でした。毎週の集まりですが、しかしちょっといつもとは違う特別な日。中学1年生の入部希望者が来るかどうか、上級生たちは期待と不安に包まれながら放課後を待っていたのです。
結果は……3人!の見学者(入部予定者)が来てくれました!1人、また1人と会議室に彼らが入ってくる度に上がる歓声。みんなの喜びようは全く凄いものでした。ホワイトボードには「祝・新入部員!/古典芸能部へようこそ」の文字。
部長から自己紹介して、彼らも簡単に自己紹介。それによると3人のうち1人は落語に興味があり聞いているそうで、部長も心強いことでしょう。また他の1人は「部活紹介」での部長の宣伝に惹かれてきたのだとか。部長も紋付袴でビシッと決めた甲斐があったというものでは?そして最後1人は、今年入部した高1のF君の弟だそう。期待の新人たち、というところですね。
また、そのF君ともう一人N君の2人の高1生が入部。古典芸能としての「相撲」の研究をされるとか。興味のある方はぜひ参加して下さいとのことでした。
それから水野部長の落語「動物園」、新入部員たちを始めみんな大笑いしていました。次にイソギンチャクのコント。素早いテンポで次々とボケ、突っ込み、ずっと爆笑でした。新入部員の人たちも、古典芸能部の楽しさを分かってくれたのではないでしょうか。
新入部員を迎え、今年も頑張りましょう!
かんの
2012年4月22日 17時27分49秒 (Sun)
春ですね。
日々の活動に関係する記事はあまり書かないで、他の部員にやってもらうようにしているのですが、そろそろ誰かに「部長の部屋書かないと閉鎖するよ」とか言われそうなので、苦し紛れに書きます。
今週はなんと二回も落語会に出かけてしまいました。夢空間様のご好意に感謝しております。
そこで、偶然ですが水曜の談笑師匠の独演会と、よってたかって落語会の市馬師匠の演目が「花見の仇討ち」でありました。もっとも、この季節に寄席にでかければ必ず誰かが「花見の仇討ち」を高座にかけるものですが。談笑師匠は「おせつ徳三郎」もやりました、一応あれも桜の季節ですが、季節感よりもお江戸のロマンスが重要ですな。普通は「花見小僧」と「刀屋」で分割するものですし。花見の時の逢瀬がバレてから、刀屋に徳三郎がかけこむまでの時間軸もはっきりいたしません。もっと『桜の木の下の恋物語』な演目だったら「崇徳院」がいいですね。セオハヤミーって先代の円楽がやってるCDはなかなかのものですよ(僕は百人一首であれしか取れません)、桂三木助のも良い。誰かが恋患いするところから始まる落語っていろいろとあるわけですが、そういう風に始まるのではあれが一番いい。男子高校生で女友達もいなく況や彼女をや、な僕はディープな男女の話は解せぬ年頃ですから、ああいう中高生の一目惚れみたいなシチュエーションで十分キュンキュンいたします(何を言ってやがるんだろうか)。
ちなみに僕の季節ごとのお気に入りを挙げますと夏は「船徳」と「たがや」あと「後生鰻」。冬は「夢金」とか「らくだ」あと「御神酒徳利」。ええと、秋は何でしょう?秋の落語ってありますか?目黒のサンマか。
話を「花見の仇討ち」に戻しましょう。
一応、僕なりにあらすじを説明しますと、
町内の若い衆四人が集まって花見をしようとなったが、ただの飲み食いじゃつまらねえ、なにかおもしろいこたあねえかい?となり、江戸中をアッといわせる花見の趣向をしようじゃねえかとなる。四人で牢人侍、巡礼兄弟二人と六十六部になりきって、仇討ちの芝居をしよう。飛鳥山のてっぺん大きな桜の木の下でタバコをふかしている侍に兄弟がでくわすと「やあやあ汝は何の某よな、何年以前に我が父を討って立ち退きし大悪人、ここで逢ったが優曇華の花咲き待ちたる今日ただ今、いざ尋常に勝負!」とチャンバラが始まる。物見高い江戸っ子が集まったところで六部が仲裁に入って「まあまあここは一つあたしにお任せを」と三味線をひいて、みんなでかっぽれを踊って飲み食いを始めると、見物人は芝居ということがわかる「イヨッ、できました!」となるはずだったのだが、なんと六部が集合場所に向かう途中で本所に住んでる親戚のオジさんに絡まれて来れなくなっちゃった。そうとは知らない兄弟と牢人はチャンバラを始めたが、血の気の多い本物の侍が助太刀と乱入、みんな怖くなって逃げ出したら「まてまて、まだ勝負は五分と五分だ!」「いえ、肝心の六部が来ません」でサゲ。
この噺の面白いところを僕は以下のように解釈します。
まず一つは「違う価値観のものを演じるとちぐはぐで滑稽だ」ということ。
「花見を楽しむのであったらちょっとくらいの虚構(フィクション)はいいよね」という若者ですが、「武士の仇討ち」という美学を遊びに用いたのがいけなかった。おかげで変な侍が助太刀なんて言い出して、笑い者にされてしまったのです。武士という人々の「フリ」はできてもなりきれることは無いから、そういう無理があとのドタバタの引き金になっていっているのですね。
次に「ご都合主義なエンディングはそんなには訪れないが、そっちのほうが面白い、いや、人生そんなもんだ」ということ。
こうやればうまくいくだろう、と準備しても世の中には不確定な要素だらけであり、それに翻弄されて計画倒れしてしまうという面白さ。ここでは本所のオジさんと、助太刀の侍が、当初の予定を狂わせて、そこに翻弄される若い衆が滑稽で面白いですね。頭の中でこさえた妄想が現実にあてはまらないという可笑しさは「湯番屋」の若旦那や「野ざらし」の若者の都合の良い桃色妄想が実際の世の中で成功しないという可笑しさにも通じていますね。
どちらも頭で物語を作り出して、それを実践しようとし、結果的に失敗しているという共通点があります。では、どうして頭で物語をつくりだしたのでしょうか。それは「花見」というワードに鍵がありそうです。
花見というイベントだって、ただ花見をして飲み食いするだけでは退屈なものです。人は多くてうるさいし、酔っぱらいだらけだし。
そこでみんな頭の中で「花見を楽しむウソ」を作り出すのです。楽しいと思えるようにストーリーをつくります。「桜は美しい」とか「新しい生活の始まり」とか「武士の魂」とかなんでもいいんですけど。そういうストーリーがあると、いろいろなことが愉快で楽しく見えたりすることがあるわけです。「巡礼兄弟の仇討ち」という寸劇も、花見をより楽しくする調味料なんですね。みんな楽しい方がいいから、頭で考えずにはいられないということです。だから、こういう滑稽さはどこにでも転がっていると、僕はおもいます。
立川談志だったような気がしますが「大家が折角こさえた嘘とやせ我慢の面白さを暴いて面白がる『長屋の花見』の連中は『桃太郎』のませたガキみたいで嫌いだ。嘘は嘘で楽しめ。俺は花見ってのは『花見の仇討ち』に出てくる連中の了見でいいと思う」みたいなことを言っていました(本に書いてあったんだっけ、そこははっきりしません)。
古典落語としてこのままやっても十分面白いように出来ていますし、市馬師匠はそういうポイントをよく押さえて正統派の「花見の仇討ち」を演じてくれました。さすがは副会長。
しかしです、今回僕がクローズアップしたいのは談笑師匠の「花見の仇討ち・改」のよく練られたシナリオの方なのです。
…。ですが、もう今日は疲れました。続きはまた今度。
今週はなんと二回も落語会に出かけてしまいました。夢空間様のご好意に感謝しております。
そこで、偶然ですが水曜の談笑師匠の独演会と、よってたかって落語会の市馬師匠の演目が「花見の仇討ち」でありました。もっとも、この季節に寄席にでかければ必ず誰かが「花見の仇討ち」を高座にかけるものですが。談笑師匠は「おせつ徳三郎」もやりました、一応あれも桜の季節ですが、季節感よりもお江戸のロマンスが重要ですな。普通は「花見小僧」と「刀屋」で分割するものですし。花見の時の逢瀬がバレてから、刀屋に徳三郎がかけこむまでの時間軸もはっきりいたしません。もっと『桜の木の下の恋物語』な演目だったら「崇徳院」がいいですね。セオハヤミーって先代の円楽がやってるCDはなかなかのものですよ(僕は百人一首であれしか取れません)、桂三木助のも良い。誰かが恋患いするところから始まる落語っていろいろとあるわけですが、そういう風に始まるのではあれが一番いい。男子高校生で女友達もいなく況や彼女をや、な僕はディープな男女の話は解せぬ年頃ですから、ああいう中高生の一目惚れみたいなシチュエーションで十分キュンキュンいたします(何を言ってやがるんだろうか)。
ちなみに僕の季節ごとのお気に入りを挙げますと夏は「船徳」と「たがや」あと「後生鰻」。冬は「夢金」とか「らくだ」あと「御神酒徳利」。ええと、秋は何でしょう?秋の落語ってありますか?目黒のサンマか。
話を「花見の仇討ち」に戻しましょう。
一応、僕なりにあらすじを説明しますと、
町内の若い衆四人が集まって花見をしようとなったが、ただの飲み食いじゃつまらねえ、なにかおもしろいこたあねえかい?となり、江戸中をアッといわせる花見の趣向をしようじゃねえかとなる。四人で牢人侍、巡礼兄弟二人と六十六部になりきって、仇討ちの芝居をしよう。飛鳥山のてっぺん大きな桜の木の下でタバコをふかしている侍に兄弟がでくわすと「やあやあ汝は何の某よな、何年以前に我が父を討って立ち退きし大悪人、ここで逢ったが優曇華の花咲き待ちたる今日ただ今、いざ尋常に勝負!」とチャンバラが始まる。物見高い江戸っ子が集まったところで六部が仲裁に入って「まあまあここは一つあたしにお任せを」と三味線をひいて、みんなでかっぽれを踊って飲み食いを始めると、見物人は芝居ということがわかる「イヨッ、できました!」となるはずだったのだが、なんと六部が集合場所に向かう途中で本所に住んでる親戚のオジさんに絡まれて来れなくなっちゃった。そうとは知らない兄弟と牢人はチャンバラを始めたが、血の気の多い本物の侍が助太刀と乱入、みんな怖くなって逃げ出したら「まてまて、まだ勝負は五分と五分だ!」「いえ、肝心の六部が来ません」でサゲ。
この噺の面白いところを僕は以下のように解釈します。
まず一つは「違う価値観のものを演じるとちぐはぐで滑稽だ」ということ。
「花見を楽しむのであったらちょっとくらいの虚構(フィクション)はいいよね」という若者ですが、「武士の仇討ち」という美学を遊びに用いたのがいけなかった。おかげで変な侍が助太刀なんて言い出して、笑い者にされてしまったのです。武士という人々の「フリ」はできてもなりきれることは無いから、そういう無理があとのドタバタの引き金になっていっているのですね。
次に「ご都合主義なエンディングはそんなには訪れないが、そっちのほうが面白い、いや、人生そんなもんだ」ということ。
こうやればうまくいくだろう、と準備しても世の中には不確定な要素だらけであり、それに翻弄されて計画倒れしてしまうという面白さ。ここでは本所のオジさんと、助太刀の侍が、当初の予定を狂わせて、そこに翻弄される若い衆が滑稽で面白いですね。頭の中でこさえた妄想が現実にあてはまらないという可笑しさは「湯番屋」の若旦那や「野ざらし」の若者の都合の良い桃色妄想が実際の世の中で成功しないという可笑しさにも通じていますね。
どちらも頭で物語を作り出して、それを実践しようとし、結果的に失敗しているという共通点があります。では、どうして頭で物語をつくりだしたのでしょうか。それは「花見」というワードに鍵がありそうです。
花見というイベントだって、ただ花見をして飲み食いするだけでは退屈なものです。人は多くてうるさいし、酔っぱらいだらけだし。
そこでみんな頭の中で「花見を楽しむウソ」を作り出すのです。楽しいと思えるようにストーリーをつくります。「桜は美しい」とか「新しい生活の始まり」とか「武士の魂」とかなんでもいいんですけど。そういうストーリーがあると、いろいろなことが愉快で楽しく見えたりすることがあるわけです。「巡礼兄弟の仇討ち」という寸劇も、花見をより楽しくする調味料なんですね。みんな楽しい方がいいから、頭で考えずにはいられないということです。だから、こういう滑稽さはどこにでも転がっていると、僕はおもいます。
立川談志だったような気がしますが「大家が折角こさえた嘘とやせ我慢の面白さを暴いて面白がる『長屋の花見』の連中は『桃太郎』のませたガキみたいで嫌いだ。嘘は嘘で楽しめ。俺は花見ってのは『花見の仇討ち』に出てくる連中の了見でいいと思う」みたいなことを言っていました(本に書いてあったんだっけ、そこははっきりしません)。
古典落語としてこのままやっても十分面白いように出来ていますし、市馬師匠はそういうポイントをよく押さえて正統派の「花見の仇討ち」を演じてくれました。さすがは副会長。
しかしです、今回僕がクローズアップしたいのは談笑師匠の「花見の仇討ち・改」のよく練られたシナリオの方なのです。
…。ですが、もう今日は疲れました。続きはまた今度。
2012年4月21日 23時49分10秒 (Sat)
疲れる落語会
こんにちは。凌雲です。二日連続で書くわけですが、本日『よってたかって春らくご』にいって参りました。最初は前座の扇さん。きっちりと金明竹を決めてくださいました。次に登場したのが、春風亭百栄師匠。演目は『桃太郎DV』新作といいますか改作といいますか。発想がとても斬新。ものすごく、グロテスクでした。口でしゃべってるだけなのにグロテスクってすごいな。
次が柳亭市馬師匠。さすが本格的古典でビシッときまりました。やっぱり古典もいいですね。師匠をみたのは二度目ですが、安定感がありました。江戸っ子らしく『ひ』を『し』と発音するところに惚れました。演目は『花見の仇討ち』それにしても良い声だったなぁ。
休憩を挟みまして出てきましたのが、はじめて見ました、三遊亭白鳥師匠。白鳥ずくしの登場でした。演目はなんだったんでしょう。とにかくパワフルでした。あんなに悪口をネタにして大丈夫なんですかね。。。それにしても、お客さん参加型ってはじめて聞きましたが、ストーリーもおもしろい上に小ネタもおおくて爆笑でした。確かに、古典が好きな方には不評なのかもしれません。そして主任が桃月庵白酒師匠。こちらもブラックジョークをまじえつつ、素晴らしい古典をキめてくださいました。なんでしょうかね、女性役がとても上手である印象を受けました。やっぱ、プロは違いますね。あの面子で主任をとれるとは、やっぱりすごすぎですね。
こんなに落語聞くのって体力的にキツかったかなってくらい圧倒されました。確実に一番疲れた落語会でした(笑)
最後に、土屋社長本当にありがとうございました!こんな素晴らしい落語会に行けたこと本当に嬉しく思います。落語の面白さを再認識した落語会でした。本当に感謝です。
それではまた。
凌雲。
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