2011年9月 アーカイブ
2011年9月26日 10時26分27秒 (Mon)
夏季合宿&文化祭まとめ
どうもこんにちは、副部長の奇座平です。
季節の移り変わり目、急に寒くなってきましたね。
早速風邪をひいてしまい、現在鼻水ズルズル&喉イタタ&体ポッポ状態です。
そんな奇座平が、遅ればせながら夏季合宿と文化祭の報告をしていきたいと思います。
まずは夏季合宿。
全体的に、今年は皆さん一生懸命取り組んでいるなあという印象を受けました。
2日目には「ミニ海城寄席」として志ん米や創雲、圓両さんなどが披露してくださいました。
(今考えるとこの時から「中村仲蔵」の伝説は始まっていたのだよ…)
3日日には道楽園での最終確認。
一部爆睡している人もいらっしゃりやがりましたが、特に問題なく終了。
なかなか密度の濃い合宿になったかなと思います。
そして先週行われた文化祭。
1日目ではやはり圓両さんの「中村仲蔵」でしょう。
古典芸能部の歴史に刻まれる一時でした。
最後の最後に足が痺れて倒れてしまうというのもなんともドラマチック(きゅん
志ん米さんの初となるトリも、この1日目でした。
抜群の安定感、「さすがだ」と唸ってしまいます。
(来年からは中学部のリーダーとして頑張ってくれよっ!)
私はこの日は牛ほめと大喜利をやらせて頂きました。
牛ほめの方は手応えを感じましたが、大喜利はちょっと不完全燃焼。
創雲がフォローしてくれなかったら死んでたお…。
そして2日目。
全体的に見ると、兼生の「不動坊」の存在感が高かったなあと思います。
来年も落語の新勢力として活躍してくれそうです。
個人的にも2日目はかなり大忙しでありました。
牛ほめ、船徳、けんだまん談(実質2回)、地図男の司会と、合計5回。
(けんだまん談の2回目は記憶から抹殺するとして)全て出し切ることが出来たかなと思います。
この日のトリは創雲の「三方一両損」
さすが部長、圧倒的な貫禄と実力を見せつけました。
さらに今年の海城寄席、「新参者」の存在感もバッチリ決まっていました。
雲助君、奇太楼君(我が愛すべき弟子よ)、来年も頑張ってください。
この場を借りて顧問の先生、受験にも関わらず支えてくださった3年の先輩、そして見に来てくださったお客様に深く感謝の意を表します。
おぅ…なんだか妙に湿っぽくなっちまったぜィ…。
今年はたまたま大成功だっただけなんだからな!
べ、別に来年も成功したらいいなーなんて思ってないんだからね!
じゃ、じゃあな!
・・・。・・・・・・。
ま、まあとにかく、この風邪をととっと治してまた元気な奇座平君をお見せできたらと思います!
ということで、活動報告でした。
季節の移り変わり目、急に寒くなってきましたね。
早速風邪をひいてしまい、現在鼻水ズルズル&喉イタタ&体ポッポ状態です。
そんな奇座平が、遅ればせながら夏季合宿と文化祭の報告をしていきたいと思います。
まずは夏季合宿。
全体的に、今年は皆さん一生懸命取り組んでいるなあという印象を受けました。
2日目には「ミニ海城寄席」として志ん米や創雲、圓両さんなどが披露してくださいました。
(今考えるとこの時から「中村仲蔵」の伝説は始まっていたのだよ…)
3日日には道楽園での最終確認。
一部爆睡している人もいらっしゃりやがりましたが、特に問題なく終了。
なかなか密度の濃い合宿になったかなと思います。
そして先週行われた文化祭。
1日目ではやはり圓両さんの「中村仲蔵」でしょう。
古典芸能部の歴史に刻まれる一時でした。
最後の最後に足が痺れて倒れてしまうというのもなんともドラマチック(きゅん
志ん米さんの初となるトリも、この1日目でした。
抜群の安定感、「さすがだ」と唸ってしまいます。
(来年からは中学部のリーダーとして頑張ってくれよっ!)
私はこの日は牛ほめと大喜利をやらせて頂きました。
牛ほめの方は手応えを感じましたが、大喜利はちょっと不完全燃焼。
創雲がフォローしてくれなかったら死んでたお…。
そして2日目。
全体的に見ると、兼生の「不動坊」の存在感が高かったなあと思います。
来年も落語の新勢力として活躍してくれそうです。
個人的にも2日目はかなり大忙しでありました。
牛ほめ、船徳、けんだまん談(実質2回)、地図男の司会と、合計5回。
(けんだまん談の2回目は記憶から抹殺するとして)全て出し切ることが出来たかなと思います。
この日のトリは創雲の「三方一両損」
さすが部長、圧倒的な貫禄と実力を見せつけました。
さらに今年の海城寄席、「新参者」の存在感もバッチリ決まっていました。
雲助君、奇太楼君(我が愛すべき弟子よ)、来年も頑張ってください。
この場を借りて顧問の先生、受験にも関わらず支えてくださった3年の先輩、そして見に来てくださったお客様に深く感謝の意を表します。
おぅ…なんだか妙に湿っぽくなっちまったぜィ…。
今年はたまたま大成功だっただけなんだからな!
べ、別に来年も成功したらいいなーなんて思ってないんだからね!
じゃ、じゃあな!
・・・。・・・・・・。
ま、まあとにかく、この風邪をととっと治してまた元気な奇座平君をお見せできたらと思います!
ということで、活動報告でした。
2011年9月23日 22時20分30秒 (Fri)
其の漆
どうも、創雲でございます。
考えもなしに過ごしていたら九月になりました。
永遠にあると思った夏休みがこうも簡単に終わっちまうとは。まったく忙しいものです。コラムの更新をサボっていたのは、ネタが尽きてしまったわけでは無いのです。実は最近芝居噺とか円朝の怪談といったことに興味を持ち始めて、そういう方でなにか書こうかな、とは思っているのです。しかし、彦六の正蔵がやった芝居噺の映像とか、真景累ヶ淵の本とか、そういった類いのものを手に入れるために書店なんかに行っても無い訳です。中学生には時間が無いものでして。年末くらいからそこそこ面白いものを書きたいなと思っていますから、乞うご期待。
もっとも、おめえのコラムなんざ誰も読まねえと言われちゃおしまいなんですが。
今日はなんとなく談志のDVDを観ていました。小学生の時になんとなく買ったDVDが、当時の私には全く意味不明でしばらく放置していたのですが、歳をとって見直すとナルホドナと思うような箇所もありました。
どうしたって談志は落語協会を出奔して小さんに破門される運命にあったのでしょう。笑点の基礎を創ったり、国会議員になったり、正直、噺家なのか解らない。
私が観たのはまだ喉の調子も良く、立川流の家元だぞっていばってた頃の独演会の映像でした。DVDの箱には2002年中野ZEROホールとあります。演目は「松曳き」と「野ざらし」の二本立てであります。
まあ毎度のことですが、談志はマクラで好き勝手放題やりますねえ。あれはアクが強い。まず登場するなり「態度がでかいわりにお辞儀が馬鹿丁寧ってよくいわれるんだ」と言って、小さんのお辞儀の物真似をやったりします。円生と志ん生、正蔵は「師匠」と敬称を付けるのに、小さんだけは「小さん」と呼び捨て。そうかと思うと映画について語りだしたり、手塚治虫の噺になったり。いつものことなんだけれども。
始めの「松曳き」てのは非常にバカな噺です。三太夫が自分の姉と殿様の姉をとりちがえて、殿の姉がご他界って言うと、殿様はちょっと悲しむけれど、そもそも殿様に姉なんかいなかったっていう。なんか乱暴な噺ですな。
馬鹿馬鹿しすぎて独演会でやっていいもんじゃない、と私は思います。寄席でやるならいいけど。案の定というか、談志もそれが解ってるのにわざと演ってる。「こんなにバカバカしい話を、家元に最後まで演らせた客は偉いよォ」とお客さん褒めちゃったりする始末です。ま、ホール落語で思う存分暴れてこその談志ですからね。
で、もう一度前の場面に戻ってみると、面白いことを言っているのに気づきます。マクラのところで「死んだ柳朝ってのは落語下手だったけどお辞儀は上手かったね」ときて「いやあ、夢金なんてつまらないものをホールでやるんだから下手だよ」と言うのです。談志が言うには、夢金なんていう簡単なやつを堂々と金とってホールでやるなんて、柳朝は野暮な奴だなと。死者をも恐れぬ立川流ですね。
でも、私が思うに実はこれが噺のツボなんです。
まず「自分は態度はデカいがお辞儀は上手い」こと、そして「柳朝は夢金なんていう工夫のしがいが無い噺をやっていた」こと、更に「『松曳き』という噺が馬鹿馬鹿しすぎる」こと、この三点を繋ぐと面白い発見をします。
「工夫のしようが無い馬鹿馬鹿しい噺を堂々とやる柳朝は後輩の自分としては鬱陶しいこともあったが、そういう落語もいいなあ」と言うメッセージが浮かび上がっては来ないでしょうか。
果たしてこれは私のつまらぬ憶測にすぎないのでしょうかね。どうもこの「野ざらし」は「下らない噺をホールでやること」という行為を軸に、談志が柳朝と共に四天王と呼ばれたことを懐かしんでいるという仕掛けの一部に見えます。私はふと、吉川潮氏の「江戸前の男」の冒頭で談志が柳朝の葬儀に正装で颯爽と登場してきた場面を思い出しました。
そのあと、休み無しに「野ざらし」が入ります。
こっちの方は終わったあとに談志が解説をいれたのですぐ解るのですが、談志は「野ざらしの柳好」を演っていた。私は途中で気づいたのですが、最後に談志が「若いときに柳好師匠の真似を末広で演ったらウケがよかった」と付け足しちゃった。
小よし時代か、小ゑん時代かははっきりしませんが、なんとなく小ゑん時代のことかなあと思います。前半で兄貴分だった柳朝を思い出しているという予想が当たっているなら、二つ目で年下連中に先を越され、執念に燃えた若き日々をもちだしているはずです。柳朝、円楽、志ん朝と共に名を馳せた「四天王立川談志」の歴史はこれから始まったのですから。
談志がそのような感情を噺に織り込んだのは何故か。これは収録当時、2002年と言う時期で説明がつきそうです。この年の前年の2001年には志ん朝が亡くなってるし、円楽も衰えつつある頃でした。なにより、この2002年に師匠であり敵であった小さんが死去します。
どうみても分裂騒動からの長い歴史を振りかえらざるをえない年なんです。談志もちょっと感傷にひたっていた時期なのではないでしょうか。DVDを観て私は意識的にせよ、無意識的にせよ、なにかを省みる談志を感じました。
いろいろにとらえようがありますが、私はそんなことを考えたのであります。
談志の醍醐味というのは、こういう風に立川流の家元としてホールで演っているときにちょっと噺のなかに忍び込ませた仕掛けを見抜くことにあるのかもしれません。
あのホールで一番楽しんでいたのは、客に鏤めてある点を繋がせて面白がっている立川談志自身だったのかもしれない、と。
考えもなしに過ごしていたら九月になりました。
永遠にあると思った夏休みがこうも簡単に終わっちまうとは。まったく忙しいものです。コラムの更新をサボっていたのは、ネタが尽きてしまったわけでは無いのです。実は最近芝居噺とか円朝の怪談といったことに興味を持ち始めて、そういう方でなにか書こうかな、とは思っているのです。しかし、彦六の正蔵がやった芝居噺の映像とか、真景累ヶ淵の本とか、そういった類いのものを手に入れるために書店なんかに行っても無い訳です。中学生には時間が無いものでして。年末くらいからそこそこ面白いものを書きたいなと思っていますから、乞うご期待。
もっとも、おめえのコラムなんざ誰も読まねえと言われちゃおしまいなんですが。
今日はなんとなく談志のDVDを観ていました。小学生の時になんとなく買ったDVDが、当時の私には全く意味不明でしばらく放置していたのですが、歳をとって見直すとナルホドナと思うような箇所もありました。
どうしたって談志は落語協会を出奔して小さんに破門される運命にあったのでしょう。笑点の基礎を創ったり、国会議員になったり、正直、噺家なのか解らない。
私が観たのはまだ喉の調子も良く、立川流の家元だぞっていばってた頃の独演会の映像でした。DVDの箱には2002年中野ZEROホールとあります。演目は「松曳き」と「野ざらし」の二本立てであります。
まあ毎度のことですが、談志はマクラで好き勝手放題やりますねえ。あれはアクが強い。まず登場するなり「態度がでかいわりにお辞儀が馬鹿丁寧ってよくいわれるんだ」と言って、小さんのお辞儀の物真似をやったりします。円生と志ん生、正蔵は「師匠」と敬称を付けるのに、小さんだけは「小さん」と呼び捨て。そうかと思うと映画について語りだしたり、手塚治虫の噺になったり。いつものことなんだけれども。
始めの「松曳き」てのは非常にバカな噺です。三太夫が自分の姉と殿様の姉をとりちがえて、殿の姉がご他界って言うと、殿様はちょっと悲しむけれど、そもそも殿様に姉なんかいなかったっていう。なんか乱暴な噺ですな。
馬鹿馬鹿しすぎて独演会でやっていいもんじゃない、と私は思います。寄席でやるならいいけど。案の定というか、談志もそれが解ってるのにわざと演ってる。「こんなにバカバカしい話を、家元に最後まで演らせた客は偉いよォ」とお客さん褒めちゃったりする始末です。ま、ホール落語で思う存分暴れてこその談志ですからね。
で、もう一度前の場面に戻ってみると、面白いことを言っているのに気づきます。マクラのところで「死んだ柳朝ってのは落語下手だったけどお辞儀は上手かったね」ときて「いやあ、夢金なんてつまらないものをホールでやるんだから下手だよ」と言うのです。談志が言うには、夢金なんていう簡単なやつを堂々と金とってホールでやるなんて、柳朝は野暮な奴だなと。死者をも恐れぬ立川流ですね。
でも、私が思うに実はこれが噺のツボなんです。
まず「自分は態度はデカいがお辞儀は上手い」こと、そして「柳朝は夢金なんていう工夫のしがいが無い噺をやっていた」こと、更に「『松曳き』という噺が馬鹿馬鹿しすぎる」こと、この三点を繋ぐと面白い発見をします。
「工夫のしようが無い馬鹿馬鹿しい噺を堂々とやる柳朝は後輩の自分としては鬱陶しいこともあったが、そういう落語もいいなあ」と言うメッセージが浮かび上がっては来ないでしょうか。
果たしてこれは私のつまらぬ憶測にすぎないのでしょうかね。どうもこの「野ざらし」は「下らない噺をホールでやること」という行為を軸に、談志が柳朝と共に四天王と呼ばれたことを懐かしんでいるという仕掛けの一部に見えます。私はふと、吉川潮氏の「江戸前の男」の冒頭で談志が柳朝の葬儀に正装で颯爽と登場してきた場面を思い出しました。
そのあと、休み無しに「野ざらし」が入ります。
こっちの方は終わったあとに談志が解説をいれたのですぐ解るのですが、談志は「野ざらしの柳好」を演っていた。私は途中で気づいたのですが、最後に談志が「若いときに柳好師匠の真似を末広で演ったらウケがよかった」と付け足しちゃった。
小よし時代か、小ゑん時代かははっきりしませんが、なんとなく小ゑん時代のことかなあと思います。前半で兄貴分だった柳朝を思い出しているという予想が当たっているなら、二つ目で年下連中に先を越され、執念に燃えた若き日々をもちだしているはずです。柳朝、円楽、志ん朝と共に名を馳せた「四天王立川談志」の歴史はこれから始まったのですから。
談志がそのような感情を噺に織り込んだのは何故か。これは収録当時、2002年と言う時期で説明がつきそうです。この年の前年の2001年には志ん朝が亡くなってるし、円楽も衰えつつある頃でした。なにより、この2002年に師匠であり敵であった小さんが死去します。
どうみても分裂騒動からの長い歴史を振りかえらざるをえない年なんです。談志もちょっと感傷にひたっていた時期なのではないでしょうか。DVDを観て私は意識的にせよ、無意識的にせよ、なにかを省みる談志を感じました。
いろいろにとらえようがありますが、私はそんなことを考えたのであります。
談志の醍醐味というのは、こういう風に立川流の家元としてホールで演っているときにちょっと噺のなかに忍び込ませた仕掛けを見抜くことにあるのかもしれません。
あのホールで一番楽しんでいたのは、客に鏤めてある点を繋がせて面白がっている立川談志自身だったのかもしれない、と。
2011年9月20日 20時19分24秒 (Tue)
海城古典芸能部・最新演芸人名簿
副部長の壮生さんの主催するブログ「海城古典芸能とかけまして!」
に最新演芸人名簿が掲載されていましたので、転載させていただきます:
海原亭創太(うなばらていそうた) 高校3年 中高名誉会長(創設者)
近視家三本助(きんしやさんぼんすけ) 高校3年 中高相談役(創設者)
海原亭圓両(うなばらていえんりょう) 高校2年 高校部部長
海原亭創雲(うなばらていそううん) 中学3年 中学部部長
苦徳亭奇座平(くどくていきざへい) 中学3年 中学部副部長
大空亭壮生(おおぞらていそうしょう) 中学3年 中学部副部長
家家家家家家家(かかかやけけけ) 中学3年 中学部副部長
浦島家年執太(うらしまやとしとった) 中学3年 中学部育成部長
海原亭凌雲(うなばらていりょううん) 中学3年 中学部渉外部長
大空亭空巣(おおぞらていからす) 中学3年 中学部企画部長
志生堂椿(しせいどうつばき) 中学3年
野沿亭二毛太(のぞいていにげた) 中学3年
駄待礼家無哲砲(だまれやむてっぽう) 中学3年
海原亭翔太郎(うなばらていしょうたろう) 中学3年
海原亭翔太(うなばらていしょうた) 中学3年
海原亭船遊(うなばらていせんゆう) 中学3年
未亭兼生(みていけんしょう) 中学3年
水雷亭睡魔(すいらいていすいま) 中学3年
山の家平助(やまのやへいすけ) 中学3年
海原亭航輝(うなばらていこうき) 中学3年
山手亭鉄男(やまのていてつお) 中学3年
海原亭円籠(うなばらていえんろう) 中学3年
池野家南無(いけのやなむ) 中学3年
海原亭志ん米(うなばらていしんまい) 中学2年
苦徳亭奇多楼(くどくていきたろう) 中学2年
海原亭雲甫(うなばらていくもすけ) 中学1年
色物
JOYFULL(じょいふる) 色物のスター
HEY!毛蟹(へい!けがに) 睡魔氏と南無氏のコンビ
藪工事偽者麻呂(やぶのこうじぎしゃまろ) 兼生と同一人物
数学野郎(すうがくやろう) 教育コントという新分野を開拓する
イソギンチャク(いそぎんちゃく) 壮生氏と家家家氏のコンビ
地図男(ちずおとこ) 彼に描けない国は無い
その他複数の作家陣に支えられ活動しております。
尚、名誉会長、相談役の高3のお2人には、本年度の海城寄席開催に際しまして
ご尽力いただきましたことを部員ともども御礼申し上げます。
(落語担当顧問)
に最新演芸人名簿が掲載されていましたので、転載させていただきます:
海原亭創太(うなばらていそうた) 高校3年 中高名誉会長(創設者)
近視家三本助(きんしやさんぼんすけ) 高校3年 中高相談役(創設者)
海原亭圓両(うなばらていえんりょう) 高校2年 高校部部長
海原亭創雲(うなばらていそううん) 中学3年 中学部部長
苦徳亭奇座平(くどくていきざへい) 中学3年 中学部副部長
大空亭壮生(おおぞらていそうしょう) 中学3年 中学部副部長
家家家家家家家(かかかやけけけ) 中学3年 中学部副部長
浦島家年執太(うらしまやとしとった) 中学3年 中学部育成部長
海原亭凌雲(うなばらていりょううん) 中学3年 中学部渉外部長
大空亭空巣(おおぞらていからす) 中学3年 中学部企画部長
志生堂椿(しせいどうつばき) 中学3年
野沿亭二毛太(のぞいていにげた) 中学3年
駄待礼家無哲砲(だまれやむてっぽう) 中学3年
海原亭翔太郎(うなばらていしょうたろう) 中学3年
海原亭翔太(うなばらていしょうた) 中学3年
海原亭船遊(うなばらていせんゆう) 中学3年
未亭兼生(みていけんしょう) 中学3年
水雷亭睡魔(すいらいていすいま) 中学3年
山の家平助(やまのやへいすけ) 中学3年
海原亭航輝(うなばらていこうき) 中学3年
山手亭鉄男(やまのていてつお) 中学3年
海原亭円籠(うなばらていえんろう) 中学3年
池野家南無(いけのやなむ) 中学3年
海原亭志ん米(うなばらていしんまい) 中学2年
苦徳亭奇多楼(くどくていきたろう) 中学2年
海原亭雲甫(うなばらていくもすけ) 中学1年
色物
JOYFULL(じょいふる) 色物のスター
HEY!毛蟹(へい!けがに) 睡魔氏と南無氏のコンビ
藪工事偽者麻呂(やぶのこうじぎしゃまろ) 兼生と同一人物
数学野郎(すうがくやろう) 教育コントという新分野を開拓する
イソギンチャク(いそぎんちゃく) 壮生氏と家家家氏のコンビ
地図男(ちずおとこ) 彼に描けない国は無い
その他複数の作家陣に支えられ活動しております。
尚、名誉会長、相談役の高3のお2人には、本年度の海城寄席開催に際しまして
ご尽力いただきましたことを部員ともども御礼申し上げます。
(落語担当顧問)
2011年9月20日 16時43分31秒 (Tue)
文化祭終了
落語担当顧問でございます。
無事、文化祭が終了しました。
海城寄席も安定した集客を頂き、嬉しい限りです。
この2日間を振り返って、改めて思うことはこの部(部員と活動共に)の層の厚さです。
① 部長2人が重厚な古典で主任を取れる
② 番組中、どこに組み入れても達者にこなす部員が何人もいる
③ 上方落語ができる部員がいる
④ 自作の新作に意欲的な部員がいる
⑤ 古典的新作を取り上げる部員がいる
(今回は「恋の山手線」。何十年ぶりに聞いたよ、と顔をほころばせていたお客様あり)
⑥ 大喜利はメンバーをより分けねばならない層の厚さ(司会もよい、そして専属の
座布団配りまでいる!)
⑦ 色物の充実ぶり。
漫談2人(うち一人は剣玉をしながらの、まことにオリジナリティあふれるもの)、教育的ボードビル1人+1組(コンビ)、コント3組
⑧ 定期刊行している部誌を擁している。
⑨ ITに堪能な部員が何人もいる。
⑩ 独自の研究部門(班)がある(ムーランルージュ新宿座の研究。新宿歴史博物館でのシンポジウムでご好評を頂く)
⑪ 広報活動の充実(東京かわら版様取材をリポートして頂く。
映画「ムーランルージュの青春」舞台挨拶はオリコンニュースほかでネット配信される。
NHK首都圏ネットワーク出演など)
⑫ 日本の文化を愛し、そのひとつとしての能狂言に関心をもつ部員がいる。
これらは、誇ってよいことではないでしょうか(欲を言えばあとは歌舞伎ですね)。
高校大学での落語研究会といえば、ホール落語のエピゴーネン的なものばかりのなかで、ここは、「寄席」にこだわった編成を心がけてきたわけですから、このバラエティぶりを誇っているわけです。無論、ホール落語的な精選落語会を開いても、決してエピゴーネンにはならない(①!!)自負も皆さんにはあるでしょう。
結論:自力は十分すぎるほどつけてきました。主力の中3が高校になる
来年を機に、一気呵成に活動のフィールドをさらに広くしようではありませんか。
高校球児が甲子園を目指すように、我々は・・・ともあれ、お疲れ様でした。
次は、部誌の秋号発刊です(原稿締め切りは中間試験終了後1週間以内です。
今回は、全部員が一行でもよいから寄稿すること!)。すでに、40ページ出来ています。全号が90ページ以上あったから60ページ以上にはしたいですね。
頑張りましょう。そのあとは、3月の名誉会長引退披露興行にむけて始動です。
明後日は昼はなし。放課後に文化祭反省会を行います。精算もまとめてそこで。
無事、文化祭が終了しました。
海城寄席も安定した集客を頂き、嬉しい限りです。
この2日間を振り返って、改めて思うことはこの部(部員と活動共に)の層の厚さです。
① 部長2人が重厚な古典で主任を取れる
② 番組中、どこに組み入れても達者にこなす部員が何人もいる
③ 上方落語ができる部員がいる
④ 自作の新作に意欲的な部員がいる
⑤ 古典的新作を取り上げる部員がいる
(今回は「恋の山手線」。何十年ぶりに聞いたよ、と顔をほころばせていたお客様あり)
⑥ 大喜利はメンバーをより分けねばならない層の厚さ(司会もよい、そして専属の
座布団配りまでいる!)
⑦ 色物の充実ぶり。
漫談2人(うち一人は剣玉をしながらの、まことにオリジナリティあふれるもの)、教育的ボードビル1人+1組(コンビ)、コント3組
⑧ 定期刊行している部誌を擁している。
⑨ ITに堪能な部員が何人もいる。
⑩ 独自の研究部門(班)がある(ムーランルージュ新宿座の研究。新宿歴史博物館でのシンポジウムでご好評を頂く)
⑪ 広報活動の充実(東京かわら版様取材をリポートして頂く。
映画「ムーランルージュの青春」舞台挨拶はオリコンニュースほかでネット配信される。
NHK首都圏ネットワーク出演など)
⑫ 日本の文化を愛し、そのひとつとしての能狂言に関心をもつ部員がいる。
これらは、誇ってよいことではないでしょうか(欲を言えばあとは歌舞伎ですね)。
高校大学での落語研究会といえば、ホール落語のエピゴーネン的なものばかりのなかで、ここは、「寄席」にこだわった編成を心がけてきたわけですから、このバラエティぶりを誇っているわけです。無論、ホール落語的な精選落語会を開いても、決してエピゴーネンにはならない(①!!)自負も皆さんにはあるでしょう。
結論:自力は十分すぎるほどつけてきました。主力の中3が高校になる
来年を機に、一気呵成に活動のフィールドをさらに広くしようではありませんか。
高校球児が甲子園を目指すように、我々は・・・ともあれ、お疲れ様でした。
次は、部誌の秋号発刊です(原稿締め切りは中間試験終了後1週間以内です。
今回は、全部員が一行でもよいから寄稿すること!)。すでに、40ページ出来ています。全号が90ページ以上あったから60ページ以上にはしたいですね。
頑張りましょう。そのあとは、3月の名誉会長引退披露興行にむけて始動です。
明後日は昼はなし。放課後に文化祭反省会を行います。精算もまとめてそこで。
2011年9月19日 8時25分51秒 (Mon)
省みる
創雲です。お久しぶりです。
文化部にとって一年の集大成とも言える学園祭が無事終了いたしました。
先生、先輩、部員の諸君、生徒会組織の方、スタッフの皆さん、ご来場いただいたお客様、どうも有り難うございました。
文化祭と並行していたムーランルージュ関係の集会にも出席し、研究に参加した部員の諸君には感謝しています。5年前に初代部長の働きで設置された部もここまでの規模になったかと思うと、二代目の部長の私は何か感慨深いものがあるものです。
今は高校三年になる初代部長も出演はなかったものの、二日間文化祭で巧みな采配をし、急な予定変更に臨機応変に対応していました。
初日の主任であった先輩の中村仲蔵や、当日の朝思いついたけんだまんだんなど、いろいろな舞台が思い出されます。本当に良い文化祭でした。
来年度からは二代目の我々だけの文化祭になります。中学一年、二年の志ん米、奇多楼、雲甫で中学部を大いに盛り上げて下さい。期待しています。
では、ご来場いただいた皆様、また来年高座でお会いしましょう。
文化部にとって一年の集大成とも言える学園祭が無事終了いたしました。
先生、先輩、部員の諸君、生徒会組織の方、スタッフの皆さん、ご来場いただいたお客様、どうも有り難うございました。
文化祭と並行していたムーランルージュ関係の集会にも出席し、研究に参加した部員の諸君には感謝しています。5年前に初代部長の働きで設置された部もここまでの規模になったかと思うと、二代目の部長の私は何か感慨深いものがあるものです。
今は高校三年になる初代部長も出演はなかったものの、二日間文化祭で巧みな采配をし、急な予定変更に臨機応変に対応していました。
初日の主任であった先輩の中村仲蔵や、当日の朝思いついたけんだまんだんなど、いろいろな舞台が思い出されます。本当に良い文化祭でした。
来年度からは二代目の我々だけの文化祭になります。中学一年、二年の志ん米、奇多楼、雲甫で中学部を大いに盛り上げて下さい。期待しています。
では、ご来場いただいた皆様、また来年高座でお会いしましょう。
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