2011年5月 アーカイブ
2011年5月27日 20時56分26秒 (Fri)
活動報告!
こんばんわ!
副部長のwazaです!
ここ最近更新率高いし、顧問の先生も執筆してくれてたんでちょっと自分もぼちぼち頑張っていこうかなと。
といってもぶちょーほどの文章力ないし、長文も書くの苦手なんでその辺はご了承くださいw
今日は普通に今週の活動報告でもしていこうと思います。
月曜日は中間テストだったんで(中間については触れちゃラメー)、木曜日だけの活動となりました。
普段は汗水流して落語鑑賞や無駄話に励んでいるワケですが、今週は2年生の新入部員が来ていたので歓迎会でもやろうかということに。
最初に「現時点でどれくらい部員の名前覚えてる?」という話になり、部長はまあ良いとして自分の名前覚えられてたことに感動した。号泣した。
次に、新入部員の彼に自己紹介をしてもらったんですが、極めて健全な少年であることが発覚。2次オタでもなければ3次にも興味なし。
趣味は「読書」ですって。俺2年の頃もうちょっといろいろ旺盛だったぜ?
いやまあ読書は良いことだとは思うけどもっ。超聖人男子ちゃんなのでした。
彼にはこの空気にいち早く慣れてもらえればと思っております。よろしくね!
ちなみに今日は緊急的に昼に部会があり、部員証を作成しました。
現在、1年生に新入部員があと1人いるんだけどそれだけなんだよね。新入部員合計2人ですよ、2人。
古典芸能楽しいよ!そこの君もおいで!
次に高座に立つのは…あなたかもしれない(キリッ
ということで副部長のwazaがお送りしました。
副部長のwazaです!
ここ最近更新率高いし、顧問の先生も執筆してくれてたんでちょっと自分もぼちぼち頑張っていこうかなと。
といってもぶちょーほどの文章力ないし、長文も書くの苦手なんでその辺はご了承くださいw
今日は普通に今週の活動報告でもしていこうと思います。
月曜日は中間テストだったんで(中間については触れちゃラメー)、木曜日だけの活動となりました。
普段は汗水流して落語鑑賞や無駄話に励んでいるワケですが、今週は2年生の新入部員が来ていたので歓迎会でもやろうかということに。
最初に「現時点でどれくらい部員の名前覚えてる?」という話になり、部長はまあ良いとして自分の名前覚えられてたことに感動した。号泣した。
次に、新入部員の彼に自己紹介をしてもらったんですが、極めて健全な少年であることが発覚。2次オタでもなければ3次にも興味なし。
趣味は「読書」ですって。俺2年の頃もうちょっといろいろ旺盛だったぜ?
いやまあ読書は良いことだとは思うけどもっ。超聖人男子ちゃんなのでした。
彼にはこの空気にいち早く慣れてもらえればと思っております。よろしくね!
ちなみに今日は緊急的に昼に部会があり、部員証を作成しました。
現在、1年生に新入部員があと1人いるんだけどそれだけなんだよね。新入部員合計2人ですよ、2人。
古典芸能楽しいよ!そこの君もおいで!
次に高座に立つのは…あなたかもしれない(キリッ
ということで副部長のwazaがお送りしました。
2011年5月26日 19時33分26秒 (Thu)
顧問の寄席の思い出 その一
寄席の思い出・その1
落語担当顧問でございます。
先日の活動では昔昔亭桃太郎師匠のDVDに爆笑していた部員ですが、桃太郎師のことで思い出したことがあります。
これは平成元年3月上席(1日から10日)の新宿末広亭でのことです。
受験のために暫くの間,寄席通いをやめており,数日前にやっと試験は終了したものの旗色は悪く,失意の何日かを過ごしていました。
そんな中、父が、
「京王デバートんとこに貼ってあった末広のポスターね。 今、米丸さんのとこだって。出てるのが。で、右女助さんとか笑三さんが出るってさ。とりが柳好さんだって」
「柳好って誰だっけ?」
「ほら、がまの油が十八番の!」
「さぁさ、御用とお急ぎでない方はゆっくりと聞いておいで。遠目山越え笠の内、ってそりゃ、昔の柳好じゃないのかい?」
「ハハハ、ばれたか。お笑いタッグマッチに出てたんじゃないか、柳昇さんとかと」
「じゃぁ、わかんないよ。知らないもの、そんな番組」
「あ、そう?!終わってだいぶ経つか。時が経つのは早いや。右女助さんは例によって切符だろうな。あの駅をずっと言っていく切符のやつとさ、痴楽つづり方狂室の山手線。昔、真似してたじゃない。鶯谷の寺に行くときにさ、道々でやってくれたのを覚えてるよ。あの時分、まだ小さかったのにな」
「もう、忘れちゃったよ」
「じゃあ、末広に行ってさ。もう一回覚えてきてやって頂戴よ」
「演るの?じゃぁ、そうするかな。円右さんは出るの?」
「どうだったかな・・・。あ、伸治さんの名前があったんじゃないかな」
「文治ね」
「文治?そうだ、文治だ。文治って書いてあった。改名したんだったね。ついこないださ、池袋の西武線で見かけたよ。そうか。文治だ。どうも、文治っていうと、つい大蔵次官の方だと思ってさ」
「竹ノ塚がいい噺家だって言っていたよ」
「そのこと!いつも大蔵次官ばっかりだったけど面白かったな。長い顔でさ」
「竹ノ塚が言うにはさ。あの人ぁ、さん馬が“にん”にあってるんだってさ。文治といやぁ、祇園会の文治だ、って言ってたよ」
「どうでもいいけど古っるいねぇ~(苦笑)こらぁ驚いた。その文治はさ、あたしの親父の代だよ。あたしの霊岸島時代、もちろん戦前ですよ、確かレコードで聴いたことがあるけどもね。戦後も演っていたのかなぁ・・・」
「さぁ・・・。竹ノ塚に聞けば分かるんじゃないのかなぁ。」
「でもね、文楽さんより古い噺家だよ、確か。文楽さんはあなたの生まれた頃に亡くなったんだよね。ってことは祇園会の文治も戦後も演っていたのかな」
「どうだろうね。これも竹ノ塚に聞いてみよう。で、名人だったの?」
「いや、年端もいかない時分にレコードで聴いただけだもの。分からないな。覚えてもいない」
「レコードは?」
「そんなもの、一切合財、空襲で焼けちゃったよ」
「寄席では聴いた?」
「いや、どうだろう。覚えはないね」
「ほら、いつも言ってるじゃない。あの八丁堀の寄席」
「住吉亭かい?」
「そう。住吉亭なんかで聞かなかったの?」
「あすこは、ほら、浪曲ですよ」
「あ、そう」
「それはそうと、どうだい。久々に木戸をくぐってきたら」
「うん。まぁ,試験の結果はどうあれ,終わったことだし久々に行ってみるかな」
「行ってきな、行ってきな」
そんなやりとりがあって、早速、笹塚のうちを出て新宿に向かいました。雨の降る寒い日(どうやら3月7日のようです)の午後でした。
久々の寄席の観客は7人ほど。雨のそぼ降る寒い平日の芸協(当時は落語協会に圧されていた感じがありました)とはいえ,「いくらなんでもこの人数はないだろう」と思いながらも,寒々しい寄席は失意の私に相応しい雰囲気に思えました。記憶では,今の客席よりも照明を暗くしていた感じで,一層そう思えたものです。
プログラムは淡々と流れていき,客席の意気があがらないこと夥しい感じでしたが,私の前の席にいた痩身に長髪,そして黒縁眼鏡の観客だけが孤軍奮闘といった感じで演者に応えていました。とはいうものの,それはカラ元気以外の何物でもなく,痩身の身には演者が代わる度の爆笑や反応は身に堪える様で,演者が引っ込むと,あるときはため息をつき,またあるときは分厚いタッパウェアに詰め込んだ弁当を“やけ食い”していました。それはまさに痩せの大食いであり,そしてなにか無性に哀れを誘ったものです。
夜の部になっても雰囲気は変わらず。入ってくる客もいません。底冷えのする寒い寄席は,しかしまた,帰る客もいないのです。高校生ながらも「枯淡な感じがあってこんな日の寄席も悪くないな」と思ったものです。
そんなとき,若き昔昔亭桃太郎師が登場。ボソボソと語る駄洒落や石原裕次郎と自分を比較したボヤキが強い印象を残しました。「この人はこの味で今後売れるんじゃないかな」と,生意気にも思ったものです。果たして後年,その予想は満更でもなかったわけです。
そして檜山さくら師。淡々と,三味線片手に謡う俗曲は,この日の雰囲気と相俟って墨絵の印象であり,昭和の黙阿弥との異名をとる宇野信夫先生描くところの,昭和恐慌の頃の寄席を思わしめたものです(現在活躍中の檜山うめ吉師は、さくら師のお弟子さんとのことです。そういえばもう10年以上前、タウン誌の取材で、うめ吉師にお話を伺った生徒もいました)。
圧巻だったのが神田山陽師。冒頭の語りからすると赤穂義士外伝。決め台詞「天野屋利兵衛は男でござる」のくだりに至って,10人に満たない観客にも関わらず熱演をされる「山陽師こそ男でござる」と有難く感じたものです。
こうなると,帰宅して,父親に一刻も早く今日の寄席の話をしたいと思い,ヒザ前の笑三師で末広亭を後にし,新宿三丁目の駅に駆け込みました。
帰宅するなり興奮して今日の寄席を報告する私に
「おっ,ちょっとした色川武大。今日は行ってよかったな。本当によかった」
そう言いながら微笑んで何度もうなずく父なのでした。
(平成23年5月26日記)
(追記) 上記の父とのやりとりの後年、「古今東西落語家辞典」で、祇園会の文治(八世家元桂文治)は八代目桂文楽の師匠筋にあたることがわかり、昭和30年に没していることも分かりました。戦後も演じていたようですね。
「義太夫息子」と「夜桜」をテープで聞いたことがありますが、世評で否定的な評価がなされている「くさみ」に、たまらない魅力を感じました。
(例:ノ・ベ・ツ・ニ・ヤ・リ・ヲ・イ・レ・ラ・レ・マス)
落語担当顧問でございます。
先日の活動では昔昔亭桃太郎師匠のDVDに爆笑していた部員ですが、桃太郎師のことで思い出したことがあります。
これは平成元年3月上席(1日から10日)の新宿末広亭でのことです。
受験のために暫くの間,寄席通いをやめており,数日前にやっと試験は終了したものの旗色は悪く,失意の何日かを過ごしていました。
そんな中、父が、
「京王デバートんとこに貼ってあった末広のポスターね。 今、米丸さんのとこだって。出てるのが。で、右女助さんとか笑三さんが出るってさ。とりが柳好さんだって」
「柳好って誰だっけ?」
「ほら、がまの油が十八番の!」
「さぁさ、御用とお急ぎでない方はゆっくりと聞いておいで。遠目山越え笠の内、ってそりゃ、昔の柳好じゃないのかい?」
「ハハハ、ばれたか。お笑いタッグマッチに出てたんじゃないか、柳昇さんとかと」
「じゃぁ、わかんないよ。知らないもの、そんな番組」
「あ、そう?!終わってだいぶ経つか。時が経つのは早いや。右女助さんは例によって切符だろうな。あの駅をずっと言っていく切符のやつとさ、痴楽つづり方狂室の山手線。昔、真似してたじゃない。鶯谷の寺に行くときにさ、道々でやってくれたのを覚えてるよ。あの時分、まだ小さかったのにな」
「もう、忘れちゃったよ」
「じゃあ、末広に行ってさ。もう一回覚えてきてやって頂戴よ」
「演るの?じゃぁ、そうするかな。円右さんは出るの?」
「どうだったかな・・・。あ、伸治さんの名前があったんじゃないかな」
「文治ね」
「文治?そうだ、文治だ。文治って書いてあった。改名したんだったね。ついこないださ、池袋の西武線で見かけたよ。そうか。文治だ。どうも、文治っていうと、つい大蔵次官の方だと思ってさ」
「竹ノ塚がいい噺家だって言っていたよ」
「そのこと!いつも大蔵次官ばっかりだったけど面白かったな。長い顔でさ」
「竹ノ塚が言うにはさ。あの人ぁ、さん馬が“にん”にあってるんだってさ。文治といやぁ、祇園会の文治だ、って言ってたよ」
「どうでもいいけど古っるいねぇ~(苦笑)こらぁ驚いた。その文治はさ、あたしの親父の代だよ。あたしの霊岸島時代、もちろん戦前ですよ、確かレコードで聴いたことがあるけどもね。戦後も演っていたのかなぁ・・・」
「さぁ・・・。竹ノ塚に聞けば分かるんじゃないのかなぁ。」
「でもね、文楽さんより古い噺家だよ、確か。文楽さんはあなたの生まれた頃に亡くなったんだよね。ってことは祇園会の文治も戦後も演っていたのかな」
「どうだろうね。これも竹ノ塚に聞いてみよう。で、名人だったの?」
「いや、年端もいかない時分にレコードで聴いただけだもの。分からないな。覚えてもいない」
「レコードは?」
「そんなもの、一切合財、空襲で焼けちゃったよ」
「寄席では聴いた?」
「いや、どうだろう。覚えはないね」
「ほら、いつも言ってるじゃない。あの八丁堀の寄席」
「住吉亭かい?」
「そう。住吉亭なんかで聞かなかったの?」
「あすこは、ほら、浪曲ですよ」
「あ、そう」
「それはそうと、どうだい。久々に木戸をくぐってきたら」
「うん。まぁ,試験の結果はどうあれ,終わったことだし久々に行ってみるかな」
「行ってきな、行ってきな」
そんなやりとりがあって、早速、笹塚のうちを出て新宿に向かいました。雨の降る寒い日(どうやら3月7日のようです)の午後でした。
久々の寄席の観客は7人ほど。雨のそぼ降る寒い平日の芸協(当時は落語協会に圧されていた感じがありました)とはいえ,「いくらなんでもこの人数はないだろう」と思いながらも,寒々しい寄席は失意の私に相応しい雰囲気に思えました。記憶では,今の客席よりも照明を暗くしていた感じで,一層そう思えたものです。
プログラムは淡々と流れていき,客席の意気があがらないこと夥しい感じでしたが,私の前の席にいた痩身に長髪,そして黒縁眼鏡の観客だけが孤軍奮闘といった感じで演者に応えていました。とはいうものの,それはカラ元気以外の何物でもなく,痩身の身には演者が代わる度の爆笑や反応は身に堪える様で,演者が引っ込むと,あるときはため息をつき,またあるときは分厚いタッパウェアに詰め込んだ弁当を“やけ食い”していました。それはまさに痩せの大食いであり,そしてなにか無性に哀れを誘ったものです。
夜の部になっても雰囲気は変わらず。入ってくる客もいません。底冷えのする寒い寄席は,しかしまた,帰る客もいないのです。高校生ながらも「枯淡な感じがあってこんな日の寄席も悪くないな」と思ったものです。
そんなとき,若き昔昔亭桃太郎師が登場。ボソボソと語る駄洒落や石原裕次郎と自分を比較したボヤキが強い印象を残しました。「この人はこの味で今後売れるんじゃないかな」と,生意気にも思ったものです。果たして後年,その予想は満更でもなかったわけです。
そして檜山さくら師。淡々と,三味線片手に謡う俗曲は,この日の雰囲気と相俟って墨絵の印象であり,昭和の黙阿弥との異名をとる宇野信夫先生描くところの,昭和恐慌の頃の寄席を思わしめたものです(現在活躍中の檜山うめ吉師は、さくら師のお弟子さんとのことです。そういえばもう10年以上前、タウン誌の取材で、うめ吉師にお話を伺った生徒もいました)。
圧巻だったのが神田山陽師。冒頭の語りからすると赤穂義士外伝。決め台詞「天野屋利兵衛は男でござる」のくだりに至って,10人に満たない観客にも関わらず熱演をされる「山陽師こそ男でござる」と有難く感じたものです。
こうなると,帰宅して,父親に一刻も早く今日の寄席の話をしたいと思い,ヒザ前の笑三師で末広亭を後にし,新宿三丁目の駅に駆け込みました。
帰宅するなり興奮して今日の寄席を報告する私に
「おっ,ちょっとした色川武大。今日は行ってよかったな。本当によかった」
そう言いながら微笑んで何度もうなずく父なのでした。
(平成23年5月26日記)
(追記) 上記の父とのやりとりの後年、「古今東西落語家辞典」で、祇園会の文治(八世家元桂文治)は八代目桂文楽の師匠筋にあたることがわかり、昭和30年に没していることも分かりました。戦後も演じていたようですね。
「義太夫息子」と「夜桜」をテープで聞いたことがありますが、世評で否定的な評価がなされている「くさみ」に、たまらない魅力を感じました。
(例:ノ・ベ・ツ・ニ・ヤ・リ・ヲ・イ・レ・ラ・レ・マス)
2011年5月24日 17時41分08秒 (Tue)
其の参
今日、中間試験がめでたく終わりまして、社会科のレポート提出までほんの少しだけの休息になりました。我々もいつも落語を聞いてわいわいやっている訳ではないのですな。
今日は「居残り佐平次」を聞きたくなり、いろいろある噺家のなかから一体誰のを聴こうかと迷いまして、立川談志か古今亭志ん朝か、ということになりました。
しかし私は試験で疲れていましたので談志のアクの強い芸についてゆけそうにないな、と思ったので今日はひとつ志ん朝の「居残り佐平次」にしようという事になりました。
この噺というのはけっこう長い。四、五十分はかかるものですから聞く方も話す方も体力を消耗してしまいます。
江戸の頃、遊郭には「居残り」と呼ばれる人がいました。どんな人かというと、いつまでも店に居座って帰らない行儀の悪い客です。乙な遊びをする人は短い時間に気持ちよく金を落とすものとされていましたから、業界からの嫌われ者です。この噺はそんな「居残り」を商売にする佐平次という男が主役。
志ん朝のまくしたてるようでいて、聞き心地の良い口調で、のらりくらりと店の人に言い訳をする佐平次の描写が聞き所です。そんな佐平次をもてあましながらも厳しく怒れない店の若い衆もいい味がでています。
志ん朝の手にかかると、五十分の大作にも最後まで飽きずについていけるし、なんともさっぱりした江戸っ子らしさがどことなく可笑しくて楽しく聞けます。
きちんとした江戸落語をきちんとした江戸弁で話す、というのは意外に難しくて、むしろ大げさな仕草や噺のスジを変えて個性を出すのは結構簡単なのかなと思ったりします。
新作風に仕立てた「居残り佐平次」もあることにはありますが、伝統ある大作に対してむやみに手を加えなくても、ふっと笑えるものです。
志ん朝といえば演劇、テレビドラマ、歌などなど落語以外の芸能にも才覚を発揮していたマルチプレーヤー。普通、そんな人は落語は一流半くらいで止まってしまって、多岐亡羊といいますか、その他の活動でお金を稼ぐタレントになってしまう場合(誰とは言いませんが)が多いですが、志ん朝というのはもう誰がみても素晴らしい落語の技術を持っています。
二つ目から真打までが、たった五年だったのは父、古今亭志ん生の威光だけでは無いでしょう。
登場人物の役を細部まで丁寧につくり込む、という姿勢を私も是非見習いたいものです。
今日は「居残り佐平次」を聞きたくなり、いろいろある噺家のなかから一体誰のを聴こうかと迷いまして、立川談志か古今亭志ん朝か、ということになりました。
しかし私は試験で疲れていましたので談志のアクの強い芸についてゆけそうにないな、と思ったので今日はひとつ志ん朝の「居残り佐平次」にしようという事になりました。
この噺というのはけっこう長い。四、五十分はかかるものですから聞く方も話す方も体力を消耗してしまいます。
江戸の頃、遊郭には「居残り」と呼ばれる人がいました。どんな人かというと、いつまでも店に居座って帰らない行儀の悪い客です。乙な遊びをする人は短い時間に気持ちよく金を落とすものとされていましたから、業界からの嫌われ者です。この噺はそんな「居残り」を商売にする佐平次という男が主役。
志ん朝のまくしたてるようでいて、聞き心地の良い口調で、のらりくらりと店の人に言い訳をする佐平次の描写が聞き所です。そんな佐平次をもてあましながらも厳しく怒れない店の若い衆もいい味がでています。
志ん朝の手にかかると、五十分の大作にも最後まで飽きずについていけるし、なんともさっぱりした江戸っ子らしさがどことなく可笑しくて楽しく聞けます。
きちんとした江戸落語をきちんとした江戸弁で話す、というのは意外に難しくて、むしろ大げさな仕草や噺のスジを変えて個性を出すのは結構簡単なのかなと思ったりします。
新作風に仕立てた「居残り佐平次」もあることにはありますが、伝統ある大作に対してむやみに手を加えなくても、ふっと笑えるものです。
志ん朝といえば演劇、テレビドラマ、歌などなど落語以外の芸能にも才覚を発揮していたマルチプレーヤー。普通、そんな人は落語は一流半くらいで止まってしまって、多岐亡羊といいますか、その他の活動でお金を稼ぐタレントになってしまう場合(誰とは言いませんが)が多いですが、志ん朝というのはもう誰がみても素晴らしい落語の技術を持っています。
二つ目から真打までが、たった五年だったのは父、古今亭志ん生の威光だけでは無いでしょう。
登場人物の役を細部まで丁寧につくり込む、という姿勢を私も是非見習いたいものです。
2011年5月15日 17時44分43秒 (Sun)
其の弐
なんか「部長の部屋」なんてえ大層なものを創りましたが、いざ定期的に書くとなるとなにを書けばよいのやら。
苦し紛れに暫くは私の好きな昭和の名人、名演を紹介したいと思います。
昭和の名人て、お前歳いくつだよ!
はい、中三です。
もちろん、ライブで知った噺家ではありません。ギリギリ柳家小さん、五代目の三遊亭圓楽、立川談志に間に合ったくらいです。
CDやDVDでしか知らない噺家についての講釈をたれてどうするんだと言われるとそれまでなんですが、ちょっとお付き合いを願いたいわけでして。
今日紹介したいのは八代目三笑亭可楽です。
私にとっては昭和の落語を語るうえで欠かせない噺家です。どうして欠かせないのか。昭和の名人は志ん生、圓生、文楽ではないのかと言われるでしょう。
その通り、彼は全くもってスタンダードではありません。亡くなる直前までちっとも売れなかった噺家でした。
舌足らずで、陰気で笑いどころも少なく、ちっとも動かない。
初めての落語が可楽だったら多分落語はつまらない、と感じるだろうと思います。私は初めての噺家が可楽でなくて本当に良かったと思います。きっと私はその素晴らしい芸の良さを知らずにいたことでしょう。
大正4年に三遊亭圓右に入門し、二つ目のころの志ん生と知り合います。大正7年に真打になりますが、さっぱり売れない。そうこうしているうちに戦争へ。
戦争中は明かりをおとした薄暗い寄席で黙々と修行をしますが、時代が時代だけに貧乏はひどくなるばかり。戦後の落語ブームが到来し同期の圓生、正蔵、志ん生は馬鹿に売れ、世間の脚光を浴びますが、可楽は売れない。
何故でしょうか?
可楽は落語とは笑うものだ、と思ってきたお客を全然笑わせないのです。
長く不遇の時代が続いたせいか、彼の芸は全体的に暗い。おまけに滑舌もよろしくはなく、人気が出なくて当たり前なのです。
登場人物の闇や暗さが引き立ち、どことなく陰鬱な雰囲気が漂って来ます。
可楽の代表的な演目は「反魂香」「うどん屋」「二番煎じ」「らくだ」などがありますが、これらは滑稽話のように笑いどころが多くなく「反魂香」には怨霊が登場し「うどん屋」と「二番煎じ」の舞台は冬の夜中で「らくだ」は死体を始末するはなしです。
可楽にはそういった落語というか怪奇小説になりそうな、そんな噺がぴったり合います。
また、芸の特色として、描写の省略があげられます。
場面の移り変わりを一言、二言ですませてしまのです。
大作で一時間かかると言われる「らくだ」をストーリーをそのままに、三十分で演じてしまいます。たとえば、冒頭のシーンで兄いがらくだが死んでいるのを発見するのを「野郎めえってるな」の一言で。それに対して小三治は2分かかっています。
このように、暗い表情とあっさりと省略されることで、可楽独特の乾いた落語を創っているわけです。
誰にも受けなかったのかといいますと、ごく一部のひとは彼の芸を高く評価し惚れ込んでいました。
その不機嫌そうな顔で喋る「暗い落語」がたまらなく好きだ、という人がいたわけで、決してへたくそなのではなかったのです。
彼を愛した人で北村英二、フランク永井がいます。
可楽もジャズ好きで、フランク永井との交友をよく自慢していたとか。
たしかに、可楽の落語には黒人の悲哀を表現したブルースのような哀しみがあるかもしれませんね。
大衆に迎合せず己の道を歩んだ可楽の舌足らずで薄暗い落語に私はとても惹かれます。
よろしければ、CDをお貸ししましょう。可楽好きに悪いやつはいません。
苦し紛れに暫くは私の好きな昭和の名人、名演を紹介したいと思います。
昭和の名人て、お前歳いくつだよ!
はい、中三です。
もちろん、ライブで知った噺家ではありません。ギリギリ柳家小さん、五代目の三遊亭圓楽、立川談志に間に合ったくらいです。
CDやDVDでしか知らない噺家についての講釈をたれてどうするんだと言われるとそれまでなんですが、ちょっとお付き合いを願いたいわけでして。
今日紹介したいのは八代目三笑亭可楽です。
私にとっては昭和の落語を語るうえで欠かせない噺家です。どうして欠かせないのか。昭和の名人は志ん生、圓生、文楽ではないのかと言われるでしょう。
その通り、彼は全くもってスタンダードではありません。亡くなる直前までちっとも売れなかった噺家でした。
舌足らずで、陰気で笑いどころも少なく、ちっとも動かない。
初めての落語が可楽だったら多分落語はつまらない、と感じるだろうと思います。私は初めての噺家が可楽でなくて本当に良かったと思います。きっと私はその素晴らしい芸の良さを知らずにいたことでしょう。
大正4年に三遊亭圓右に入門し、二つ目のころの志ん生と知り合います。大正7年に真打になりますが、さっぱり売れない。そうこうしているうちに戦争へ。
戦争中は明かりをおとした薄暗い寄席で黙々と修行をしますが、時代が時代だけに貧乏はひどくなるばかり。戦後の落語ブームが到来し同期の圓生、正蔵、志ん生は馬鹿に売れ、世間の脚光を浴びますが、可楽は売れない。
何故でしょうか?
可楽は落語とは笑うものだ、と思ってきたお客を全然笑わせないのです。
長く不遇の時代が続いたせいか、彼の芸は全体的に暗い。おまけに滑舌もよろしくはなく、人気が出なくて当たり前なのです。
登場人物の闇や暗さが引き立ち、どことなく陰鬱な雰囲気が漂って来ます。
可楽の代表的な演目は「反魂香」「うどん屋」「二番煎じ」「らくだ」などがありますが、これらは滑稽話のように笑いどころが多くなく「反魂香」には怨霊が登場し「うどん屋」と「二番煎じ」の舞台は冬の夜中で「らくだ」は死体を始末するはなしです。
可楽にはそういった落語というか怪奇小説になりそうな、そんな噺がぴったり合います。
また、芸の特色として、描写の省略があげられます。
場面の移り変わりを一言、二言ですませてしまのです。
大作で一時間かかると言われる「らくだ」をストーリーをそのままに、三十分で演じてしまいます。たとえば、冒頭のシーンで兄いがらくだが死んでいるのを発見するのを「野郎めえってるな」の一言で。それに対して小三治は2分かかっています。
このように、暗い表情とあっさりと省略されることで、可楽独特の乾いた落語を創っているわけです。
誰にも受けなかったのかといいますと、ごく一部のひとは彼の芸を高く評価し惚れ込んでいました。
その不機嫌そうな顔で喋る「暗い落語」がたまらなく好きだ、という人がいたわけで、決してへたくそなのではなかったのです。
彼を愛した人で北村英二、フランク永井がいます。
可楽もジャズ好きで、フランク永井との交友をよく自慢していたとか。
たしかに、可楽の落語には黒人の悲哀を表現したブルースのような哀しみがあるかもしれませんね。
大衆に迎合せず己の道を歩んだ可楽の舌足らずで薄暗い落語に私はとても惹かれます。
よろしければ、CDをお貸ししましょう。可楽好きに悪いやつはいません。
2011年5月12日 22時26分25秒 (Thu)
能と狂言を見てきました
5月6日、根津神社での奉納「つつじ能」を観賞しに行った。古典芸能部では以前にも雅楽や狂言、寄席などを見に行ったことがあり、次は「能」だろうということになったのである。
プログラムを見るに18:00から21:00までとあったので、能はやっぱり意味不明で眠いんだろうな、寝ちゃいそうだな、と思っていた。能が狂言などより難しく理解しにくいというのは一般的にも良く言われることではないか。しかし実際に見てみれば、これがそういうわけでもなく、台本のようなプリントを事前に渡され、また短い解説が先にあったこともあり、意外とあらすじや台詞を理解出来た。もちろん眠くもならず、むしろ舞台に引き込まれていた。
演目は、能「羽衣」、狂言「成上り」、能「小鍛冶」だった。個人的に一番気に入ったのは、「小鍛冶」のなかで稲荷大明神の化身の少年が、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の草薙ノ剣伝説を舞うところ。「羽衣」と比較して「小鍛冶」は全体的に勢いがあり、緩慢で眠くなる、という能に対するこれまでの漠然としたイメージを打ち破ってくれた。僕が気に入った舞いの部分も、日本武尊が四方を御剣で切り払う場面を少年が激しく踊るというところで、迫力があり印象に残った。
「小鍛冶」のストーリーはここ。「羽衣」はここ。「成上り」はここ。
狂言の「成上り」は、現代のお笑いと同じように聞いて笑うことが出来た。室町時代頃に成立した芸能を現代人が見て楽しめるというのは、なかなか凄いことだと思う。日本人の感性は神代から一貫して変わっていないのかもしれない。またいつか、能や狂言を見に行ってみたいものだ。
写真はつつじが咲き誇る根津神社の春の様子。写真なんてほとんど撮ったことがないので酷いことになっているが、それでも綺麗なので見て欲しい。神社は素晴らしいね。 菅野泰史

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