2011年4月 アーカイブ
2011年4月24日 21時52分57秒 (Sun)
其の壱
毎度の部長でございます。
今日は日曜でしたので、上野の寄席に行って参りました(独りで、さみしいかったな...)。
朝の9時ごろに湯島駅に着きまして、開演は12時ですから、お昼まで上野の散策をすることにしました。
まずは寛永寺の牡丹園に。高校生が400円、大人が600円と、結構な入場料だなと思いましたが、わたくしは中学生ですから無料でした。
落花の薄化粧で淡い桃色に染まった道の脇には、大輪の牡丹が咲き誇り、春の終わりを感じました。
昨日は雨でしたから、しっとりとした空気が心地よく、色とりどりの牡丹に囲まれながら私はとても満ち足りた気持ちになりました。四季の花を愛でる我が国の文化のなんと素晴らしいことか!
東照宮、寛永寺本堂にお参りをして国立美術館へ。
写楽展が震災の影響で見られなかったのですが、通常の展示もじっくり見ているとどれも優れた芸術作品です。知識も素養も無い若輩者ながら、日本の美術史を丁寧に解説した展示には感無量であります。
そこから動物園に戻り、新しいパンダを見ようと大勢の人々が並んでいるのを後目にしながら弁天堂方向へ。
不忍池では、沢山のカップルが幸せそうにボートを漕いでおり、ふと池に写った私の顔を見ると悪鬼のような表情で恋人達を睨みつけておりました。
恋人が集う場所で私は独りです。
いっそ首でも括ろうか、それより池に飛び込んで河童となり、幸せなボートをゲリラ的に襲撃しようか、いやいや、足漕ぎボートの白鳥の頭を全部もぎとってやろうかなどと思いました。
気を取り直し、いよいよ上野鈴本演芸場であります。
と、其の前に腹が減ったので演芸場の裏にあります「蓮玉庵 」へ。
江戸前の蕎麦を出すお店で、その歴史は安政6年から始まるとか。なんと幕末であります。私の敬愛する池波正太郎氏もここに通ったそうです。
関東風の塩辛い出汁に、細くてこしのある蕎麦をひたし勢いよくすすります。柳家小さんの演じる「時そば」の如くツツツーーと勢いよく啜りまして、大満足。
そんな具合で演芸場へ。
今日の番組で印象に残ったのは、橘家文左衛門師匠、川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)師匠、主任の金原亭馬生師匠の三名。
文左衛門師匠は古典の「ちはやふる」を。がっしりとした体格で演じる「兄い」のうまいこと。太った噺家は相撲取りが似合うし、痩せた噺家はお化けなんか出て来る話が似合うですね。歌舞伎でも女形の役者はみんな優男なのです。プロというのは自分の外見まで芸に取り込んでしまうのかとわたくし感心致しました。
川柳師匠は落語協会の古株で、今年で八十歳になるとか。新作落語、漫談がお得意の方ですが、今日は戦時中の思い出話から「勝ってた始めの半年と、負けてるあとの三年じゃあ、軍歌の調子が全然違うんだなあ」と「月月火水木金金」と「同期の桜」を朗々と歌い、会場をどっとわかせておりました。
馬生師匠は30分かけて「猫の災難」を演じ、酔っぱらった熊さんが何とも憎めないキャラクターにしあがっておりなんだか気持ちのいい噺家でした。主任格になると「演じている」という感じがないというか、高座にはごく当たり前に熊や八五郎がいるんですね。話芸のプロフェッショナルとはかくあるべし、といった具合です。
また寄席に行ったら、何かしら感想を書きたいと思います。
では、今日はこのへんで。
今日は日曜でしたので、上野の寄席に行って参りました(独りで、さみしいかったな...)。
朝の9時ごろに湯島駅に着きまして、開演は12時ですから、お昼まで上野の散策をすることにしました。
まずは寛永寺の牡丹園に。高校生が400円、大人が600円と、結構な入場料だなと思いましたが、わたくしは中学生ですから無料でした。
落花の薄化粧で淡い桃色に染まった道の脇には、大輪の牡丹が咲き誇り、春の終わりを感じました。
昨日は雨でしたから、しっとりとした空気が心地よく、色とりどりの牡丹に囲まれながら私はとても満ち足りた気持ちになりました。四季の花を愛でる我が国の文化のなんと素晴らしいことか!
東照宮、寛永寺本堂にお参りをして国立美術館へ。
写楽展が震災の影響で見られなかったのですが、通常の展示もじっくり見ているとどれも優れた芸術作品です。知識も素養も無い若輩者ながら、日本の美術史を丁寧に解説した展示には感無量であります。
そこから動物園に戻り、新しいパンダを見ようと大勢の人々が並んでいるのを後目にしながら弁天堂方向へ。
不忍池では、沢山のカップルが幸せそうにボートを漕いでおり、ふと池に写った私の顔を見ると悪鬼のような表情で恋人達を睨みつけておりました。
恋人が集う場所で私は独りです。
いっそ首でも括ろうか、それより池に飛び込んで河童となり、幸せなボートをゲリラ的に襲撃しようか、いやいや、足漕ぎボートの白鳥の頭を全部もぎとってやろうかなどと思いました。
気を取り直し、いよいよ上野鈴本演芸場であります。
と、其の前に腹が減ったので演芸場の裏にあります「蓮玉庵 」へ。
江戸前の蕎麦を出すお店で、その歴史は安政6年から始まるとか。なんと幕末であります。私の敬愛する池波正太郎氏もここに通ったそうです。
関東風の塩辛い出汁に、細くてこしのある蕎麦をひたし勢いよくすすります。柳家小さんの演じる「時そば」の如くツツツーーと勢いよく啜りまして、大満足。
そんな具合で演芸場へ。
今日の番組で印象に残ったのは、橘家文左衛門師匠、川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)師匠、主任の金原亭馬生師匠の三名。
文左衛門師匠は古典の「ちはやふる」を。がっしりとした体格で演じる「兄い」のうまいこと。太った噺家は相撲取りが似合うし、痩せた噺家はお化けなんか出て来る話が似合うですね。歌舞伎でも女形の役者はみんな優男なのです。プロというのは自分の外見まで芸に取り込んでしまうのかとわたくし感心致しました。
川柳師匠は落語協会の古株で、今年で八十歳になるとか。新作落語、漫談がお得意の方ですが、今日は戦時中の思い出話から「勝ってた始めの半年と、負けてるあとの三年じゃあ、軍歌の調子が全然違うんだなあ」と「月月火水木金金」と「同期の桜」を朗々と歌い、会場をどっとわかせておりました。
馬生師匠は30分かけて「猫の災難」を演じ、酔っぱらった熊さんが何とも憎めないキャラクターにしあがっておりなんだか気持ちのいい噺家でした。主任格になると「演じている」という感じがないというか、高座にはごく当たり前に熊や八五郎がいるんですね。話芸のプロフェッショナルとはかくあるべし、といった具合です。
また寄席に行ったら、何かしら感想を書きたいと思います。
では、今日はこのへんで。
2011年4月22日 18時26分21秒 (Fri)
チラシ
2011年4月19日 17時24分11秒 (Tue)
部長から。
部長です。
めっきり春ですね。
校門前の桜も今では青々とした若葉を茂らせ、いよいよサークル活動も解禁、といった具合でしょうか。
本年度も愉快に面白可笑しく活動したい所存でございます。
さて、昨日は部員で落語鑑賞会を行い、春風亭昇太師匠、昔昔亭桃太郎師匠のCDを聞いておりました。
両師匠ともに、かの春風亭柳昇の弟子であり、新作落語の第一人者であります。
昇太師匠は力士になるための英才教育を施された小学生がおこす騒ぎを、桃太郎師匠はぜんざいを国民に支給するという奇妙奇天烈な「ぜんざい公社」の役人を演じており、どちらも部員一同腹を抱えて爆笑しました。
かくいう私は橘家円蔵師匠や柳亭市馬師匠といった古典の正統派の支持者でして、新作の世界には疎いので、昨日は貴重な体験でした。
古典芸能というのは基本的に伝統を守り、伝えていくべきですが、あまりにも保守的になりすぎるとその文化は廃れてしまいます。
古典落語の名作の一つに私は昭和の名人、三遊亭圓生の「死神」を必ず数えますが、あの「死神」ももともとは明治の噺家三遊亭圓朝がグリム童話からヒントを得て、落語に仕立てた新作だったのです。江戸時代から続く「まんじゅうこわい」に比べれば、歴史の浅い演目です。
津軽三味線でロックを奏でる吉田兄弟や、その時代に合うよう台詞を変えていく歌舞伎。
ただ師匠のコピーをしているのではなく、なにか革新的なことを取り入れていくということも大切ですね。
保守に傾きすぎると「老害」と呼ばれ、革新に傾きすぎると「軽薄」と呼ばれます。それらがぶつかり合ってこそ素晴らしい創作物が生まれていくものです。新作と古典の関係はそういうものではないでしょうか。
めっきり春ですね。
校門前の桜も今では青々とした若葉を茂らせ、いよいよサークル活動も解禁、といった具合でしょうか。
本年度も愉快に面白可笑しく活動したい所存でございます。
さて、昨日は部員で落語鑑賞会を行い、春風亭昇太師匠、昔昔亭桃太郎師匠のCDを聞いておりました。
両師匠ともに、かの春風亭柳昇の弟子であり、新作落語の第一人者であります。
昇太師匠は力士になるための英才教育を施された小学生がおこす騒ぎを、桃太郎師匠はぜんざいを国民に支給するという奇妙奇天烈な「ぜんざい公社」の役人を演じており、どちらも部員一同腹を抱えて爆笑しました。
かくいう私は橘家円蔵師匠や柳亭市馬師匠といった古典の正統派の支持者でして、新作の世界には疎いので、昨日は貴重な体験でした。
古典芸能というのは基本的に伝統を守り、伝えていくべきですが、あまりにも保守的になりすぎるとその文化は廃れてしまいます。
古典落語の名作の一つに私は昭和の名人、三遊亭圓生の「死神」を必ず数えますが、あの「死神」ももともとは明治の噺家三遊亭圓朝がグリム童話からヒントを得て、落語に仕立てた新作だったのです。江戸時代から続く「まんじゅうこわい」に比べれば、歴史の浅い演目です。
津軽三味線でロックを奏でる吉田兄弟や、その時代に合うよう台詞を変えていく歌舞伎。
ただ師匠のコピーをしているのではなく、なにか革新的なことを取り入れていくということも大切ですね。
保守に傾きすぎると「老害」と呼ばれ、革新に傾きすぎると「軽薄」と呼ばれます。それらがぶつかり合ってこそ素晴らしい創作物が生まれていくものです。新作と古典の関係はそういうものではないでしょうか。
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