2011年スピーチ発表『日本語が変えた私の人生』
前橋国際交流協会主催 『第10回外国人による日本語発表会』スピーチ発表内容 全文公開
こんにちわ。私は汐月瑠沙と申します。
私は台湾の出身で、去年3月27日に、日本人と結婚して、今は群馬県高崎市に住んでいます。今日は、皆さまの前で日本語で発表することができてとてもうれしいです。では、私のスピーチを始めます。今日のテーマは『日本語が変えた私の人生』です。
私は台湾の高速道路の料金所で働いていました。日本語を習おうと思ったきっかけは、道で歩いていた女性が流暢に日本語を話しているのを聞いて、私も同じように日本語を話してみたいと思ったからです。
2006年4月から、台湾の日本語教室に通い、50音からスタートしました。勉強を始めて8カ月で日本語能力試験3級と2級に同時に合格しました。
このことは、日本語教室の主任をはじめ、みんなを驚かせました。もちろん、自分が一番びっくりしました。日本語を学ぶことが楽しくて、翌年日本語能力試験1級に挑戦しましたが、結果は不合格でした。わたしは大変ショックを受け、落ち込みました。しかし、その後猛勉強していた姿を認められ、私は1級に向けた勉強を続けながら、通っていた日本語教室で見習い教師として働き始めました。日本語50音から日本語の先生になるまで、まさか2年で達成でいるとは自分でも夢のようでした。
そして、2年間の勉強を重ねた努力が実り、2008年日本語能力試験1級に合格しました。日本語のおかげで、私の人生は大きく変わりました。
2007年初めて日本に遊びに来ました。なんとこの時、東京で知り合った友人が今の旦那さんです。2008年クリスマスに『日本に来てほしい』、と告白され、結婚を考えました。私は台湾で日本語の先生として充実した日々を過ごしていたので、日本に行く事をとても悩みました。でも、これも私の運命だと思い、第二の人生を日本人の妻として生きていくことを決めました。
わたしは日本に来てから旦那さんの両親と一緒に暮らしています。台湾で料理が全然できなかった私は独学でたくさん練習しました。最初は失敗したり、美味しくなかったけれど、家族はなんでも食べてくれました。とても恥ずかしかったけれど、失敗を活かしながら、美味しい料理が作れるようになりました。
嬉しいことに『今では料理がとても上手になったね。』と、家族みんなに言われるようになりました。ただ、悲しかったことに、私を自分の娘として、優しくしてくれていたお父さんに去年の11月5日膵臓がんが見つかりました。
お父さんの病気を知って以来、お父さんの料理にはいろいろ気をつけないといけませんでした。癌のために、お父さんは食欲もだんだんなくなりました。病気で冷たいものが欲しかった時に、私は甘くないアイスを作りました。お父さんが食べたいと言ってくれたものは、何でも一生懸命作りました。
作りながら、1日でもいいですから、お父さんの命が延びればいいなぁ、と思いました。
残念なことに、今年(2011年)9月4日にわたしを愛していたお父さんは亡くなりました。63歳でした。愛情だけでは、お父さんを救うことができませんでした。
私が料理も試験も頑張った姿を見ていたお父さんは本当に私を支えてくれました。試験の前によくわたしに『瑠沙ちゃん、料理をしなくてもいいよ、早く勉強してね。』と言いました。お父さんが励ましてくれたおかげで、今年の6月に日本語漢字検定試験準1級に合格しました。資格が取れたのは、私を応援して、愛してくれる家族があったからです。
優しいお父さんを本当に失いたくなかったです。
日本にいる私はこれからもお父さんはもちろん、家族と自分のためにもっと頑張って、生きていきたいと思っています。日本に来てまだ1年半ですが、毎日練習して、いつか自分の日本語も日本人のように綺麗な発音で、日本語を話すことができるようになりたいです。
これで、わたしのスピーチを終わります。ご静聴ありがとうございました。
こんにちわ。私は汐月瑠沙と申します。
私は台湾の出身で、去年3月27日に、日本人と結婚して、今は群馬県高崎市に住んでいます。今日は、皆さまの前で日本語で発表することができてとてもうれしいです。では、私のスピーチを始めます。今日のテーマは『日本語が変えた私の人生』です。
私は台湾の高速道路の料金所で働いていました。日本語を習おうと思ったきっかけは、道で歩いていた女性が流暢に日本語を話しているのを聞いて、私も同じように日本語を話してみたいと思ったからです。
2006年4月から、台湾の日本語教室に通い、50音からスタートしました。勉強を始めて8カ月で日本語能力試験3級と2級に同時に合格しました。
このことは、日本語教室の主任をはじめ、みんなを驚かせました。もちろん、自分が一番びっくりしました。日本語を学ぶことが楽しくて、翌年日本語能力試験1級に挑戦しましたが、結果は不合格でした。わたしは大変ショックを受け、落ち込みました。しかし、その後猛勉強していた姿を認められ、私は1級に向けた勉強を続けながら、通っていた日本語教室で見習い教師として働き始めました。日本語50音から日本語の先生になるまで、まさか2年で達成でいるとは自分でも夢のようでした。
そして、2年間の勉強を重ねた努力が実り、2008年日本語能力試験1級に合格しました。日本語のおかげで、私の人生は大きく変わりました。
2007年初めて日本に遊びに来ました。なんとこの時、東京で知り合った友人が今の旦那さんです。2008年クリスマスに『日本に来てほしい』、と告白され、結婚を考えました。私は台湾で日本語の先生として充実した日々を過ごしていたので、日本に行く事をとても悩みました。でも、これも私の運命だと思い、第二の人生を日本人の妻として生きていくことを決めました。
わたしは日本に来てから旦那さんの両親と一緒に暮らしています。台湾で料理が全然できなかった私は独学でたくさん練習しました。最初は失敗したり、美味しくなかったけれど、家族はなんでも食べてくれました。とても恥ずかしかったけれど、失敗を活かしながら、美味しい料理が作れるようになりました。
嬉しいことに『今では料理がとても上手になったね。』と、家族みんなに言われるようになりました。ただ、悲しかったことに、私を自分の娘として、優しくしてくれていたお父さんに去年の11月5日膵臓がんが見つかりました。
お父さんの病気を知って以来、お父さんの料理にはいろいろ気をつけないといけませんでした。癌のために、お父さんは食欲もだんだんなくなりました。病気で冷たいものが欲しかった時に、私は甘くないアイスを作りました。お父さんが食べたいと言ってくれたものは、何でも一生懸命作りました。
作りながら、1日でもいいですから、お父さんの命が延びればいいなぁ、と思いました。
残念なことに、今年(2011年)9月4日にわたしを愛していたお父さんは亡くなりました。63歳でした。愛情だけでは、お父さんを救うことができませんでした。
私が料理も試験も頑張った姿を見ていたお父さんは本当に私を支えてくれました。試験の前によくわたしに『瑠沙ちゃん、料理をしなくてもいいよ、早く勉強してね。』と言いました。お父さんが励ましてくれたおかげで、今年の6月に日本語漢字検定試験準1級に合格しました。資格が取れたのは、私を応援して、愛してくれる家族があったからです。
優しいお父さんを本当に失いたくなかったです。
日本にいる私はこれからもお父さんはもちろん、家族と自分のためにもっと頑張って、生きていきたいと思っています。日本に来てまだ1年半ですが、毎日練習して、いつか自分の日本語も日本人のように綺麗な発音で、日本語を話すことができるようになりたいです。
これで、わたしのスピーチを終わります。ご静聴ありがとうございました。
- プロフィール
- はじめに 日本語とわたし
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プロフィール
- ハンドルネーム
- 汐月瑠沙(しおつきりゅうさ)
- 性別
- 女性
- 血液型
- O型
- 生年月日
- 4月15日(おひつじ座)
- 現住所
- 日本 群馬県高崎市
- 出身地
- 台湾 桃園県
- 職業
- 日本語/北京語/台湾語家庭教師/高崎市観光大使(2014.8~2015.3任期)
- 自己紹介
- 2010年3月国際結婚。群馬県高崎市在住。異国での生活に戸惑いながら、家族に支えられ主婦業に励む毎日。台湾で日本語教師をしていた経験を生かし、2011年8月より日本在住の中国人、台湾人妻を対象としたマンツーマンの日本語家庭教師をスタート。男の子のママ。取材依頼、執筆依頼などのご相談があれば気軽にお問い合わせください。
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