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飯道山の歴史

滋賀県甲賀市
渡来人の定住により開山されたと考えられる。
飯道山の北から東にかけての山麓には、渡来系の古墳が多数存在する。
甲賀の語源は鹿深臣であり、飛鳥寺(元興寺)縁起では甲賀臣として登場する。
帰化人であり、百済から仏像を持ち帰ったと伝わる。
甲賀市に隣接する蒲生地方は百済人が移住した地域です。
飯道山の第二峰には巨石が並び、その岩基には飯道権現が鎮座する磐座信仰である。
また、縁起には弁財天と宇賀神との合体が神の始まりとする。
農耕神と考えられ定住者が恵みの雨、穀物の恵みに対しての信仰が始まりである。
奈良時代には食封一戸を、平安時代には神階の授与(従五位上→従四位下)を受け、甲賀の神から国家鎮護の神へと年分度者(興福寺僧)が送られる。
これ以降、神宮寺の造営が始まり、中世には五十八坊(興福寺官務牒疎)あったと伝わる。
また、平安末期から修験が入る。
中世には当山派三十六寺院中、岩本院、梅本院が株を持ち、近世末まで正大先達として奥州から日向の国までの袈裟筋を大峯修行を執行、近世は十二寺院中、二寺院として執行していた。
飯道寺造営に関与したと考えられる僧は良弁、実忠、安願、安皎等
しかしながら、廃仏毀釈により千年余りの歴史に幕を閉じる。
飯道寺の什物は近接寺院などに多数存在し、現在も飯道寺の歴史を知ることが出来る。