播州の評論
ダウンタウン漫才論
歴代のMー1優勝者のすべてが、スピード感溢れるテンポのよい漫才であります。
いわゆる漫才ブームといわれた時期のツービート、B&B、紳助竜助、etcもテンポのよい漫才でありました。
古くは「しゃべくり漫才の祖」といわれるエンタツアチャコの十八番ネタ「早慶戦」を聴いても、やはりテンポのある掛け合いで笑いをとっております。
そして、名人といわれる「やすきよ」もまたしかりです。
さらに若くして名人と呼ばれ、老いてもなお、その情熱を失わず、死ぬまで漫才を披露したダイマルラケット、いとしこいしの晩年の漫才ですらやはり、ある程度のテンポを保っていました。
しかし、こうした漫才の歴史の中で、漫才の命ともいうべき、そのテンポを殺した漫才師が存在したのです。
それこそが「ダウンタウン」であります。
漫才でテンポを殺して笑いをとるなどという離れ業をやってのけたは漫才史上ダウンタウンだけであります。
それはフィギュアスケートでスピードをつけずに四回転ジャンプをするような、笑いの玄人からすれば不可能と思える神業なのであります。
今の若手漫才師のほぼ全てがテンポのよい漫才を選ぶのは当然です。なぜならそのほうが簡単であり、ごまかしが利くからであります。あまり角度の鋭くない鈍重なボケでも、早いテンポで速射されると客はついつい笑ってしまいます。逆に遅いテンポの漫才では、そういったごまかしは利かないので、常に重厚で典雅なボケが必要となるわけです。
しかし、天才でもあるまいし、そんな核爆弾のように威力のあるボケばかりを投下できる漫才師が今の若手にも過去の若手にもそうそう存在するはずはなく、それを可能にしたのは私がリアルタイムで接した漫才師の中では唯一、松本人志だけであった!といっても過言ではないでしょう。
普通の漫才では、フリ、ボケ、オチの順序で笑いをとるわけですが、ダウンタウンの場合は、フリ、フリ、ボケ、オチ、というようにツッコミの浜田雅功によってフリが二回も三回もなされたあと、やっとボケが発っせられるパターンが多いのです。
いわずもがな、これではボケのハードルがとてつもなく上がってしまい、並のボケでは尻尾を巻いて逃げ出す事でしょう。
つまり、松本人志は漫才において、いわゆる小ボケはほとんど(というか一切)使用せず、そればかりか、それまでの漫才を根底から根こそぎ、ひっくり返すようなボケを放ち、それによってダウンタウンの漫才は壮大なスケールとなり、もはや我々の意識などは宇宙空間に投げ出されたかのようにフワフワと漂うだけなのです。
これはもちろん松本人志のように、他を圧倒する発想をもちえた芸人でないと為し得ない、立川談志風にいうとイリュージョンなのでしょう。
ピストルや大砲やミサイル程度のボケでは、「撃つぞ、撃つぞ」と言ってる間に標的(客)は、やすやすと逃げてしまうものです。
もちろんその核爆弾を正確なタイミングで目的地に落とすことができる浜田雅功のテクニックも忘れてはいけません。
浜田雅功の演技力があってこそダウンタウン漫才が成立するのです。
さて、ダウンタウンが紳竜に憧れて漫才を始めたことは一般的にもよく知られておりますが、はたしてダウンタウンに影響を与えたのは本当に紳竜だけだったのでしょうか?
たしかに初期の頃のダウンタウンは紳竜を模倣していたかもしれませんが、それはほんの一時期であり、漫才の形式からいうと前にも述べた通り、そのテンポの違いも相まって、両者のスタイルは掛け離れているといえるでしょう。
しからば、ダウンタウンは一体どのようにして自らの漫才を完成させたのでしょうか?
その答えを導き出す鍵を握っているのは、ずばり「太平サブロー、シロー」だと私は考えます。
サブローシローといえばダウンタウンの直属の先輩漫才師であり、芸歴でいえば、紳竜とダウンタウンの中間に位置しておりました。
そしてなにより、サブローシローはダウンタウンを可愛がっていただろうし(浜田雅功談)、またダウンタウンもサブローシローの漫才に多く接していたと想像できます(あくまで想像です)。
しかも、サブローシローとダウンタウンの漫才のテンポは非常によく似ております。もちろんダウンタウンのほうが、より緻密で確信的なのは明白ですが、漫才の空気感、間のとり方などはサブローシローを参考にしたと考えるのが自然ではないでしょうか。
こういった点から、発想は紳竜から抽出し、スタイルはサブローシローから学んだと私は定義します。
つまりサブローシローに核弾頭を付けて、より不条理にしたのがダウンタウンなのであります。
今の若手漫才師で、プルトニウムを搭載しているのは「笑い飯」だけではないでしょうか。しかしダウンタウンと違って彼等は時に機関銃を使ったり、ちゃちなピストルであったり、もしくはただの輪ゴムを武器にすることだってあります。それが彼等の真骨頂なのでしょうが、大舞台で不発弾となったり、最悪の場合、原発事故になる恐れもあります。
おそらく彼等はダウンタウンほど確信的にネタを作っていないのではないでしょうか。
関東の漫才師で、ダウンタウンのテンポに近いコンビを一つあげろと言われれば、私は迷わず「おぎやはぎ」を思い浮かべます。
彼等はそのテンポもさることながら、みるからに脱力的で、覇気がなく、観ているものを煙にまくようなスタイルも、ダウンタウンとの共通点といえるでしょう(ただしプルトニウムは搭載しておりません)。
さて、ここまでダウンタウン漫才の孤高さについて、くどくどと述べてまいりましたが、もちろんダウンタウンは今現在も現役バリバリの芸人であります。したがって今後再び、漫才を我々の前で披露してくれると信じて疑わないのですが、はたして今のダウンタウンの新作漫才とは、どのような作品になるのでしょうか?
「ガキの使いやあらへんで」のトークコーナーでの二人の掛け合いと、漫才とは同じではないのか?
という松本人志の発言をどこかで聴きましたが、やはりその場で即興的に行われるトークと、緻密に創作、研磨された漫才とは別物であると私は考えます。
確かに「ガキ使」でのトークはダウンタウンにしかできない(他の芸人がやると空々しくなってしまう)発明であり、まさに松本人志の発想が剥き出しになる濃厚な芸ではありますが、さすがに何年も番組が続きますと、いつしか視聴者のほうも慣れてしまい、そのため最近はほとんどトークコーナーが放送されることはありません。
たしかにこれは懸命な選択といえるでしょう。
おそらくダウンタウンサイドから提案されたのでしょうが、だったらなおのこと新作漫才をやるべきではないでしょうか。
一年に一度でもいいので新作漫才を披露することはダウンタウンにとっても、お笑い界にとっても大変意味のあることだと思います。
私はいつかそんな日が来ることを頑なに信じているのですから。
終わり
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