地域密着型エリア広告配信リクルートの地域密着型広告ドコイク?アドネットワーク Ads by ドコイク?[無料でホームページを作成] [通報・削除依頼]
[無料でホームページを作成] [通報・削除依頼]

部長の部屋

2013年3月11日 14時27分06秒 (Mon)

浜野矩随について思ったこと

 お休みになりますと、真っ白な部屋の壁をみつめてブツブツ言っているうちに、いつのまにか一時間や悪いときには四五時間、とりとめのない妄想がひろがっていきますねえ。
最後まで読了せずにどんどん新しい本をちょっとずつ読んでみたり、同じ一節を繰り返し繰り返し反すうしてみたり、関連のあるテーマの本を並べてみたりと、出鱈目な読書をしてはそれがまた妄想の肥やしになり。
これが妄想の肥やしになっても生きる肥やしにはちっともならず、妄想は妄想でしばらく捏ね回しているとなんとなく自然消滅していき、要するに時間のムダ遣いも甚だしい。
ともかく、学校できちんきちんと勉強して、しっかりテストで点を稼いだほうがいいですね。あと、運動したり、友達と遊んだり。でも、こういう時にならんとブログを書く気もちにならないという。
芸術家気取りの自分語りかと思いきや、新しい記事を書かない言い訳をしているのです。ああ弱った弱った。

芸術家、というかアーティストって言うんでしょうか、最近は。なんでしょうねえこのアーティストっていう言葉は。テレビで何かを作ってる人はすぐに「アーティスト」として紹介されるけれども、僕はこういうのを聞くとなんかこうイラッときます。英語の「artist」に怒っているのではなく、日本語に「アーティスト」という語彙が追加され、拡散し、確実に市民権を獲得していく様子が気持ち悪いのであります。
そもそもこれはどういう意図で使われるのでしょうか。「芸術家」が横文字になったんだよって言うかもしれませんが、絶対にこれは明治に入ってできたartistの訳語なので始めにartistありきと言う事を考えれば「芸術家」の横文字版という解答は本質に迫ったものではありませんし、この謎の「アーティスト」という言葉の意味合いを捉えたものになっていません。
なにかを表現する人ということでしょうか。
自分を表現する手段として何かを創作するのなら、程度の差や出来映えの差はあれ、みんなやっていると思われます。例えば日常会話にしても喋るという行為を「音声をつかって文を創作し、相手に自分の意図を主張する」という事と見なせば、それはもう「創作活動」なのではないでしょうか。
なかでもそれを仕事にして売れていたり、注目されていたりする人だけを「アーティスト」というのは妙な気がします。
これをどんどん拡張してみると行き着く先は「一億総アーティスト現象」ではないのか?いや、実際そうなのではないか?
チラシの裏に書いてりゃあいい文章を誰に頼まれる訳でもなくブログにアップしている僕だってもうアーティスト気取りもいいところです、自分で書いていて反吐が出そうになる。こんなもん書いてどうなるんだよ、と自分にツッコミをいれつつも書くわけです。
「アーティスト」を気軽に使えるようになって、何かを作ってみたり、何かを書いてみたりする事に対する抵抗感を薄めてしまったのではないでしょうか。それはこの事態に違和感を感じている僕の中でもおこっている現象です。
元々の日本語の世界には「表現」や「創作」なんていう言葉はあったのだろうか。その辺は国文科の先生に聞いてみるとしても、ものを作ることはその作り手による何かしらの意図を表現する行為だという認識は「江戸の風」はあんまり吹いていない気がしてきました。
さて、ここまで来ると日本に英語の外来種がやってきて、ブラックバスのごとくもともとあった生態系を作り替えてしまって、その跡地こそが「一億総アーティスト現象」とでもいう事態を引き起こしているのじゃないかという空想が僕のなかで生まれてくるのです。
artの対義語はnatureですけど、要するにこれは人工と天然といったところでしょうか。人間は理性を持った生き物で、それが自然にある素材からなにかを作ってやることがartにまつわる諸々の行為に流れる思想でしょう。
そこから「私」という主体に対するいろいろな客体に主体から働きかけ、なにかをしてやることができるのだ、という人間の自惚れのような感情も芽生えるのだと思います。それがカタカナの「アーティスト」となり、平成の世を跋扈しているのであります。なにをしようがもう「表現」だ「創作」だと言われて権威を与えられる世界があるのです。
しかし、維新も間もないころの明治人が作ったであろう「芸術家」というのは「芸」や「術」を持った人のことを指すのでして、そんな意図があまり感じられませんね。アメリカ人がジャパニーズの素晴らしい作品だというボストン美術館にある日本画の作者は「絵師」ですが自分を「アーティスト」だと思っていたのでしょうか。彼らの認識の中での彼らの属性とは、手に職を身につけた一介の職人に過ぎないのです。過ぎない、というか「art」の概念が理解や常識の外にあったのではないでしょうか。
もともと日本人はそんなに作ったもののかたちを固定することに拘らない文化です。自分の作ったものは確かに誇らしいけれど、所行無常、いつかは消えてしまうさ、という考えがあったような気がします。作り手の技は技ですし、その人に成り代わるものは無いのだ、という考えが薄いのです。作った人がえらいんじゃなくて、作った人の身につけた技がすごいんだ、と考えたりするのですね。
たとえば伊勢神宮。あれは定期的に立て直しを繰り返す存在ですけれども、建て直しの際の大工の棟梁が取りたてて褒められる訳じゃない。なぜならあれは毎回毎回同じ山の木材で同じ工法で同じ設計図をつかって立て直すからです。その技術を身につけた宮大工は偉いけれど、もっとすごいのはその技術そのものなのです。
それと第二次世界大戦中の話も挙げましょう。フランスはドイツの猛攻に対してパリで決戦をしようという話が持ち上がったとき、何百年もかけて作られた歴史的な都市を破壊するのは未来のフランス人の損失である、としてあっさり無血開城をしてしまいます。一方日本ですが、アメリカ軍が上陸してきたときどうしようか、となると東京なんぞとっとと捨てて昭和天皇は長野に籠もり、ゲリラ戦を展開してやろう、という作戦がもちあがってしまうのです。もっとも僕は昭和天皇の御聖断により降伏した結果を否定していませんし、民草が死ぬことを厭わぬ国がその国のアイデンティティを維持できるわけがないのですから、こちらの方がよほど正しいと思っています。フランスの場合はまだ戦える状態であったのに対し、日本の場合は戦えるだけの力はなかったのですし、そこは比較するときに注意が必要だと思います。
話が脱線気味ですね。

さて、ここまでは前置きです。そろそろ落語の話をしましょう(そうですこれは落語のコラムなんですよ!)。
正月に僕は「立川志の輔inパルコ」に出かけて、楽しい思いをさせていただきました。新作から古典までみっちり志の輔尽くし。これが今最も手に入りづらいチケットの落語会か、と感心。演劇に適した劇場を最大限に利用し、スポットライトやスライド、現代風の音楽などの効果を取り入れており渋谷のパルコ劇場に相応しい会だと思いました。
「伝統を現代に」の立川流四天王の筆頭である志の輔はやっぱりすごい人だなあと思います。落語のかたちをいろいろに変えて客の興味の惹く、魅力的なショウビジネス(サラリーマン経験もある彼には良くあう言葉だと思います)を成立させているのですから。この人が売れる理由がはっきりとわかる会でした。
狂信的なファンと一種の教祖のように鎮座まします家元の噺を聴く会というような構図の談志ファンの集まり方と違い、志の輔は客に寄り添って解りやすい言葉で語り、もっと純粋に楽しみたいお客を正攻法で拡大させていくような印象をうけました。
会で人情噺「百年目」を聴いた時の感想も書きたいのですが、それは本稿の主題から大きく逸脱するのでまた次の機会。
さて、この会にすっかり感動した僕は帰りがけに映画化された「歓喜の歌」も収録されている2004年志の輔inパルコのDVDを購入しました。
そのなかで我が古典芸能部の部誌の名前の由来にもなっている「浜野矩随」がありました。
腰元彫りの名人の父を持つ主人公浜野矩随、有能な父とは違い彫れども彫れどもまったく成果無し。本人は一生懸命やっているのに回りからは「親父はよかったが息子はだめだ」と言われる。そんな中で唯一相手をしてくれるのは情に厚い若狭屋という商人です。しかしこの若狭屋もある日とうとうしびれを切らして「お前みたいな使えない奴は死ね」と言い放ってしまう。矩随も自殺を考えますが察しの良い母親に引き止められ「別に死んでもいいが、最後に私に形見をくれ」を言われ死ぬ気になって彫り始めます。一方母親は一晩中「南無観世音菩薩南無観世音菩薩」と必死になって神頼み。翌朝になると母親はその完成したものをみて若狭屋に売ってこいと言う。仕方なく売りにいくと若狭屋は見事な出来栄えに感激し「おっかさんの思いが天に通じた」と言う。しかし「出てくる前に水杯をかわした」と解ると大慌て。家に帰ってみると母親は自殺してこと切れており、その日を境に矩随は名人となったのである。
と、細かい部分をだいぶバッサリおとすとこんな具合になります。
ええと、こんなへたくそな要約をするといったいこれが人情噺なのか、そうでないのか、解らないですね。それに、いくらか気になるところが出てきます。
なんで母親は死ななきゃならないのでしょうか。矩随に決死の覚悟で仕事をさせたのはいいとしても、別に死ななくてもいいじゃないか、と。おそらくこの母親は自分の命を天に捧げる代わりに我が子には名人の技が降りてくるような、祈りを捧げた、のでしょう。
これは矩随の努力ではなく、観音様の力によって手に入ったということになってしまいますね。古今亭志ん朝の録音を聴くと「母親は矩随の代わりに」という台詞が入っています。江戸時代の人はこれで納得していたのでしょうな。志ん朝の時代までならそんな具合でもみんな納得していたのでしょう。
でも、もう上手くいきません、みんな納得しませんね。
それは先ほどの「アーティスト」が日本語のなかに浸透したからです。
腰元を彫りの親父が偉大なのは親父が頑張ったからなのです。そして矩随も矩随の努力によって才能を手に入れたのです。技そのものではなく、何かを作る個人を評価しなくてはいけない世の中です。
おっかさんの行動というのは我々の感覚からすればもう奇妙なものに映ってしまいます。
こればかりはもう二度と吹く事のない「江戸の風」かもしれません。
その違和感を志の輔は噺の解釈の変更によって、克服したのです。
なんとおっかさんは志の輔の噺の中では一命をとりとめて死なないのです。それから矩随に「本当は売れないと思って、先に逝こうとしていたんですね」と言わせることによって、息子が自分より先に死ぬのは耐え難いから自殺未遂をしたのだという事にしてしまい、つじつまを上手くあわせています。
これで浜野矩随本人の決死の覚悟が彼自身を変えたというストーリーになります。神頼みをする母親の子を思う気持ち、という要素がすこし薄まり、矩随自信の成長譚として現代の人情話になったのが志の輔による「浜野矩随」なのです。
僕はこの新しい解釈に賛成しますし、これも志の輔のなせる「技」だなと思います。いや、これは志の輔が優れた「アーティスト」だからできたことでしょうか。
と、そんな思いを巡らせていると立川談笑師匠はもっとあたらしいものを考えていたようで。
もうこれは原型をとどめてないような気もいたしますが...。

とまれ、今日はそんなことを壁を眺めて考えておりました。

部長

この記事にコメントを書く










表示されている文字を入力してください
認証コード

アクセス数
ページビュー数