地域密着型エリア広告配信リクルートの地域密着型広告ドコイク?アドネットワーク Ads by ドコイク?[無料でホームページを作成] [通報・削除依頼]
[無料でホームページを作成] [通報・削除依頼]

部長の部屋

2012年4月28日 19時53分13秒 (Sat)

春ですね(続き)

さて、立川談笑師匠です(以下、敬称略)。
談笑の「花見の仇討ち・改」というのが、なかなか良い風に仕上がっており、これは「花見の仇討ち」についていろいろと考えたのだな、と解る噺となっています。
前回は確か@「違う価値観のものを演じるとちぐはぐで滑稽だ」というのとA「ご都合主義なエンディングはそんなには訪れないが、そっちのほうが面白い、いや、人生そんなもんだ」というのを面白いポイントとして挙げました(なんとなく、同じものを別の言い方をしている気もしますが、そこは気にしないように頼みます)。
談笑はこの面白い部分をより効果的に演出するために、大幅な改変をします。

花見の余興として芝居をするということになると「芝居がかった台詞はよそう」と「やあやあ汝は何の某よな、何年以前に我が父を討って立ち退きし大悪人、ここで逢ったが優曇華の花咲き待ちたる今日ただ今、いざ尋常に勝負!」という台詞を全部無くします(以前僕もこの噺をやったことがあるのですが、演じている途中で抜けました、アドリブで誤摩化したけど、みんな気づいて…)。確かに、リアリティを求めるなら、この考えは至極合理的であります。これは、上に挙げた@を強調する為のもの捉えられます。というのも、みんなを驚かせようとしているのに、わざわざ芝居みたいな台詞を言うなんて不自然ですから。この改善によって若い衆が寸劇に対し、シリアスで質の高いものを求めていることが解るのです。よって、この真面目なところの後に訪れるドタバタでの落差がより強調されて、@の部分がもっと面白くなるようになります。
次に、巡礼兄弟役二人のうちの片方が「俺、謎の中国人がやりたい」と、リーダーの言う事を聞かず、当日は弁髪のチャイナ服という出で立ちで登場します。もう、ここだけでみんな爆笑するのですが、この笑い所というのは底の浅いクスグリにはとどまりません。この中国人、なんか強い。仇討ちの中に謎の中国人が参戦し、秘伝のカンフーで牢人と巡礼にパンチを繰り出します。助太刀で侍が乱入するより、謎の中国人が入って来るほうがもっと意味不明でドタバタしていますね。これは良い。ツボでした。突然に意味不明な展開になると、なんか楽しいという点ではAに入ると言えます。また、この中国人役の男が一番様になっていて、むしろ巡礼や侍の方が逆にボロが出ちゃってるというところ。なんかこう、ふざけてるとしか思えないやつが一番上手いんですね。そうなると真面目に劇をやろうとしている奴らの方がちぐはぐに見えてきて、@の面白さにつながってきます。中国人を異質なものと見ればA、中国人を中心に見れば@になるという。談笑のお得意の悪ノリかと思いきや、なんと深い演出でしょう。
余談ですが、談笑は外国人、特にベトナム人の真似が好きです(彼の創作落語『イラサリマケー』とか『叙々苑』とか)。もう下ネタ中の下ネタかつ、右翼と左翼が束になって襲いかかってくるようなキワドいお話のオンパレード…。「なんでこの人が「お切徳三郎」なんてやるんだ?意味わかんねえ」という感じのものなのですが、興味があったらCDの購入をお勧めします。
閑話休題。
最後にもう一つ大きな改善があります。それが「助太刀に入った侍が本気で怒る」というところ。確かに「肝心の六部が来ません」なんて言って逃げたやつを放置する訳がありません。噺家によってはこの侍は酔っぱらっていることもある。勢いでこのふざけた町人どもを切り捨てにするかもしれない。もしかしたら「面白い奴じゃ、だが、はやく言えい」などと許してくれるかもしれないが、侍の美学を弄んでしまったから許さないかもしれない。
「花見の仇討ち・改」では、ばたばたしているうちに侍が乱入してしまい「かくかくしかじかの理由で」と説明すると「武士の仇討ちをなんと心得るか!切り捨てにする!」とさっきまで中国人ネタでゲラゲラと笑っている聴衆が静まり返ります。必死の命乞いも叶わず、いよいよ最期と思った時、この噺は大団円を迎えるのです。なんと、この侍は本所のオジさんだったのだ。六部の役の奴を捕まえたあと、余興が面白そうだったので飛び入り参加しちゃった。ここでサゲ。
これも@でありAでもありますね。
侍が怒って「死」という重々しいものを突きつける。これで「軽いおふざけで死ぬなんて、ああ侍の真似なんかしなきゃよかったのに」と聴き手に思わせます。侍を笑いにしようとした事に対する重い罰がのしかかり、この噺の明るい雰囲気が一気に消えていくという展開。前回で言うところの「長屋の花見の連中」の超厳しいバージョンとでも申しましょうか。噺の面白みの本質は@とAを総合した「花見を楽しむウソ」でしたが、この侍はこの「ウソ」を断じて許さないという立場をとるのです。噺の立場(談志は「了見」というのでしょうか)と正反対のものを登場させて、サゲとの落差を大きく広げるという工夫がなされています。そして最後のサゲ。一度は揺らぎかけ窮地にたった「花見を楽しむウソ」でしたが、ここでまた立場を取り戻せました。この改善によって談笑は「花見の仇討ち」という噺の面白さをより強調したものへと仕上げたのでした。

もっとも、本人に聞いた訳ではないから、本当の所はどんなつもりで改変したのかは、解らないのですが、まま、僕はこんな感じで解釈しました。
では、今日はこれで失礼。

この記事にコメントを書く










表示されている文字を入力してください
認証コード

アクセス数
ページビュー数