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部長の部屋

2013年11月3日 10時45分10秒 (Sun)

黄金餅

九月までに書くと言いながら、もう十月の半ばになってしまい、編集委員の徳さんには申し訳ない気持ちでいっぱいである。イヤネ、あたしもいろいろと忙しいのよ。加えて部誌用の文章の更新が失速気味なのは、言葉を発するのに年々慎重になり、もったいぶってきているからなのだが。
自意識過剰というものから逃れるのはなかなか難しい。要するに、なにか言うならいつも上手いことしか言いたくないのだ。気分をのせるのもむつかしい。

さて、一月も前の文化祭のころの話を振り返って、私がここの部長として文化祭をやる最後の年の感想というか、そんなもんを書きたいと思う。
私はもう部長職の辞表を出したつもりだけれども、そこんとこ、どうなんでしょうな。まだもうちょっとだけやるのかしら。

今年の文化祭で意識したのは、やはり後輩への引き継ぎだ。
私たちの学年が引退するとけっこう部活も活動の形態が変わってこようし、大所帯で成り立っていたところは変更せざるを得ないだろう。来年度の後輩がそのあたりで困らないように、去年から講堂での特撰会のようなことも始めた。少人数になったとしても、海城祭で生き残れる(?)ような工夫である。文実は前年度の活動を基準にしているから先例を造っておいたのだ。やたら抜け目のないあの組織に何とか存在意義を認めさせることが必要であった。
落語は寄席形式と独演会形式という二つの形式があるから、両方いける方がよろしいとも判断された。後輩諸君には寄席では軽めの噺をこなし、講堂でじっくりお気に入りの大作をやってもらいたい。逆はいけない。どちらかに偏るのもまずいんじゃないかな(なにを偉そうに言ってるんだか)。

私の個人的な集大成ということも意識した。
今の高二の今の私の落語に対するイメージというか「こういう世界が面白いのだ」という主張を、人に伝わるかどうかは別として、表現してみようと思ったのである。
典型的な落語かぶれの学生として、立川流にすっかり毒された私は「人情噺は特別に偉くないし、そういうものを表現する手段としてなら別に落語にこだわる必要はない」と思っている。落語がもっとも効果的に表現できるのは人の心のいい加減さとか不条理さに違いないと、私は強く信じている。故談志の意見の丸写しのようになっているが「業の肯定」「イリュージョン」というあの世界が私の好きな落語なのである。だから今までの文化祭の発表を振りかえってみると「らくだ(中二)」「三方一両損(中三)」「へっつい幽霊(高一)」「蒟蒻問答(高一)」など、私のやりたがる噺というのもそっちの系統に傾く。熊谷先輩の送別会のために「淀五郎」モドキをやったことがあるけれども、話しているうちになんか下腹のあたりがむずがゆい気持ちがした。これは素人の自分がやったらひどいことになるぞ、と思った。こんな人情臭い噺を大真面目に語っているが、自分は人生の厚みも人格の高潔さも持ち合わせていないじゃないか、ああ苦しいな。という具合である。
素人でもなんとかなるのは噺それ自体が非常識な時だ。その時は私が芸をやっていても落語の神様に見過ごしてもらえているような気がするのだ。噺が面白いのだから私が面白くなくてもうやむやにできる。よかったね、と。
プロが非常識な噺をやるのを聴くときはうっとりしてしまう。ライブで見たことなんて一度もないけど、八代目可楽の「らくだ」は今も私の一番である。志ん生の「黄金餅」もいい。柳好の「野ざらし」もいい。あれまあ、死体がでてくる噺ばっかりだ。父に私の趣味を話したら「おまえはネクロフィリアか」というご指摘を頂いた。いや、それはないよ。
ちなみに早すぎた埋葬、というのとかも好きです。落語じゃないけど。
人が死んだらどうなるのかというのはみんな考える。プラトンは「哲学は死の練習」と言ったそうな。ショーペンハウアーは「人間は一刻一刻意識しながら死に近づいていく」と言ったらしい。考えてもわからないからみんな何とか解釈をしようと頑張っている。宗教に行き、ニヒリズムを弄び、唯物論を唱えたり、千差万別であろう。どれくらいの種類があるのかは知らないけれど。
唐突に社会に放り出されて唐突に消されてしまう、そんな不思議でどうしようもない現象が人生じゃないのかしらん。私は若造だから、そういうもんだと納得していることが、いちいち大発見のように感じられる。

それにしても死は不思議なものだ。確かに科学が肉体を物質として解明しつつあるから、その説明体系からはみ出ないかぎりは、不思議でもなんでもない。人間という細胞のあつまりが劣化したり破損したりして活動をやめることだ。しかしこれは唯物論だ。おもしろくもなんともない。それに、ある公理体系をつくってもその内では真偽が判定できない命題がある、という考えもあるじゃないか。人が死んだらどうなるか、という問いに自然科学は答えることはできるか?私は文系に進学するつもりだから、理系の人々にはこうやって立ち向かってやろう。しかし武器が言語だけとは、貧弱なこと。
ちょっと待て、文系って屁理屈こねるだけで生産性ないぞ、というのは置いておこう。私は数学的な推論も好きだから問題ない。
とにもかくにも、死んだらどうなる、という問いは不気味で、理屈ではどうにかなる話ではないと私は思う。理屈でどうにかならない話は落語でやるに限るのだ。そういう落語が面白い。
しかし死がテーマだからといって圓生の「真景累ヶ淵」は違うのだ。因果とかそういう仏教の考えにのっとっている話なので。私が好きなのはもっと体系づけた説明が困難な死そのものについての落語だ。


立派なはずの大家さんが立派じゃなかったり、馬鹿の与太郎が真理をつくことを言っていたり、落語というのは本当はそういうことを言うためにあるのではないか。みんなが了解する常識に挑戦してみるのだ。
社会が円滑に進むために理解不能なことやどうしようもない衝動を常識でみな封印しているが、ほんとうはそんなものはあっさり突き崩されてしまう。なぜかというと本質的に人の認識というものは曖昧で不合理な面ばかりだからだ。ぼんやりもやがかかったモノに合理的な解釈をつくることは、全てその場しのぎにしかならない。さっきの「死」にしたって、みんなが持っている『遺骸は丁寧に扱おう』とか『死んだらみんな仏』とかいう了解をひっくり返すことは可能なのだ。不気味なものを納得する為の常識を、落語が崩すのである。
人はセコいし意味不明で、社会は不合理でぼんやりしているが、なぜか今は生きてるね、みたいなことを思うと私は面白い気がする。いや、面白くないときもあるだろう。でも私は両親のおかげで家の暮らしや気持ちに余裕があるから、面白いと感じられる。不条理に追い詰められたらそうはいかないかもしれない。
とまれ、落語はそういうおはなし向きなのだ。江戸の貧乏長屋でおこる人間模様は社会の常識がときおり現れる非常識に翻弄される様子を描いている気がする。
とりわけ貧乏長屋の葬式となると、なにが起こるか解らない。昨日までは人格をもった人間が今日からは処理されるべき物になって好き勝手に社会から排泄されるという奇妙奇天烈なことが、常識と非常識の狭間でゆらゆらしている人間たちの間で行われるのだから、いくらでもいろんなことを考えるきっかけが有りそうな気がしてくる。だから私は素人芸なのは十分承知しながら「黄金餅」をやりたくなってしまったのである。
この噺の登場人物はどれもみんな面白い人たちばかりだ。金に執着して死んでいった西念と、もともとは平凡な長屋の住人だったが徐々に常識から逸脱していく金兵衛、有り難さなんてちっともない貧乏寺の和尚等々、どれもスピンオフ作品が作れそうな面々だ。
西念が貧乏長屋の坊主として長屋のいいかげんな弔いを次々にさばいていく噺とか、つくってみたら作れるのではないだろうか。あと、らくだと取り違えられて死んだのは、実は寺にすら住めなくなった木蓮寺の和尚で、それを焼いたのは黄金餅にでてきた隠坊だったとかなんとか。ちょっと無理があるか。こうやって落語のパロディをやるの元祖も談志だったか。どこまで立川流にのぼせてしまったのやら。
私が参考にしてみたのは志ん生と、談志と、志らくで、結局志らく風のアレンジをいっぱい取り込んだイリュージョン落語のまねごとをしてみよう、ということになった。

私が志らくの黄金餅がいいな、と思った理由を書くとまたとりとめのない話になってしまうが書いていく。
黄金餅の見せ場の一つに、餅をむさぼり食っている西念と、それを壁の穴からのぞく金兵衛を演じるところがある。あれは気をつけないと冗長になってしまう所である。これはどうにもリアルにやるのが難しい。その場面を見てきた噺家が軽くモノマネをして「そのとき西念は◯◯しました」的な三人称語り風に西念の様子を話すような感触になると、臨場感が薄れてしまうのだ。あるいは金兵衛がひとりごとなのにやたら観客を意識した説明口調でぼやいているのも興ざめである。
金兵衛の目線でとらえた西念なのか、神の視点でみた西念なのかでも、印象がかわってくる。志ん生や若い談志はどちらかというと神の視点であって、西念の異常性をもっと大袈裟に表現できたものをやや控えめにしてしまっている。文字におこしても伝わるような落語はいけないのだ。落語は文字しかない文学より表現できる幅が広いのだから、用いる形式は小説ではなく映画であるべきだ。
志らくは映画通を名乗るだけあって落語的なカメラワークが上手く、西念の動きと金兵衛の独り言の間が絶妙である。観客はまるで金兵衛の視点でいるかのように錯覚できる臨場感ある場面となっている。金に執着して死にきれない西念を見て金兵衛が「うわー、地獄絵だね」とこぼすところが映画のような流れになっているのがとても良い。しかも、餅を飲む西念をやる時は本当に汗をかいて青筋をたてていたから彼の技能には脱帽ものである。
ときどき体を大きく動かしたり、顔の高さを変えてみたり、高座をドンと叩くことで急な場面展開を行ったり。落語的なカメラワークを意識してみると、志らくの巧さというのは半端ではないということが良くわかってくる。

また志らくオリジナルの展開で、西念が生きているのにだれも気づかずに葬式をだしてしまう、という内容に変わっているところがある。桶の中の西念がなぜか香典を握りしめて離さない(生きている)のに、長屋の連中は死んだと思い込んでいるから「気持ち悪いなあ」と思うだけで西念を葬ってしまうのである。長屋の暖かい人情、みたいなモノが昨今もてはやされ気味で、地域社会の相互扶助という暖かみのある価値観を日本人は失ったのだ、というような意見が正しいかのようであるが、本当にそうなのか、という思いが残る。結局みんなが西念の葬式を出してやっているのは始末しないと死体が腐ってしまうから、とかケガレたものを近くにおきたくない、とか利己的な理由によるもので「ホトケさまを大事に」というような意味合いではなかったのか、と思えるのだ。西念は本当は死んでいないけれども、みんなが死んだと思って焼いてしまったから本当に死んでしまった、というブラックな笑い話である。長屋の連中は常識に従って行動しているようで、生者を死者にしてしまうという非常識を引き起こす。この二つは境界が曖昧なのである。それにしても凄まじい噺だ。

また、談志から受け継いだ「イリュージョン落語」の部分も面白い。落語のなかに突然ぶち込まれるギャグのセンスの良さは一級品だ。
ここで、黄金餅の系譜として「志ん生→談志→志らく」を考えてみると、このイリュージョン的な要素の原点は志ん生にあったのではないかと思う。
有名なフレーズだが、志ん生は「寝床」の中で「ドイツに行っちゃった」と言った(談志は師匠の三五楼が使い始めたクスグリだと言っている)。なんで「ドイツ」なんだと思いながらこの圧倒的な面白さには適わない。談志は「カムチャッカでサケとってる」と言ったそうだが、この流れをちゃんと受け継いでいると言える。そして談志からこれを受け継いだの体育会系っぽい落語の談春ではなく、志らくだろう。
無意味な言葉の羅列の中に、どうしようもないおかしみがあったりする。これを下等なギャグといい、落語は様式美だと言って志ん生を評価せず、文楽や三木助ばかり褒める昭和の文士たちはよくなかった(コレは談志がいろいろなところで言っているのダガネ)。今でも私は可楽の「らくだ」が傑作だと思っているが、同じ世代で彼と共に貧乏暮らしをした志ん生の世界も好きだ(二人は落語の捉え方にどこか似たものがあったと思う)。落語に親しむにつれて、昔は意味不明だった志ん生の「ヘビから血が出てヘービーチーデー」という台詞が今では堪らない。金を餅にくるんで必死で体に詰め込んでいるグロテスク極まりないシーンにぼそっと「私は金持ちとでもいいたいのかね」とこぼす了見がいいのだ。最高だ。
談志はその堪らない瞬間を「イリュージョン」と表現したのだ、と思われるがどうだろう。私は「現代落語論」と「新釈落語噺」しか読んでいないのだから、あまり偉そうな事は言えない。
余談だが、可楽の「うどん屋」で「仕立て屋の太平知ってるか?」「さあ、畳屋の喜兵衛さんなら知ってますが」と返すところがあった。これは駄洒落の域を出ていないかもしれないけれど、イリュージョンの一歩手前なのではないか。会話の脈絡が壊れかかっている。畳屋の喜兵衛はどこから出てきた。柳家小さんは「存じませんな」と返してしまうだけだったが。
では志らくが「黄金餅」にぶちこんだオリジナルの部分とは具体的にどういうものかというと、例えば寺まで死体を担ぐことになって「桶は誰が担ぐの?今月と来月の月番か。今月は?猫の蚤取り。来月は?猫の皮むきか。猫ばっかりだね」「ええ、猫でこの長屋食ってますから」というシーンはどうだろうか。
雑誌ガロの残党みたいな美術部の先輩(つげ義春信者)から、水木しげるの貸本漫画で「怪奇猫娘」というのがあった、という話をきいたことがある。猫で生計を立てていた親の子供が猫の呪いを受けて猫娘として産まれてしまうのだが、生まれつきの不気味さから不当に差別を受けて社会からはじき出されてしまうというお話だそうだ(後にこの女の子が鬼太郎の仲間の猫娘になる)。
これを聞いてから、私は貧乏長屋と猫の相性というのは結構いいと思うし、猫で生計を立てている長屋である、ということが一層貧乏を強調している感じがでて巧いフレーズだな、と思った。志らくは水木しげるを読んでいたんじゃなかろうか。無理がある?立川流は手塚治虫系なのか。あの人は顧問だったし。でも落語に合うのは水木しげる系だと思われる。
さて、このあと木蓮寺につくと門前のやりとりで酔っぱらった和尚が遠吠えの様な奇声をだすと、それに対して長屋のやつらが「ミャアアアア」と猫の鳴き声で返事をする。これを「ニャーンていってらぁ、しょうがねえな」と流して終わり。客は笑うところなのかどうか、解らない。というか、あまりに唐突な間なので誰も反応していない。いったいどうして猫の鳴き声なんか出すか。私はこれを「気違い」の異名を持つ志らくの意味不明な気まぐれではなく、貧乏長屋の住人らしい受け答えなのかもしれないと思えてくる。猫とはイイね。犬とか象とかじゃ駄目なのだ。猫に限るのよ(ちなみに猫の皮むきも蚤取りも江戸時代には商売として実在する)。
談志も「寄席って何するところですか」「お金払って笑いに行くの」「なあんだ、じゃあ家で女房にくすぐってもらう」という噺に「友達にくすぐってもらう」と言った若手をみて「冗談じゃねえ」と憤慨したとか、しないとか。
「女房」が「友達」に変わった瞬間にもう、ケチな了見から起こる笑いが死んでしまうのかもしれないのである。所帯染みた雰囲気のなんともいえない部分が消えたらもうおしまい。所帯もったことねえけどさ、想像力を働かせて解ったふりはしていたい。
江戸の世界をぶち壊すグロテスクなフレーズと、さらに江戸らしさをデフォルメできるとびきり冴えたフレーズというのがあって、たぶん客のわからないところで落語家は後者を考えだそうと苦心しているのだろう。
談志が定義したイリュージョンとは本気の無秩序な狂気なんかではないのだろう。仮に本物の原始人を見られたとしても、現代人が原始人のふりを精一杯している方が面白いと、太田光とだったかの対談で言っている通りだ。つまり、言葉ではなかなか表現しきれない人間のドロドロした部分をうまく突くフレーズは本当に「適当に」決めてはいけないということだ。偶発性になにもかも委ねて芸術であると称するのはちゃんちゃらおかしい。そういう紛い物の素人芸に高値をつけるのは馬鹿である。裸の王様である。
狂気に見えるのは外面だけで、客と落語家の感性の線が交叉するような点をみつけるには大変に理性的な考察を要するのではないだろうか。

落語「黄金餅」は志ん生の十八番が談志の十八番になり、志らくの十八番となっていくのだろう。現在生きている落語家で「黄金餅」が一番うまいのは志らくであろう。これからもっと面白くなっていくに違いない。
落語って何がすごいのか。それは「黄金餅」なんていう話で客が笑ってしまえることなのだ。

2013年4月18日 19時55分30秒 (Thu)

仲蔵と淀五郎と。

熊谷先輩が卒業された。二学年下の我々にも謙虚で遠慮深い先輩であった。
私にとっては創部者の平山先輩や三木先輩に感じる印象とはまた違った感触の存在である。大人な態度できちんとした噺をきちんと稽古するということにおいて、先輩よりも秀でた部員はなかなか出てくるまい。
高校からの入部でも、いきなり志ん生風の火焔太鼓や二十四孝を披露しようという人がいるだろうか。
熊谷先輩が入部されたころ、創部メンバーが高校二年になり、本格的とは言えないまでも徐々に受験モード。三学年も飛んで部長業やらなにやらを引き渡され、正直なところ私には手にあまることが多すぎた時期だった。サークル管理部の高校生は容赦なく私の提出した予算を削っていき、中学二年だから馬鹿にしやがってという思いをいだいたこともある。思い出すとかなりめちゃくちゃな予算案だったけれど。
その頃の私は落語を楽しむという活動よりも、事務的なことや部長としての振る舞いをどうしようかと考える事に時間をかけて、なんだか部活も楽しくはなくなっていた。加えて悪い事に「いま楽しくないのは人に指図する側の孤独なのだ」と思い込み、級友に対しても他人行儀な態度をとってカッコつけていたのである。
要するに、純粋に部活に通って楽しむことを見失いかけていたのだ。中二ぐらいの私は。
でも、その間に熊谷先輩は本格的な古典落語を演じてみせ、部員たちの間での評価はうなぎ上り。本格保守本流、古典芸能と呼ぶに相応しい立派な先輩として記憶されていったのであった。
私はあせって文化祭であの大作「らくだ」をやってみたが、どうみても雑な稽古の上の準備不足。小三治調と談志調と可楽調のハイブリッドで、それぞれがそれぞれの長所を潰し合ってしまった。そもそも再現すらできていないという問題があるのだが。クラスの催し物のリーダーも無理をして並行した結果、思うようなことができなかったのだと思う。キャパシティを超えたことに挑戦して、駄目だった。
文化祭での先輩のネタはあの「火焔太鼓」。夏期合宿の間もコツコツ稽古に励み、見事な芸に仕上がっていた。
なんだか、もう私はそれに圧倒されしまった。
そして圧倒されたまま次の年になると、先輩は五代目三遊亭円楽調の「中村仲蔵」をやることになったという。私は八代目三笑亭可楽風な「三方一両損」を用意した。
覚えるには覚えたが、私は可楽のコピーに向いていなかったらしい。舌たらずで独特の『チェッ』という音が混じる可楽の芸は、後天的なものではなく、先天的にそなわった魅力なわけで、そういうことができないなら、あんな早口で省略された「三方一両損」は合わない。そういうことを気にしないで、自分のお気に入りだから上手くいくだろうという了見でやってみた。
まあ、プロじゃないんだから、噺を覚えてやれればいいじゃんと、そう言うかもしれないが、やはり上手くやりたかった。
先輩は声に独特のはりがあり、歌舞伎役者の演技のような少々クサいものも吸収してしまっていた。この年も素晴らしかった。

古典落語にはやはり噺の格はある。中でも人情噺はなかなか敷居が高い。
「中村仲蔵」は畏れ多くてできそうもないな、と思っていた。
もし、古典芸能部にあのような堅い噺ができる部員がいるとすれば熊谷先輩の他にはいなかったのである。
部員全員のコンセンサスではないのかもしれないけれど、熊谷先輩に「真面目な古典」が似合うのだという空気があった。事実そうだったが、やはり私は先輩が「粗忽長屋」のような落語独特のあり得ないほどの狂気や、あるいは「黄金餅」のグロテスクな笑いを文化祭の高座でどう演じるのかを見ておきたかったという気持ちもある。
私は先輩ほど真面目に稽古をしたことはないし、これからそうできるかどうかも自信はない。私にあそこまで後輩を圧倒できるのか?いやできまい。
とまれ、私個人の思い出として、やはり合宿所で黙々と稽古を積む先輩の姿というのは、あの「中村仲蔵」で一心不乱に努力する仲蔵とどこか重なるのだった。その印象こそが「真面目で謙虚な先輩」というイメージをより濃くうかびあがらせてくるのである。

さて、先輩の送別会をしようということになって、私は「淀五郎」をやることにした。
仲蔵の続編であり、迷える後輩を救う成長した仲蔵が登場する。川崎先生には一年以上まえからやってみてはどうか、という提案があったものの、なんとなく噺の重さが気になってやる気になれなかった。しかし、この機会を逃したら、もう「淀五郎」を演じる意味がなくなってしまう。後輩として、この噺を先輩の前で披露しない訳にはいかなかった。
我々を未熟な淀五郎と設定し、卒業される先輩を仲蔵とするという、まあ臭いといえばそれでおしまいなのだが、そういうドラマチックな演出を行うべき時だったのだと思う。空気を読まずに関係ない噺はできないし、やはり落語をやる部活の送別会は落語でメッセージを伝えるべきである。

私はとりあえず三遊亭圓生の音源と映像をみてみた。
六代目圓生は余談や閑話が多いほど、本質のようなものに迫れる、という希有な人であると思う。
なるほど噺を刈り込む作業は難しいし、それができる落語家は優秀だ。その一方で情報量が多く冗長になりがちなものをダイジェストでやった方がそのまま伝えるより楽であるとも捉えられよう。
だから「省略の美学」の反対側には「冗長の美学」だってあるだろう、と私は思う。
ずっと前に「御神酒徳利」で桂三木助と三遊亭圓生の聴き比べをした、という文章を書いたけれども、その時は「圓生は江戸のことなんか知らない人でも解るようにと馬喰町にある旅籠が葵の徳利を拝領したいきさつを一分かかって話し、三木助は『どういうわけか御拝領になりました』の一言で省略してしまっています」と書いた。そして私は圓生より三木助の方がさっぱりとした聞き心地がしてよろしいのだ、というような事を書いた。
三木助のさっぱりとした(なにをもってこう言えるのかというと『そう聞こえるから』としか言いようがない)イメージと「御神酒徳利」の善六さんのキャラクターが重なるから、やっぱり今でも「御神酒徳利」の勝負だったら三木助をとりたい。けれども、その一方であの時感想を書いた私は「省略の美学」という感覚はあっても「冗長の美学」には気づけていなかった。
つまり歌舞伎についての蘊蓄を場面の間ごとに挟む必要がある「中村仲蔵」のような噺は圓生のような大名人にしか扱えないものであろう。「淀五郎」もそうだ。
ある程度のコツさえ掴めば、素人にも長い話を短くまとめることはできるが、たぶん長い話を長いままやって聴き手を退屈させないようにすることはなかなかできまい。そしてそれが志ん生の仲蔵と圓生の仲蔵は雰囲気がまるで違うということにも繋がってくるのであろう。どちらの道も中途半端ではいけないし、両方の陣営があるからこそ、落語が成り立っているのだろう。
とにかく、私は大圓生のモノマネをベースにして簡易版の「淀五郎」をこさえてみることにしたのだが、もう少し別のものも聴いてみた。

次に私が選んだのはあの立川談志の「淀五郎」。彼の録音に「淀五郎」があるのがちょっと意外だった。
CDの録音で談志は一龍斎貞丈から教わったという別の「淀五郎」をやっていた。講釈好きの彼だから、あえて圓生に教わらなかったのかもしれない。講釈というのもいろいろあるようで、談志のものを聴くかぎりでは、落語というべきだった。
歌舞伎についての蘊蓄を語る様子は、圓生より端折ってあって情報量よりもリズム感覚を重視したような気がする。団蔵のいじめや、仲蔵の助け船をだすところに力を入れていたように思えるのだ。
そしてそのキャラクターの描き方が圓生のものと決定的に違っていて、私はこの噺の問題点に気づいたのである。
談志の団蔵は圓生よりももっと手厳しいが大人である。談志の仲蔵は圓生よりもっと親切である。そしてもっとも重要なことなのだが、談志の淀五郎は圓生よりもっと物を考えている。
噺のなかで微妙に登場人物のとる行動が変わっているのだ。
淀五郎に対して団蔵は「てめえで考えて、てめえでこさえてみろ」と言う。意味不明で具体的なことを言ってくれない団蔵に淀五郎は反感を持つのだが、若さの所為か、自分で考えたこと以外は身に付かないのだというメッセージを見逃してしまう。圓生の団蔵はただ厳しく突き放してしまう、談志の団蔵は圓生のものより言葉遣いが刺々しいが、ちゃんと「自分で考えてみろ」ということを言っているのである。
教わる側が未熟なために教える側の想いを受け取り切れないことはよくある。若くて落ち着きのない淀五郎は思い込みの激しいちょっとアブない奴で、そのことは舞台の上で師匠を殺してしまおうという過激で単純なことをしようとするところからも判断できよう。
だが、教える側は肝心なメッセージは言うべきだ。談志に比べれば、圓生の団蔵という人は適当に怒って丸投げしてしまったようにもとれる。意地悪なことを言って追いつめれば、なにくそと頑張れる奴と見越していたのかもしれないが、淀五郎はそんなに大人ではないのだ。
そのあと圓生は手取り足取りいちいち具体的な回答を与える仲蔵を登場させて、正解を考える間もなく、ひょいと模範解を渡してしまったのである。
たしかに淀五郎の技術は向上したのかもしれないが、人間的にはまったく成長していない。苦労して五段目の斧定九郎を自分の手で作り上げたはずの仲蔵が、どうしてそんなことにも気づけなかったのだろうか。別の役でまた淀五郎は失敗し、そのたびに仲蔵へ泣きつけば良いと考えるような人間になってしまったら、それは仲蔵の責任だろう。
談志の方の仲蔵はというと「それはあたしでも行かない」とだけ言うが、具体的にどうこうしろとは指示しない。ただ淀五郎にヒントを与えて「自分で考えて」と言うのだ。そうして彼はついに仲蔵のヒントから団蔵から出された「肩で断っている」という問題を自力で解くことに成功したのである。

人を成長させるために、周りの人はどんな役回りを演じることが大切なのだろうか。私は時に大人はその人間に超えられるための壁になってやり、一緒に考えてやる同志になってやる必要があるのだと思う。飴と鞭を交互に出せば良いという大人に囲まれて育った人は、きっと心の器は幼児のころとさして変わることはないだろう。
圓生の淀五郎は素晴らしい。素晴らしいけれども、人間の成長物語では無い。
団蔵は怖い顔をして無茶を言うだけの人で、仲蔵は優しいだけの人だ。淀五郎は団蔵が怖いから優しい仲蔵に逃避して、その場しのぎの小手先を身につけただけになってしまったのではないか。いい大人が父親をおそれて母親に泣きつく子供と変わっていない。
淀五郎を成長させたのは談志が一龍斎貞丈から教わったと言う噺なのだろう。

今回の送別会の企画では先輩を仲蔵に、私(たち)を淀五郎に仮託する予定であったのだが、なんだかこんな事を考えたら、私はどんな淀五郎なのだろうか、と考えてしまった。
個人的な体験をいくつか思い出し、私はいつも厳しいことを言う人を悪人にしたてあげて、褒めてくれる人を善人だと思ってきたのではないのか、と思った。師匠を刺し殺す空想を膨らませて勝手に熱くなっている淀五郎とまったく同じだったのか。
褒めてくれる人にもっと褒めてもらおうとするということは、起こらない。
実際は褒めてくれる人に依存して、そのぬるま湯から成長しないのだ。
周りの人間の優しさも、厳しさも、その裏にある想いを汲み取らずに生きていなければ、それは学んでいる状態とは程遠いのかもしれない。だとしたら、私は熊谷先輩だけではなく、今まで出会った人から何も学び取れていなかったのかもしれなかったことに気づくのだ。
どうしたものか。

先輩方、新学期が始まりました。

今度こそ、私は別の淀五郎を、そんな気持ちがいつまで持つかはわかりませんが、とにかくなんとかやってみようと思います。なんとかなるかどうか、私には自分が成長した、という実感がなかなかわきませんので、自分じゃあ確かめようが無いんですが、もうちょっと器の大きな人になりたいと、そう思っています。

海原亭創雲

2013年3月11日 14時27分06秒 (Mon)

浜野矩随について思ったこと

 お休みになりますと、真っ白な部屋の壁をみつめてブツブツ言っているうちに、いつのまにか一時間や悪いときには四五時間、とりとめのない妄想がひろがっていきますねえ。
最後まで読了せずにどんどん新しい本をちょっとずつ読んでみたり、同じ一節を繰り返し繰り返し反すうしてみたり、関連のあるテーマの本を並べてみたりと、出鱈目な読書をしてはそれがまた妄想の肥やしになり。
これが妄想の肥やしになっても生きる肥やしにはちっともならず、妄想は妄想でしばらく捏ね回しているとなんとなく自然消滅していき、要するに時間のムダ遣いも甚だしい。
ともかく、学校できちんきちんと勉強して、しっかりテストで点を稼いだほうがいいですね。あと、運動したり、友達と遊んだり。でも、こういう時にならんとブログを書く気もちにならないという。
芸術家気取りの自分語りかと思いきや、新しい記事を書かない言い訳をしているのです。ああ弱った弱った。

芸術家、というかアーティストって言うんでしょうか、最近は。なんでしょうねえこのアーティストっていう言葉は。テレビで何かを作ってる人はすぐに「アーティスト」として紹介されるけれども、僕はこういうのを聞くとなんかこうイラッときます。英語の「artist」に怒っているのではなく、日本語に「アーティスト」という語彙が追加され、拡散し、確実に市民権を獲得していく様子が気持ち悪いのであります。
そもそもこれはどういう意図で使われるのでしょうか。「芸術家」が横文字になったんだよって言うかもしれませんが、絶対にこれは明治に入ってできたartistの訳語なので始めにartistありきと言う事を考えれば「芸術家」の横文字版という解答は本質に迫ったものではありませんし、この謎の「アーティスト」という言葉の意味合いを捉えたものになっていません。
なにかを表現する人ということでしょうか。
自分を表現する手段として何かを創作するのなら、程度の差や出来映えの差はあれ、みんなやっていると思われます。例えば日常会話にしても喋るという行為を「音声をつかって文を創作し、相手に自分の意図を主張する」という事と見なせば、それはもう「創作活動」なのではないでしょうか。
なかでもそれを仕事にして売れていたり、注目されていたりする人だけを「アーティスト」というのは妙な気がします。
これをどんどん拡張してみると行き着く先は「一億総アーティスト現象」ではないのか?いや、実際そうなのではないか?
チラシの裏に書いてりゃあいい文章を誰に頼まれる訳でもなくブログにアップしている僕だってもうアーティスト気取りもいいところです、自分で書いていて反吐が出そうになる。こんなもん書いてどうなるんだよ、と自分にツッコミをいれつつも書くわけです。
「アーティスト」を気軽に使えるようになって、何かを作ってみたり、何かを書いてみたりする事に対する抵抗感を薄めてしまったのではないでしょうか。それはこの事態に違和感を感じている僕の中でもおこっている現象です。
元々の日本語の世界には「表現」や「創作」なんていう言葉はあったのだろうか。その辺は国文科の先生に聞いてみるとしても、ものを作ることはその作り手による何かしらの意図を表現する行為だという認識は「江戸の風」はあんまり吹いていない気がしてきました。
さて、ここまで来ると日本に英語の外来種がやってきて、ブラックバスのごとくもともとあった生態系を作り替えてしまって、その跡地こそが「一億総アーティスト現象」とでもいう事態を引き起こしているのじゃないかという空想が僕のなかで生まれてくるのです。
artの対義語はnatureですけど、要するにこれは人工と天然といったところでしょうか。人間は理性を持った生き物で、それが自然にある素材からなにかを作ってやることがartにまつわる諸々の行為に流れる思想でしょう。
そこから「私」という主体に対するいろいろな客体に主体から働きかけ、なにかをしてやることができるのだ、という人間の自惚れのような感情も芽生えるのだと思います。それがカタカナの「アーティスト」となり、平成の世を跋扈しているのであります。なにをしようがもう「表現」だ「創作」だと言われて権威を与えられる世界があるのです。
しかし、維新も間もないころの明治人が作ったであろう「芸術家」というのは「芸」や「術」を持った人のことを指すのでして、そんな意図があまり感じられませんね。アメリカ人がジャパニーズの素晴らしい作品だというボストン美術館にある日本画の作者は「絵師」ですが自分を「アーティスト」だと思っていたのでしょうか。彼らの認識の中での彼らの属性とは、手に職を身につけた一介の職人に過ぎないのです。過ぎない、というか「art」の概念が理解や常識の外にあったのではないでしょうか。
もともと日本人はそんなに作ったもののかたちを固定することに拘らない文化です。自分の作ったものは確かに誇らしいけれど、所行無常、いつかは消えてしまうさ、という考えがあったような気がします。作り手の技は技ですし、その人に成り代わるものは無いのだ、という考えが薄いのです。作った人がえらいんじゃなくて、作った人の身につけた技がすごいんだ、と考えたりするのですね。
たとえば伊勢神宮。あれは定期的に立て直しを繰り返す存在ですけれども、建て直しの際の大工の棟梁が取りたてて褒められる訳じゃない。なぜならあれは毎回毎回同じ山の木材で同じ工法で同じ設計図をつかって立て直すからです。その技術を身につけた宮大工は偉いけれど、もっとすごいのはその技術そのものなのです。
それと第二次世界大戦中の話も挙げましょう。フランスはドイツの猛攻に対してパリで決戦をしようという話が持ち上がったとき、何百年もかけて作られた歴史的な都市を破壊するのは未来のフランス人の損失である、としてあっさり無血開城をしてしまいます。一方日本ですが、アメリカ軍が上陸してきたときどうしようか、となると東京なんぞとっとと捨てて昭和天皇は長野に籠もり、ゲリラ戦を展開してやろう、という作戦がもちあがってしまうのです。もっとも僕は昭和天皇の御聖断により降伏した結果を否定していませんし、民草が死ぬことを厭わぬ国がその国のアイデンティティを維持できるわけがないのですから、こちらの方がよほど正しいと思っています。フランスの場合はまだ戦える状態であったのに対し、日本の場合は戦えるだけの力はなかったのですし、そこは比較するときに注意が必要だと思います。
話が脱線気味ですね。

さて、ここまでは前置きです。そろそろ落語の話をしましょう(そうですこれは落語のコラムなんですよ!)。
正月に僕は「立川志の輔inパルコ」に出かけて、楽しい思いをさせていただきました。新作から古典までみっちり志の輔尽くし。これが今最も手に入りづらいチケットの落語会か、と感心。演劇に適した劇場を最大限に利用し、スポットライトやスライド、現代風の音楽などの効果を取り入れており渋谷のパルコ劇場に相応しい会だと思いました。
「伝統を現代に」の立川流四天王の筆頭である志の輔はやっぱりすごい人だなあと思います。落語のかたちをいろいろに変えて客の興味の惹く、魅力的なショウビジネス(サラリーマン経験もある彼には良くあう言葉だと思います)を成立させているのですから。この人が売れる理由がはっきりとわかる会でした。
狂信的なファンと一種の教祖のように鎮座まします家元の噺を聴く会というような構図の談志ファンの集まり方と違い、志の輔は客に寄り添って解りやすい言葉で語り、もっと純粋に楽しみたいお客を正攻法で拡大させていくような印象をうけました。
会で人情噺「百年目」を聴いた時の感想も書きたいのですが、それは本稿の主題から大きく逸脱するのでまた次の機会。
さて、この会にすっかり感動した僕は帰りがけに映画化された「歓喜の歌」も収録されている2004年志の輔inパルコのDVDを購入しました。
そのなかで我が古典芸能部の部誌の名前の由来にもなっている「浜野矩随」がありました。
腰元彫りの名人の父を持つ主人公浜野矩随、有能な父とは違い彫れども彫れどもまったく成果無し。本人は一生懸命やっているのに回りからは「親父はよかったが息子はだめだ」と言われる。そんな中で唯一相手をしてくれるのは情に厚い若狭屋という商人です。しかしこの若狭屋もある日とうとうしびれを切らして「お前みたいな使えない奴は死ね」と言い放ってしまう。矩随も自殺を考えますが察しの良い母親に引き止められ「別に死んでもいいが、最後に私に形見をくれ」を言われ死ぬ気になって彫り始めます。一方母親は一晩中「南無観世音菩薩南無観世音菩薩」と必死になって神頼み。翌朝になると母親はその完成したものをみて若狭屋に売ってこいと言う。仕方なく売りにいくと若狭屋は見事な出来栄えに感激し「おっかさんの思いが天に通じた」と言う。しかし「出てくる前に水杯をかわした」と解ると大慌て。家に帰ってみると母親は自殺してこと切れており、その日を境に矩随は名人となったのである。
と、細かい部分をだいぶバッサリおとすとこんな具合になります。
ええと、こんなへたくそな要約をするといったいこれが人情噺なのか、そうでないのか、解らないですね。それに、いくらか気になるところが出てきます。
なんで母親は死ななきゃならないのでしょうか。矩随に決死の覚悟で仕事をさせたのはいいとしても、別に死ななくてもいいじゃないか、と。おそらくこの母親は自分の命を天に捧げる代わりに我が子には名人の技が降りてくるような、祈りを捧げた、のでしょう。
これは矩随の努力ではなく、観音様の力によって手に入ったということになってしまいますね。古今亭志ん朝の録音を聴くと「母親は矩随の代わりに」という台詞が入っています。江戸時代の人はこれで納得していたのでしょうな。志ん朝の時代までならそんな具合でもみんな納得していたのでしょう。
でも、もう上手くいきません、みんな納得しませんね。
それは先ほどの「アーティスト」が日本語のなかに浸透したからです。
腰元を彫りの親父が偉大なのは親父が頑張ったからなのです。そして矩随も矩随の努力によって才能を手に入れたのです。技そのものではなく、何かを作る個人を評価しなくてはいけない世の中です。
おっかさんの行動というのは我々の感覚からすればもう奇妙なものに映ってしまいます。
こればかりはもう二度と吹く事のない「江戸の風」かもしれません。
その違和感を志の輔は噺の解釈の変更によって、克服したのです。
なんとおっかさんは志の輔の噺の中では一命をとりとめて死なないのです。それから矩随に「本当は売れないと思って、先に逝こうとしていたんですね」と言わせることによって、息子が自分より先に死ぬのは耐え難いから自殺未遂をしたのだという事にしてしまい、つじつまを上手くあわせています。
これで浜野矩随本人の決死の覚悟が彼自身を変えたというストーリーになります。神頼みをする母親の子を思う気持ち、という要素がすこし薄まり、矩随自信の成長譚として現代の人情話になったのが志の輔による「浜野矩随」なのです。
僕はこの新しい解釈に賛成しますし、これも志の輔のなせる「技」だなと思います。いや、これは志の輔が優れた「アーティスト」だからできたことでしょうか。
と、そんな思いを巡らせていると立川談笑師匠はもっとあたらしいものを考えていたようで。
もうこれは原型をとどめてないような気もいたしますが...。

とまれ、今日はそんなことを壁を眺めて考えておりました。

部長

2012年12月14日 11時05分42秒 (Fri)

其の拾弐

其の拾弐画像 ご無沙汰ですね。いや、本当に。
部長業務を怠っておりました。
それにしても、年末ですね。
去年は野末陳平先生を校内にお招きして、忘年会などやりましたが、今年はどうなることやら。今年は文化祭で畏れ多くもこの海原亭創雲、300人近く入る講堂に高座を設け落語をやる、なんてことをやりましたがその時にも野末先生からは沢山応援のメッセージを頂いて、感謝感謝です。
我が部の重要なイベントのほとんどに野末陳平先生がいらっしゃる、という具合になっていくと、俗な発想ですが「箔がつく」というものですなァ。我が部の野望はもっとふくらみ、落研の世界に旋風を巻き起こす勢いでやっていきましょう。
私もなんだかんだで、あともう一年部長をやったら二代目海原亭創太に引き継ぎを、と考えておりますから、石原閣下ではありませんが「最後のご奉公」をしていきたいと思います。

さて、今回は漫画の紹介をしたいと思います。
落語をテーマにした漫画なんですがね、これが本当に面白い。
絵も僕の好みですし、ストーリーにもぐっと引き込まれる。そして既刊数がまだ3冊と、これから読みたくなった人にもお財布の負担がそれほどでもないところが魅力。
タイトルはずばり「昭和元禄落語心中」。
作者の雲田はるこ先生は、少女漫画のいわゆるBL(ミもフタもない言い方をすれば美少年同士の同性愛ジャンル)ではなかなか有名だそうで、私は結構抵抗があったのですが(いやね、男子校の生徒がそれをおおっぴらに支持しだしたら世間的にいろいろと波紋を起こしそうじゃないですか、いろんな意味でさァ!)、そんな偏見は捨てちまいましょう。
ふと書店で買ってきてみて読み出したら止まらないのです。
出てくる噺家が全員いい男揃いで色っぽくてかっこ良くて(だからそういうんじゃないですよ!男でもイーストウッド主演の西部劇とか見るとなんかグッとくることあるでしょ!)魅力的なキャラクターに仕上がっておりまして。それぞれにモデルとなった噺家が何となく予想されるところも楽しみなところです。

私が一言でこの漫画のあらすじを紹介するなら「立川談志が1970年代に夭逝した代わりに、圓生がうんと長生きしていたら、平成の落語界はどうなっていたか…」という話になりましょうか。
無論これはフィクションですから、登場人物の名前も違いますし、おそらく圓生をモデルにしているであろう「有楽亭八雲」という架空の大名人は談志をモデルにしているであろう「有楽亭助六」と同じ門下の同輩だったり、物語のなかでの「八雲」という大名跡は「小さん」を意味しているのかと思わせるような描写があったりと、実際とは違うところもありますが、細かいところを取り除くとやはりそういう解釈もアリなのでは、と思っています。
さて、この漫画の中では落語という娯楽は徐々に衰退を続けていて、その中で唯一八代目有楽亭八雲という一匹狼の大名人が生ける伝説として業界を支えている状況です。タイトルにもある通りこの噺家は自分の代限りで落語とともに美しく「心中」する腹づもりなわけです。
今ある「笑点」とか「落語SWA」のようなものは産まれず「伝統芸能としての落語」のみが残っている、そんな中で出所したてのチンピラが八雲のところに転がり込んで無理に弟子入りするところから始まります。チンピラが落語をやるという発想はドラマの『タイガー&ドラゴン』に似ていますね。
どうしてこの世界の落語はそんなかたちになっていったのでしょうか。作者はそれを「異端児の改革が無かったから」ということにしています。
「TBS落語研究会」はあっても「笑点」は無い。
物語では「落語とは大衆と共にあるべき」という信念を持って夭折した名人の助六(談志役)と「江戸の脆くも美しい空気を届けられなくなったらもはや落語ではない」とし、日々変わりゆく東京や日本に一種の諦観を持って生きる八雲(圓生役)の哲学が交叉していきます。
落語に必要なのは前者でしょうか、後者でしょうか。
作者はその答えを八雲に「(死んだ助六と約束した)『二人で落語の生き延びる道を作ろう』ってね」「どっちが一人欠けたってできねぇことなんだ」という台詞を言わせることで提示します。
当たり前のことですし、なんだか毎度の記事で同じような事を繰り返しているようではありますが、でも落語の醍醐味はその両方が成立するところにある、ということは私は大事なことだと思っています。
落語評論で有名な広瀬和夫氏もよくそんな記事を書かれ、そしてよく談志の偉大さを強調しているように思います。
さて、いきなり物語の扱っている大きなテーマに触れてしまったので、もう書く事が無くなってしまいました。尻切れとんぼで申し訳ないがあとの楽しみは本編を購入していただいて、ご自分で見つけてください。私は、昭和レトロ、大正ロマンな感じの背景とか、寄席小屋の雰囲気が良く描けていると思います!
次巻はいつ発売なのか、待ち遠しい限りです…。

2012年4月28日 19時53分13秒 (Sat)

春ですね(続き)

さて、立川談笑師匠です(以下、敬称略)。
談笑の「花見の仇討ち・改」というのが、なかなか良い風に仕上がっており、これは「花見の仇討ち」についていろいろと考えたのだな、と解る噺となっています。
前回は確か@「違う価値観のものを演じるとちぐはぐで滑稽だ」というのとA「ご都合主義なエンディングはそんなには訪れないが、そっちのほうが面白い、いや、人生そんなもんだ」というのを面白いポイントとして挙げました(なんとなく、同じものを別の言い方をしている気もしますが、そこは気にしないように頼みます)。
談笑はこの面白い部分をより効果的に演出するために、大幅な改変をします。

花見の余興として芝居をするということになると「芝居がかった台詞はよそう」と「やあやあ汝は何の某よな、何年以前に我が父を討って立ち退きし大悪人、ここで逢ったが優曇華の花咲き待ちたる今日ただ今、いざ尋常に勝負!」という台詞を全部無くします(以前僕もこの噺をやったことがあるのですが、演じている途中で抜けました、アドリブで誤摩化したけど、みんな気づいて…)。確かに、リアリティを求めるなら、この考えは至極合理的であります。これは、上に挙げた@を強調する為のもの捉えられます。というのも、みんなを驚かせようとしているのに、わざわざ芝居みたいな台詞を言うなんて不自然ですから。この改善によって若い衆が寸劇に対し、シリアスで質の高いものを求めていることが解るのです。よって、この真面目なところの後に訪れるドタバタでの落差がより強調されて、@の部分がもっと面白くなるようになります。
次に、巡礼兄弟役二人のうちの片方が「俺、謎の中国人がやりたい」と、リーダーの言う事を聞かず、当日は弁髪のチャイナ服という出で立ちで登場します。もう、ここだけでみんな爆笑するのですが、この笑い所というのは底の浅いクスグリにはとどまりません。この中国人、なんか強い。仇討ちの中に謎の中国人が参戦し、秘伝のカンフーで牢人と巡礼にパンチを繰り出します。助太刀で侍が乱入するより、謎の中国人が入って来るほうがもっと意味不明でドタバタしていますね。これは良い。ツボでした。突然に意味不明な展開になると、なんか楽しいという点ではAに入ると言えます。また、この中国人役の男が一番様になっていて、むしろ巡礼や侍の方が逆にボロが出ちゃってるというところ。なんかこう、ふざけてるとしか思えないやつが一番上手いんですね。そうなると真面目に劇をやろうとしている奴らの方がちぐはぐに見えてきて、@の面白さにつながってきます。中国人を異質なものと見ればA、中国人を中心に見れば@になるという。談笑のお得意の悪ノリかと思いきや、なんと深い演出でしょう。
余談ですが、談笑は外国人、特にベトナム人の真似が好きです(彼の創作落語『イラサリマケー』とか『叙々苑』とか)。もう下ネタ中の下ネタかつ、右翼と左翼が束になって襲いかかってくるようなキワドいお話のオンパレード…。「なんでこの人が「お切徳三郎」なんてやるんだ?意味わかんねえ」という感じのものなのですが、興味があったらCDの購入をお勧めします。
閑話休題。
最後にもう一つ大きな改善があります。それが「助太刀に入った侍が本気で怒る」というところ。確かに「肝心の六部が来ません」なんて言って逃げたやつを放置する訳がありません。噺家によってはこの侍は酔っぱらっていることもある。勢いでこのふざけた町人どもを切り捨てにするかもしれない。もしかしたら「面白い奴じゃ、だが、はやく言えい」などと許してくれるかもしれないが、侍の美学を弄んでしまったから許さないかもしれない。
「花見の仇討ち・改」では、ばたばたしているうちに侍が乱入してしまい「かくかくしかじかの理由で」と説明すると「武士の仇討ちをなんと心得るか!切り捨てにする!」とさっきまで中国人ネタでゲラゲラと笑っている聴衆が静まり返ります。必死の命乞いも叶わず、いよいよ最期と思った時、この噺は大団円を迎えるのです。なんと、この侍は本所のオジさんだったのだ。六部の役の奴を捕まえたあと、余興が面白そうだったので飛び入り参加しちゃった。ここでサゲ。
これも@でありAでもありますね。
侍が怒って「死」という重々しいものを突きつける。これで「軽いおふざけで死ぬなんて、ああ侍の真似なんかしなきゃよかったのに」と聴き手に思わせます。侍を笑いにしようとした事に対する重い罰がのしかかり、この噺の明るい雰囲気が一気に消えていくという展開。前回で言うところの「長屋の花見の連中」の超厳しいバージョンとでも申しましょうか。噺の面白みの本質は@とAを総合した「花見を楽しむウソ」でしたが、この侍はこの「ウソ」を断じて許さないという立場をとるのです。噺の立場(談志は「了見」というのでしょうか)と正反対のものを登場させて、サゲとの落差を大きく広げるという工夫がなされています。そして最後のサゲ。一度は揺らぎかけ窮地にたった「花見を楽しむウソ」でしたが、ここでまた立場を取り戻せました。この改善によって談笑は「花見の仇討ち」という噺の面白さをより強調したものへと仕上げたのでした。

もっとも、本人に聞いた訳ではないから、本当の所はどんなつもりで改変したのかは、解らないのですが、まま、僕はこんな感じで解釈しました。
では、今日はこれで失礼。