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2012年06月 アーカイブ

2012年6月28日 20時45分51秒 (Thu)

今夏の校外研修第一弾!決定!!

落語の神様とも称される三遊亭円朝師の命日である8月11日は
「円朝忌」と呼ばれ、師の眠る谷中全生庵では多くの落語関係者が墓参に
訪れます。
それに因んで、以前はこの日に、落語協会や落語芸術協会が主催して
「円朝まつり」が行われ、奉納落語や様々な催事が行われていましたが、
近年は必ずしもこの日に行われないようで、本年は8月5日(日)に行われるようです。
この円朝まつりには毎年、一万からの人出で賑わうようです。
と、なると祭事的要素が強く、泉下の大円朝師の墓参をし、ゆっくりと往時の様子に思いを馳せる、ということは難しいように思われます。
そこで、5日の祭は各自の自由参加とし、部の校外研修としては、
ご命日の11日に墓参をしたく考えています。
そして、この全生庵。昨夏、当部の有志が研究に勤しんだ「ムーランルージュ新宿座」の支配人であった佐々木千里先生も眠るのです。
この日はこの二大巨人の遺徳を偲ぶ活動にしたく考えています。
折りしも、高校部長と育成部長のリードの下、新入部員が円朝研究を開始した今、
部員の皆さんの参加をお待ちします。
8月11日(土)午前10時日暮里駅改札集合予定。
→ 東京メトロ千駄木駅に変更となりました(7月13日の部長発の記事をごらんください)
全生庵墓参後、散策予定。

                      (落語担当顧問)


2012年6月11日 21時32分22秒 (Mon)

相撲班研究・第二弾  相撲班部員・西村京太郎氏(高1)の行司論

相撲班研究・第二弾  相撲班部員・西村京太郎氏(高1)の行司論画像 初のアラブ人力士「大砂嵐」の誕生など、明るい話題も出始めた相撲界。
我が古典芸能部相撲班も、早速活動を始めています。
今回は、相撲半部員である藤田隆太郎氏の行司論に続いて、
やはり相撲班部員の西村京太郎氏の行司論をご紹介いたします。
ご一読ください。
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序論
 教師、駅員、医者、と私たちは普段生活していく上で様々な職業の人間と接している。そのような職業の内容は分かるものも多いし、イメージもしやすい。
 しかし、もっと目を凝らすと、あまり光の当たらない場所で社会を支えている人が多くいることに気づく。
 例えば、私はテレビで相撲を観戦したりする。相撲と言えば力士、特に横綱などは日本で名前を知らない人がいないほど有名だ。その一方、行司の名前を1人でも分かる人は少なくとも私の周りには数えるほどしかいない。
 だが、行司がいなければ、取組は白けてつまらないものになってしまうだろう。そこで、社会を支えている陰の職業として行司について調べることにした。特に、普段テレビなどでは見られない側面を中心に調べていきたい。

第一章  行司とは何か
第一節  勝負と神を司る存在
 行司はいつも何をしているのだろうか。勝負の判定以外、あまり知られていないのではないか。
しかし、行司には主なものだけでも13以上もの多彩な仕事がある(1)。その中から場内放送、番付編成、土俵祭りの3つを例示しよう。
まず、場内放送は背広を着た行司が桝席最前列の放送席で行う。これは三段目行司から役割を振り分けられ、十枚目行司と幕下行司のペアで行う(2)。今回取材させていただいた11代式守錦太夫氏によれば、マイクを持っている人が土俵、もう1人がモニターで確認しているが、結局は親方の判定により決まり手を判断しているそうだ。場内放送からは、決まり手の他にも、力士の紹介、取組の進行具合も確認でき、観戦する上でとても重要な情報源のひとつとなっている。
次に、番付編成について、これは書記を務めた行司3人が1週間から10日間、部屋にこもって番付を書くことだ。番付は筆太の相撲字と呼ばれる独特な字で書かれ、番付編成には熟練を要する(3)。この番付は力士の地位や行司、理事会の人間まで書かれ、これも観戦者にとってとても大切なものだ。
最後に、土俵祭りであるが、これは「天長地久、風雨順次、五穀成就」や相撲に関わる神の加護を祈願する祭りである。立行司が祭主を、幕内と十両が脇行司を務める。本場所の前日に行われ、一言で言えば土俵を神聖な場所にする儀式だ(4)。これがなければ相撲は神事の側面を失い、国技としての意味合いも薄れてしまうだろう。
これらの仕事の他にも行司は沢山の大切な仕事を行っており、これらがなければ相撲は成り立たない。それだけ彼らは裏で重要な務めを果たしているのだ。

第二節 行司になるには
第一節で述べた通り、行事は特定の知識を要し、仕事も重要なものばかりである。しかし、行司にはそれらと比較すると簡単な条件でなれる。
それらは相撲規則中に規定されていて、つまり男子であること、義務教育を修了していること、満十九歳に達していないこと、適格と認められることの4つである。この、適格とは、心身の健康と相撲の宗教的理解のことだと考えられる。加えて、行司入門に際しては、相撲部屋の許可と、履歴書、行司会会長の添え状などの一定の書類が必要で、入門後三年間は見習いとして働く(5)。こういったように、行司になるには特別なものは必要ないが、とても早い段階で行司になるかならないかの選択をせまられる。

第二章 行司、式守錦太夫氏への取材
第一節 若い行司として
 第一章でも少し触れたが、今回取材を受けてくださったのは第11代式守錦太夫氏だ。私にとって式守錦太夫氏は憧れの存在で、所作は素人目にも美しく見え、いつも感心させられる。しかし、行司になったいきさつは予想とは違っていた。
 式守錦太夫氏によると、勉強が嫌いで、自分が力士になりたかったので15歳のときに宮城野部屋に入門したのだという。しかし、当時宮城野部屋には行司がいなく、親方に行司をさせられ気づいたら行司になっていたのだ。
また、行司の師匠からは冠婚葬祭のときにもらう現金の扱いや、うそをつかないことのほうが行事の仕事よりも厳しく言われたという。第一章で述べたように、行司はいろいろな仕事に関わっていることを実感したが、その一方、行司は本当に簡単な条件でなれるのかと驚いた。
入門後、行司は早いうちに初土俵を踏む。もちろん、式守錦太夫氏も別ではない。初土俵は緊張していて何も覚えていないと式守錦太夫氏は言ったが、それを通じて土俵に対しては間違いを出さないようにしているとも教えてくれた。
その精神が今のきれいな動きに表れていると思うと、初心を徹底することが大切だということが分かった。
第二章 中堅の行司として
行司のひとつの変わり目として、幕下から十枚目への昇進がある。十枚目以上は有資格者といい、幕下の付き人がついたり(6)と、環境が一変するといっても過言ではない。錦太夫氏も、付人はつき、番付には大きく載り、足袋がはけるようになって資格者待遇はうれしかったという。ただ、それまで土俵にはだしで、装束も脛までめくって上がっていたが、装束を下ろして足袋をはくようになったため動きづらくなったとも言った。2011年の11月場所で三役格に昇進したときについても、草履を履くようになったため動きづらくなったが相撲は速くなったのでつらいと言っていた。
また、地位が上がると責任感も増すという。
昇格というのはただ嬉しいだけでなく、その分リスクも高まるようだ。
第三節 一人の行司として
私は取材の時、両国国技館を案内していただいた。その時に、土俵際にも行ったが、そこからは観客席やいろいろな機材が一望でき、行司はよく所作を正しく行えるなと感心してしまった、
錦太夫氏も勝敗だけでなく神事も行う行司職に伝統の重みを感じるという。
しかし、土俵上での事故や失敗のついては、過ぎたことは振り返らず消していくのがプロだと言った。私なら重圧で何もできなくなる。
また、弟子には先輩行司が教えたとおりに教えていて、特に挨拶はきちっと教えているそうだ。やはり伝統と文化を重んじ、自己流で伝えてはならない世界なのかと感じた。
最後に、錦太夫氏は「行司の仕事は『罰があって賞がない仕事』とよく言われる。」と話してくださった。つまり、失敗したら駄目でやって当たり前の仕事であり、黒星は残るがほめられはしない勝負判定も番付を書くのも間違えなくて当たり前であり、いかにミスを少なくするかが行司の社会だという。
これまで述べてきたが、行司は精神、肉体を酷使する仕事だ。昇格すればするほど、自分の体は老い、身につけるもののせいで動きづらくなる。しかし、相撲の方は高度な技術が使われるようになり、仕事内容と自分の体の限界の差がどんどんはなれていく。それに加え、行司は日常生活から土俵上まで、人格や黒星の数で評価され、昇格すればもちろん、評価も厳しくなる。一見賞があるように見えても、実際それは自分を追い込んでいることに変わりないのだ。自分の職業に対する意識がとても甘いことを痛感させられた。

結論
このレポートをまとめると、第一章では行司は相撲にとってなくてはならないもので、その入門はとても早い段階で行われることを述べた。第二章では式守錦太夫氏への取材から、一人の行司がどのように行司の世界を生きているのかを述べた。
このレポートから私が考えさせられたことは2つある。
1つ目は、自分やその周りの仕事に対する価値観が絶対ではないということで、それは錦太夫氏の行司人生からも垣間見える。それが魅力として私のような人間をひきつけてやまないのだ。
2つ目は、たとえじぶんの夢がかなわないとしても、それを受け入れて進んでいけば、それが自分の人生として成立するということだ。
錦太夫氏の行司になった過程も、土俵上の間違いに対する姿勢も、1つのことにこだわっていては生きていけないことを物語っている。自分の思い通りにいかなくても、その世界の人間としての責務を全うすれば、その分その人の持ち味が出るのだ。それによって良い成果が生まれるのである。
今回のレポート製作が自分にとってどれだけ勉強になったかは計り知れない。改めて取材に協力してくださった式守錦太夫氏や相撲協会の皆様に感謝いたします。

(1)根間弘海 『大相撲行司の世界』 吉川弘文館 2011 p.44
(2)同上書 p.50
(3)同上書 p.54
(4)同上書 p.p.52-53
(5)同上書 p.p.20-24
(6)同上書 p.p.25-28
取材先   第11代 式守 錦太夫 師


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