石井河岸菊池記念館 案内
石井河岸菊池記念歴史館



今年は、2020年、第二次世界大戦が終わって75年が経ちます。この間、皆さまもご承知のとおり国内外においてはいろいろなことがありました。そして今、日本、そして、世界は、私たち今生きる人間にとって、コロナというこれまでにかって経験したことのない感染症との戦いに立ち向かっています。いずれ近いうちに、新薬が発見され病との戦いにはピリオドがうたれることと思いますが、歴史は繰り返されるということを今人類はいやというほど思い知らされています。何はともあれ、一日も早い終息が待たれるところです。。
当記念館は、平成22年4月29日(昭和の日)に開館いたしました。4月29日で丸10年がたちました。その間多くの方々に御来館いただき、多くのことを教えていただきました。しかし、テーマとした『江戸期鬼怒川上流域7河岸と舟運の歴史』については、まだまだ、研究の余地があり、もっともっと調査し、勉強しなくてはならないと考えています。鬼怒川上流域七河岸につきましては、残念ながら、河岸跡は現在、残っていませんが、地元には、古老がおり、文献には書かれていない、未来に伝えていかなくてはならないことなどが沢山あります。また、未来に伝える文献も、河岸跡の古藏や納屋の一隅に眠っているものと思われます。それらを少しでも発掘し、書きとめ、まとめていくのが記念館を開設した大きな目的であります。しかしながら、なかなか進んでいかないのが実情です。是非とも皆様方のお力添えをお願いしたいと考えています。
記念館は土、日、祝日の午前9時より午後4時30分まで開館しています。
-入館料無料- 皆様のお出でを心よりお待ちしております。
石井河岸



石井河岸菊池記念歴史館



平成24年3月16日には、公益社団法人栃木県経済同友会より社会貢献活動賞が授与されました。同じ年4月29日(昭和の日・祝)には、開設2周年を迎えました。同日(設立記念日)より5月6日まで、「石井河岸地租絵図(江戸末期から明治の初め地租改正の頃まで)-初公開となります。-」、「アメリカ第18代大統領、南北戦争北軍総司令官グラント将軍の石井河岸・大嶋商舎訪問記及び寒月庵(元禄期からの庵)、待春軒(迂叟居宅)の写真」(※大嶋商舎-官営富岡製糸所に1年先駆けて創設されたわが国でもっとも洗練されたイタリア式器械製糸所)、「明治9年石井村地租改正切絵図」、「伊藤博文公直筆手紙-初の公開となります。」を特別公開してまいりました。多くの歴史ファンにご来館いただきました。本当にありがとうございました。引き続き、現在も、鬼怒川上流域七河岸と舟運の歴史とともに公開し、御来館の皆さまに楽しんでいただいています。
平成27年も,1月1日より、土、日、祝日、午前9時より午後4時30分まで、石井河岸をはじめとして、鬼怒川上流域7河岸と舟運の歴史,ならびに、江戸期から明治にかけての石井村、大嶋商社とグラント将軍並びにグラント将軍石井河岸訪問記などを一般公開してまいります。
最近では、地域の皆さんのご協力により、これまで調査研究がなされていなかった江戸期石井河岸が、後年、明治期にかけて、上河岸、中河岸、下河岸の3河岸として発展してきたことが、文献や食器片などからわかってまいりました。5周年記念として、平成27年4月には詳細をお知らせしてまいりたいと思っています。今後とも地道ではありますが、鬼怒川上流域7河岸と舟運の歴史に新たな1ページを加えながら、精進してまいりたいと思っております。
皆様のご来館を心よりお待ちしております。
皆様がご来館されましたときは、できる限り直接お話をし、皆様とともに歴史を楽しんでまいりたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
石井河岸菊池記念歴史館案内-駐車場有-

プロローグ 石井河岸歴史年表 石井河岸を中心とした鬼怒川の歴史、日本の歴史、世界の歴史が対比表現
されています。
鬼怒川全図⇒南会津上空から東京湾、伊豆半島、房総半島を臨み、鬼怒川や利根川など関東全域の河川が見
てとれます。
廻国雑記⇒廻国雑記は、文明18年(1486)6月から約10か月間、京をたって東国巡歴した道興准后
(左大臣近衛房嗣の子、京都聖護院門跡)の紀行文です。宇都宮粉川寺から常陸小栗に旅する途中、鬼怒川辺
で詠んだ詩が展示されています。宇都宮粉川寺は、その昔、紀州粉川寺の勧請を受け建立された寺で、宇都宮
二荒山神社の西側の広大な土地にありました。
約1000年前の鬼怒川・神護景雲2年(768)の河川改修図⇒約1000年前の鬼怒川は、利根川とは
まったく別の川で、一大内海を形成していた香取の海へと流れ込んでいました。神護景雲2年(768)には
大規模な河川改修工事も行われています。
利根川東遷と鬼怒川 ⇒関東八州図写「文政9年(1826)」により、文禄3年(1594)」から始まり、
以後60年間に及んだ利根川東遷事業が理解できます。寛永6年(1629)には、大規模な鬼怒川・小貝川
の分流、付け替え工事が行われました。
洪水と治水の歴史⇒「五十里村湖水御検使御立会絵図」により、天和3年(1683)9月1日、鬼怒川支流の
男鹿川が出現した様子が理解できます。享保8年(1723)には、大雨により五十里湖が決壊し、関東一円で
12,000人の犠牲者が出ました。
石井河岸と鬼怒川七河岸の出現⇒江戸の初めは、結城久保田河岸から陸路境河岸へ、元禄期前からは
利根川への舟路もでき、関宿から江戸川、そして江戸への舟運路が出来上がってきました。年貢米などを
積み込む鬼怒川七河岸もその舟運路の発達とともに出現してまいりました。
石井河岸図 ⇒江戸期、奥州街道脇道石井海道が宇都宮城東門から久部、下川岸に通じ、石井河岸が大い
に賑わいを見せていた様子が、今も残る吉野屋、銭湯屋、豆腐屋、紺屋、甕屋、桶屋といった屋号のある家々
をもとに説明されています。
新規船荷積稼御免許願⇒江戸から明治に時代が変わると、石井河岸においても、河岸礼法によることなく、
新規に廻送業を営む者があらわれてきました。
石井河岸地租絵図 ⇒明治初期、地租改正(明治6年~)の始まる頃に書かれたフリーハンドの石井河岸絵図。
回船業坂本家、渡船小屋、渡船場、河岸道、水戸往還道などの記載がみられ、往時の石井河岸を知ることが
できます。
廻送業口演版木⇒石井河岸から江戸東京までの舟運路、運賃が書かれた石井河岸廻送業業者坂本家の
口演版木(宣伝パンフレット)。当時の関東一円舟運路、陸路がみて とれます。

近代産業の夜明けと大嶋商舎⇒江戸の豪商川村迂叟が、激しく揺れ動く幕末から明治の初めにかけて、
石井河岸の対岸に、日本の近代産業の夜明けともいうべき近代的製糸工場「大嶹商舎」を創設いたしました。
江戸日本橋新右衛門町からうつされた寒月庵、待春軒の記録が横浜の三渓園で見られます。
明治12年、アメリカ第18代大統領、南北戦争北軍総司令官グラント将軍も石井河岸、大嶹商舎を訪問
しています。その外交記録も展示しています。

明治期石井村 明治壬申石井村上組『御触廻達留帳、明治15年石井村被選挙人選挙人名簿、明治期
平石村議会綴り』など貴重な古文書も展示しています。

石井河岸の終焉そして未来へ 明治18年、宇都宮-上野間に鉄道が敷設されると、鬼怒川の舟運は終焉に
向かいはじめ、昭和の初めには幕を閉じていきました。
エピローグ
〒321-0912
宇都宮市石井町2287
電話028-661-8303 駐車場有り
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