理論計算 理解への道2

 ここでは大学生及び社会人の方を対象とした理論計算への理解のための知識を参考文献を引用しながら紹介していきます。
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◇ 常行真司、「戦略分野2:新物質・エネルギー創成をめざす 計算物質科学イニシアティブ」、日本物理学会誌、66 (2011) 533.

A. 第一原理電子状態計算
  経験パラメータを使わず、クーロン相互作用や量子力学の基本法則と電子および原子核の属性のみから多体電子状態理論に基づき物質の多様な物性の解明を目指す手法を、第一原理電子状態計算、あるいは単に第一原理計算という。原子に働く力も電子状態に基づいて計算され、安定な結晶構造の決定や格子力学計算、熱力学量やダイナミックスのシミュレーションに用いられる。多くの場合、原子核は古典粒子として扱われる。
  第一原理電子状態計算は固体表面の構造や化学反応、結晶中の不純物や欠陥構造など、実験だけでは情報が不足する新物質のデザインや物性予測にも使われている。
  大きく分けて、電子の多体波動関数を変分原理や摂動論によって得る波動関数理論[1]と、系の基底状態エネルギーが1電子密度の汎関数であるというホーエンベルク - コーンの定理に基づく密度汎関数理論[2]がある。1998年のノーベル化学賞は、それぞれの方法論開発で中心的な役割を果たしたポープル(John Anthony Pople)とコーン(Walter Kohn)の2人に与えられている。
  波動関数理論の最も簡単なものは、多体波動関数を1電子軌道のスレーター行列式1個(単一の電子配置)で表すハートリー - フォック(HF)近似に近づく分子軌道法である。HF近似は平均場近似の一種であり、電子がクーロン斥力によって避け合いながら運動する電子相関効果を無視している。この電子相関効果を取り入れる手法として、複数の電子配置をもとに平均場計算を行うMulti-configuration Self-Consistent Field (MCSCF)法、Complete Active Space (CAS) SCF法や、摂動法の一種であるメラ - プレセット(Moller-Plesset)法、多数の電子配置で変分原理などを行う結合クラスター法、配置間相互作用(CI)法などの、いわゆるポスト - ハートリー - フォック法が開発され、原子・分子の電子状態計算手法として実用化されてきた。
  CMSI(Computational Materials Science Initiative)では天能精一郎(神戸大)らが、電子間距離にあらわに依存する多体波動関数(相関波動関数)を用いた高精度の計算手法を[3]お、超並列計算向けに開発している。また北浦和夫(京大)らは、巨大な生体分子を部分系に分割することで低コストかつある程度高精度に全エネルギー計算ができる、フラグメント分子軌道(FMO)法[4]の開発を進めている。
  一方、1960年代に基礎がつくられた密度汎関数理論は、計算量の点で波動関数理論の適用が困難な大きな系の電子状態計算法として発展し、経験パラメータを使わない固体の電子状態計算(バンド計算)や構造計算を可能にした。固体の電子物性に最も大きく寄与するのはフェルミレベル近傍の電子状態である。そこで計算量を減らす工夫として、あまり重要でない内殻電子軌道の効果を散乱ポテンシャルとして取り扱う擬ポテンシャル法が開発され、平面波基底関数と組み合わせて広く用いられるようになった。一方、局在性の強い軌道をあらわに扱う全電子計算手法では、球面波展開や局在基底関数を用いる様々な手法が発展した[5]。
  1985年には、擬ポテンシャル法で電子系の方程式と原子の運動方程式を平行して逐次的に解く手法であるカー - バリネロ法が開発され[6]、実験による構造解析が困難な固体表面や格子欠陥、液体状態など、サイズの大きな系への応用が格段に進んだ。
密度汎関数理論の信頼性の鍵は、物質によらない電子密度の汎関数である「交換相関エネルギー汎関数」にある。当初から用いられてきた局所密度近似の汎関数一様電子ガスで決められたこともあり、密度汎関数理論は電子の局在性の強い系を扱えないと言われてきた。しかし近年、局所密度近似を超える電子相関効果の取り扱いがいくつか提案され、密度汎関数理論の適用範囲が広がりつつある。
  また計算機の高速化と数値計算手法の高度化によって、半導体ナノ構造や生体分子など、1万原子を超える系の実用計算が射程に入るようになり、CMSIでも大規模計算に向けた複数のソフトウェア開発が進んでいる。たとえば押山淳(東大)らのグループでは超並列計算に適した実空間差分法を用いた密度汎関数法プログラムRSDFTを開発し、10万原子級のナノ構造体の電子状態計算を目指している。
  電子系の励起状態・スペクトル計算では、第一原理計算の中でも特に難しい問題である。波動関数理論のCI法は励起状態計算にも使えるが、大きな分子や固体への適用は計算量の点で困難である。そこで結晶の場合は、自己エネルギーのバーテックス補正を無視し乱雑位相近似(RPA)で得られる遮蔽クーロン相互作用を用いて準粒子方程式を解くGW法が1980年代半ばに実用化され、現在は半導体のバンド間励起スペクトル計算の標準的手法として用いられている[7]。一方、ルンゲ(E. Runge)とグロス(E. K. U. Gross)によって定式化された時間依存密度汎関数理論(TDDFT)が近年大きく発展し、大きな分子の電子励起スペクトルを簡便に精度よく計算する目的で用いられるようになった[8]。
  このほか最近の方法論の発展に興味のある方は、物理学会誌特集号[9]をご覧いただきたい。

B. 格子模型のシミュレーション手法
  磁気相転移や電子相関による金属絶縁体転移、超伝導、電荷密度波(CDW)転移、スピン密度波(SDW)転移などの低エネルギー現象、熱力学的な状態空間のサンプリングが重要な相転移現象を扱うには、第一原理ハミルトニアンから出発するのではなく、自由度を落とし相互作用パラメータを導入した、格子模型のハミルトニアンを用いることが多い。局在スピンありきとして話を始める磁性体のイジング模型やハイゼンベルク模型、同一の局在軌道に入った電子間にのみクーロン斥力が働くとする電子系のハバード模型が、その典型である。
  格子模型を使うと、エネルギースケールが大きく積分評価も面倒な生のクーロン相互作用を直接扱う必要がなくなり、計算量を減らすことができる。その結果、自由度の大きな多体波動関数を用いた精緻なエネルギー計算や、自由エネルギーの評価による相図の作成、大規模シミュレーションを使った臨界現象の解明が可能になる。相互作用パラメータは従来、実験や第一原理計算のデータを使って経験的もしくは半経験的に決められていたが、CMSIの今田正俊(東大)らのグループでは、第一原理電子状態計算を用いて任意性を排してパラメータや相互作用の到達距離を決め、後で述べるモンテカルロ計算につなげる手法を開発している[9, 10]。
  格子模型の有限温度シミュレーションや基底状態の精密計算では、多体系ならではの大きな自由度を扱うため、モンテカルロ法を用いたサンプリングが利用されることが多い。効率的なサンプリング手法として、温度の異なる複数の系(レプリカ)のシミュレーションを平行して行い、カノニカル分布を壊すことなく確率的にレプリカ間で配置を交換することで局所安定構造から容易に抜け出すことができるようにした交換モンテカルロ法[11]、非カノニカル分布を作り出すマルチカノニカル法[12]などが開発され、緩和の遅い相転移現象の研究に適用され成果をあげている。これらの手法は、最近ではタンパク質の折りたたみ問題など連続空間のモデル計算にも適用され、非常に効果的であることが確認されている。
  有限温度の量子系のシミュレーションは、70年代後半の鈴木 - トロッター分解を用いたスピン系の量子モンテカルロ(QMC)シミュレーションに始まり、80年代以降爆発的な広がりを見せた。QMCの最大の問題は、サンプリング重みが負となり得る系で統計誤差が増大する、いわゆる負符号問題であり、現在も解決策が探られている。
  量子スピン系については、1993年にループアルゴリズムが提案され、その後連続虚時間の方法へと拡張された[13]。この手法は、量子スピン系の精度の高い計算を可能にし、標準的な手法として使われるようになっている。CMSIでは藤堂眞治、川島直輝(東大)らが汎用的な量子モンテカルロ法プログラムパッケージ ALPSの一部として、超並列計算用のソフトウェア開発を行っている。
ハミルトニアンの厳密対角化を用いた多体問題の研究は、ランチョス法の導入によって大きく進展し、新たな手法開発の際にはベンチマークとしての役割を果たしている。1992年にホワイト(S. R. White)が提案した密度行列繰り込み群(DMRG)法[14]は、適用範囲が1次元系に限定されるものの、ヒルベルト空間の拡大と選択という繰り込み群交換を繰り返すことで、厳密対角化とほぼ同等の精度で大きな系の基底状態、低励起状態の計算を可能にし、その後も様々な拡張が行われている。遠山貴巳(京大)らは、強相関電子系の励起状態や光応答の計算に向けて、動的密度行列繰り込み群法の超並列計算手法を開発している。

C. 分子動力学法
  たとえば液体の水がどのような動的性質を示すか、あるいは高分子の自己組織化膜がどのような構造をとるかといった、ナノメートルからサブミクロンに至る複雑な構造・現象を扱うことのできるシミュレーション手法は、非常に限られている。まず原子数が多く(水中のタンパク質なら100万原子以上)、周期性がないこと、つぎに現象の時間スケール(たとえば分子振動周期の10フェルト秒から大局的な構造変化に要するマイクロ秒まで)が極めて広範囲にわたることが、その困難の理由である。
  分子動力学法(MD)は、原子はるいは原子団の間に働く相互作用として経験的あるいは半経験的なモデルを導入し、古典的な運動方程式を解くことで、そのような物理現象をシミュレーションする手法である。初期の有名な仕事には、斥力相互作用する剛体球の結晶化(アルダー転移)の発見がある。能勢修一による温度一定の方法論[15]は、日本からの寄与として世界に誇るべきものであろう。
  MDが最近よく用いられるのは、タンパク質など水溶液中での複雑な生体分子のシミュレーションである。これはタンパク質の立体構造に関する観測結果のデータベースが充実したことと、部分系の電子状態計算などを基にした相互作用モデル(分子力場と呼ばれる)が整備されたこと、また数値計算手法としては遠距離力であるクーロン相互作用の取り扱いが工夫されたことが大きい[16]。CMSIの岡崎進(名大)のグループで、生体分子と水分子をあわせて1000万原子を、超並列計算機で近似なしに精度よく計算するプログラム modylas が開発されている。

D. マルチスケール・シミュレーション
  物質の基本的な性質の中には、原子論的なシミュレーションでは追い切れないものが少なからず存在する。たとえば合金の強度に関係する組織形成の問題は、空間スケールから言っても時間スケールから言っても、原子論の守備範囲に収まらない。ところがその要因となる界面エネルギーや局所的な弾性定数は、まさに原子論の問題であり、第一原理電子状態計算が寄与できる領域である。
  このような多階層の物理(マルチスケール・マルチフィジックス)をつなぐシミュレーション手法の開発も進められている。たとえば分子動力学法と弾性体力学計算、第一原理電子状態計算と分子動力学法、第一原理電子状態計算と格子模型計算といった、スケールの異なる計算手法をつなぐマルチスケール・シミュレーション手法である。計算物質科学の守備範囲の広がりとともに、物理学の階層性とも合致したマルチスケール・シミュレーション手法の重要性はさらに増していくと思われる。

References
[1] J. A. Pople: Rev. Mod. Phys. 71 (1999) 1267 - Nobel Lecture.
[2] W. Kohn: Rev. Mod. Phys. 71 (1999) 1253 - Nobel Lecture.
[3] S. Ten-no: Chem. Phys. Lett. 398 (2004) 56.
[4] K. Kitaura, E. Ikeo, T. Asada, T. Nakano and M. Uebayashi: Chem. Phys. Lett. 313 (1999) 70.
[5] たとえば、R. R. Martin: Electronic Structure: Basic Theory and Practical Methods (Vol. 1) (Cambridge Univ. Press, 2004); 邦訳:『物質の電子状態<上>』(寺倉清之、寺倉  、善浦康成訳、シュプリンガー・ジャパン、2010).
[6] R. Car and M. Parrinello: Phys. Rev. Lett. 55 (1985) 2471.
[7] M. S. Hybertsen and S. G. Louie: Phys. Rev. B 34 (1986) 5390.
[8] E. Runge and E. K. U. Gross: Phys. Rev. Lett. 52 (1984) 997.
[9] 日本物理学会誌 64 (2009) 241-296-特集: 電子状態の第一原理計算の現状と課題
[10] M. Imada and T. Miyake: J. Phys. Soc. Jpn. 79 (2010) 112001.
[11] K. Hukushima and K. Nemoto: J. Phys. Soc. Jpn. 65 (1996) 1604.
[12] B. A. Berg and T. Neuhaus: Phys. Lett. B 267 (1991) 249.
[13] B. B. Beard and U. -J. Wiese: Phys. Rev. Lett. 77 (1996) 5130.
[14] S. R. White: Phys. Rev. Lett. 69 (1992) 2863; Phys. Rev. B 48 (1993) 10345.
[15] S. Nose: J. Chem. Phys. 81 (1984) 511.
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